子どもさんが学校に行かなくなり
どうしてなのか聞いても答えてくれず
もしくは聞くことさえもできないような雰囲気の家庭内であったとしたら
親御さんの心配や不安は続いてしまいますね。
何があったのだろうかと。家庭内の問題があったのかもしれないし
学校でいじめがあったのかもしれないと思うとなおさらだと思います。
心配がゆえに親が過剰に動揺していても
またその動揺を見せてはいけないと平静を装いながら
どうすればいいのだろうと心の中は渦を巻いたような状態になっているのではないかとお察しします。
何を言ったら子どもは耳を傾けてくれるだろうと
慎重になれば、おのずと使う言葉は限られてきて
オブラートに包んだような優しい言葉をかけるようになるのではないかと想像できます。
そのように思うのは、私自身がそうであったり
実際、周りの不登校の親御さんからの話からも感じられたからです。
確かに傷つくような激しい言葉は誰であっても言われたくないものです。
でも傷つけようと思って発していなくても受け取る側からしたら心に痛みが突き刺さる言葉があるということを
私たち親は、考えていく必要があります。
私自身も子ども時代に大人たちから発せられたなにげない言葉に痛みを感じたことがありました。
親を早くに亡くし、生活に困ってると分かるような身だしなみの私には、周りに助けてくれる人が何人かいました。
昔の近所の結びつきが強い時代であったもの関係してると思いますが、同級生の親や学校の先生がある意味私を特別扱いしてくれていました。
経済的なことで助けられた事実もありますが、そこには言葉の暴力(私にとって)もありました。
かわいそうな子だから親切にしてあげなさい
というレッテルを貼られ、その言葉を私の前で時折いわれたことは
何にも嬉しくなくて逆に惨めでしかありませんでした。
忘れ物をしても私だけ怒られない
こういう特別扱いは逆にずるいと思われてしまうんじゃないかといたたまれなかったです。
時を経て私が大人になり
不登校の親として当時学校に不満を持っていたこともありました。
もっと気遣ってくれたらと。
でも気遣ってほしいのは特別扱いじゃなくて、個々としての人格を見てもらうことだったんだと
今なら言葉で表現ができます。
当時はそれが分からず、多くのことを学校のせいにしたかった自分がいました。
自分自身が子どものことをしっかりと気に掛けることもできていないのに
周りのせいにしたくて、ああしてくれない、こうしてくれない
と自分から動かずに周りにしてもらうのを待つ受け身状態。
子どもが良い方向にいくために親として自分が何をできるだろうと思案し動こうとしていなかったんですね。
ただ腫れ物に触るように子どもを扱っていたと思います。
不快を踏むような言葉は使わず、優しい言葉を選んで理解のある親のふりをし、ただ現状にとどまるだけでした。
それでも当時の自分が出来うることをしていたのだから否定はしないですが、
ただ親としての自覚や責任は成し遂げていなかったと振り返り思います。
不登校だから、引きこもりだからと
優しさを前面にだしてオブラートに包んだ言葉しか使わないことは
その子の未来につながるのでしょうか。
それを長い間されてきて、また我が子にしてきた私だからこそ、その弊害は体感しています。
じゃあどうすればいいの?となると思います。そうですよね。
なぜ自分が腫れ物に触るような態度をとってしまうのか?
自分の言動や考え方から見ていくことをおすすめします。
思ったことをそのまま言葉で伝えられないのは、見えない怯えが潜んでいる場合もありますから。
不登校解決の為に、お子さんの復学に至るまでをどうするかというアドバイスが多いと思いますが
こちらではお子さんのいちばん身近にいる親御さんのサポートやお話を聞くことから始めることが大切だと思っています。
お子さんたちの状態は「不登校・引きこもり」という枠で括ることはできないほどそれぞれに違っています。
それに、お子さんの育った歴史や今に至るまでの様子をいちばん知っているのは親御さんです。
どうしたらいいのだろうと八方塞りになり悩んでいる親御さんは多いと思います。
この記事を書こうと思ったのは
自分が子ども時代に周りから投げかけられた、憐れまれる惨めさを思い出したこともありますが
つい子どもにキツいことを言ってしまう、怒鳴ってしまうと自分を責めてしまう親御さんもいる反面、
感情的に当たることが無くても、こういった違う部分で悩んでいる親御さんも多いかと思い
今回記事にしてみました。
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