過去にできなかったこと、娘にしてあげてよかった。 | としのさこん×ばるせろな

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国際結婚&海外育児に奮闘!

 

 

私は幼い頃から思春期も精神的に苦痛をいっぱい感じてきた。

 

 

 

そのうちの一つが、小中学校に行っている間に

 

 

入っていたバレーボールクラブだ。

 

 

 

 

最初確か小学校四年くらいから初めて、姉も行っているし

 

楽しいスポーツ感覚で遊んでいて、そのころはまだ楽しかった。

 

クラブのメンバー数も少なかったから、レギュラーのメンバーを

 

みんなでローテーションできることが多分面白い経験だったと思う。

 

 

 

 

しかし小5くらいからおじいちゃんコーチが代わって

 

 

銀行勤めの自称熱血コーチになった。

 

 

 

そこから全て変わった。

 

 

 

 

ウォームアップからヨガ・ピラティスのコーチを雇い始め

 

 

あちこち練習試合、遠征試合やトーナメントに応募をかけ始めて

 

 

トレーニングが本格的になってきた。

 

 

怒鳴り声も増えたし、泣く声も上がり始めた。

 

 

 

 

私は最初のうちはまだ少ないメンバーだったので、レギュラーに入っていたが

 

 

大腿直筋炎症という名前の練習中に怪我をし、6ヶ月練習に参加することは不可となった。

 

 

 

それも3ヶ月で奇跡的に復活するも、もうレギュラーには入れなくなった。

 

 

新しいメンバーが取って代わったのだった。

 

 

 

 

クラブのメンバーも増えて、私はいつもレギュラーチームの練習を手伝う

 

 

Bレギュラーチームに加わった。

 

 

 

それが原因なのか、レギュラーチームにいるメンバーが

 

 

どうやら性格のきつい人が多かった気もする。

 

 

元々性格の強くなかった子も、私にちょっかいを出すようになってきた。

 

 

 

私は家で、あの子がこんなことを言ってきた、傷ついた、などを母親に話すと

 

 

 

「友達のことをそんな風に悪くいうんじゃない」と怒られた。

 

 

 

私は熱血コーチからはムードメーカー、トラブルメーカーと呼ばれた。

 

 

 

 

いつも冗談を言ったり、人を笑わせるのが好きで、楽しい雰囲気で一緒にいることが第一だった。

 

 

 

いくら自分がレギュラーに入れさせてもらえなくても、

 

 

いくら母親が朝早く起きて、試合に一度も出ることがない補欠の私を見に試合に来るのを見るのが辛くても

 

 

いくら運ぶ水分補給用の水が重くても

 

 

横でプレイする男子チームから「補欠wだっさ」と笑われても

 

 

自分なりに頑張っているつもりだった。

 

 

 

 

チームだから。

 

 

 

 

 

それが中学に上がる頃、私はもういい加減バレーはレギュラーにもなれないし

 

好きな漫画や違うクラブに入部することを夢見ていた。

 

 

 

 

しかしバレークラブのキャプテン格に当たる子が

 

 

「ね!中学行っても一緒にバレーやろうね!」

と何度も何度も繰り返し背中を叩きながら言ってきたのを覚えている。

 

 

 

 

自分が裏切り者のように少し感じた。

 

 

 

母親に、バレーを辞めたい、と言うと

 

 

「私はあんたに、途中で中途半端に諦める子になってほしくない」と言われた。

 

 

その言葉は何よりも

 

 

辛かった。

 

 

自分のやりたいことは全て二の次なんだ。

 

 

でも、それよりきっと優先しなくちゃいけないことがある!

 

 

お母さんの期待に応えよう、そしてバレー部のみんなを裏切らないように

 

 

 

と周りがいうことを信じて、中学も「入りたい部活動」にバレー部を第一の欄にかいた。

 

 

 

 

 

 

今思えば、バカらしくて、涙が出る。

 

 

これが私が日本が嫌いで嫌いでしょうがないところだ。

 

 

 

途中で諦める人、辞める人を負け犬呼ばわりする文化。

 

 

 

個人ではなく大衆を優先しなくてはいけないと、社会や学校、家庭でも教えるところが。

 

 

 

 

 

甘い期待だった「中学にいけばコーチも変わるし、もしかしたらまた昔のように

ローテーションで回してプレイさせてくれるかもしれない」と思った。

 

 

 

いかに私が無垢だったと自覚させられる。

 

 

 

 

小学校のうち、私たちの代のチームは強かった。

 

 

 

県試合でも優勝、そして全国大会にも出場したのだ。

 

 

 

レギュラーチームから補欠、そしてその子の親たちは

みんなその熱血コーチの悪口を陰で言っていた。

 

 

 

 

臭いだの、しつこい性格だの、厳しすぎるだの。

 

 

 

 

しかし陰で言っても、表で言う人は0だった。

 

 

 

悪口を言う母親も、自分の子が全国大会にまで行くので

 

 

 

歓喜極まりなかった。練習試合、遠征もわざわざうちわを作って持っていて

 

 

私は補欠なので応援用のうちわを作らなくてはいけなかった。

 

 

 

 

 

これが本当の負け犬のサイクルだと思う。

 

 

 

やりたくないことを11歳の子供に強要する。

 

 

 

そしてその熱血コーチはなんと

 

 

 

 

私たちの通う中学校のバレー部に自ら申し出て

 

 

コーチをしたいと申し出たのだ。

 

 

 

 

今思えば考えられない。

 

 

 

またあの地獄を味わうことになるとは。

 

 

 

 

 

私はその後、姉が中学三年生にいる間は

 

 

 

お決まりの中学校の「先輩に尻尾を振り、後輩を痛めつける」日本文化に従い

 

 

 

他の二年生の先輩が好意的に振る舞ってくれるのを

 

 

ありがたく受け取っていたが

 

 

 

姉が卒業すると、それは恐ろしくひっくり返る。

 

 

これまで〇〇って名前で呼んでいいよ、と言っていた人たちから

 

 

しっかり〇〇先輩って呼ばないとだめだよーとお叱りを受けた。

 

 

 

 

補欠の仕事も倍増えた。

 

 

 

 

そして、ある日。

 

 

新しく増えた同期の子と、その時流行っていた「にけつ」いわゆる二人乗りを

 

 

していたら、それを先輩に見られてしまい

 

 

事態は悪化する。

 

 

もちろん校則を破った罰を受けなくてはならない。

自分はにけつしている先輩が先頭を切って、私たちに厳しく的を向けた。

 

日頃溜まったストレスから何までとんできた。

毎日部活中、校庭を40〜60周しなくてはいけなかった。

 

足を崩せば、これまで小学校で一緒に部活をやってきた仲間だと思っていた子たちが

先輩に「Rooibos、足崩してました。」と告げ口をする。

 

 

あの「中学も一緒にバレーやろうね!」と言ってきたキャプテンが、いつも

見張を自ら進み出て担当しているようだった。

 

 

 

 

この部活内での大きな変化と、家庭では父親と母親が毎晩奇声をあげながら

大喧嘩をして、椅子を投げる音が聞こえたり、悲鳴が聞こえたり、

私の宿題や成績がああだのこうだの、散々認められない日が続き

 

 

学校のクラスで、不良の子たちから

いじめられ始め、それに伴い

他の男子やその友達らも同じように

消しゴムのカスを私に投げつけたり

上履きに画鋲が入っていたり

 

 

そのいじめを目の当たりにしていた担任は

目が合うと、ゆっくり目をあちらに逸らし

なんにもしてくれない。

 

 

 

 

 

そんなこんなで私の中のコップの水が溢れかえり

 

 

 

 

私の非行生活が幕を開けたのだった。

 

 

 

不登校などの理由で家にも居れず、クラスにも入れず

公園で一人でいるところを、不良グループに見られ

「一緒においでよ」と声をかけられたのが

 

自分の中の、まるで、JOKERが目覚めたような感覚だった。

 

 

 

非行少年だった頃の履歴はまた気が向いたらあげたいが

 

 

 

私はこの長い長い精神的苦痛から学んだことを、

 

 

 

 

娘にできて本当に良かったと思っている。

 

 

 

それは

 

 

 

 

「ママ、私放課後のスポーツクラブ、あまり好きじゃないの。」

と、インターナショナル校に通う娘から相談を受けた。

 

 

 

「あ、そっか!じゃ今度クラブ辞める手続きしてくるね!」

「よく頑張ったね❤️」「娘は自分の好きなことをしていいんだよ」

と、あっけなくクラブを退会させ、

代わりに夫と考えた中国語クラブに入会させてみたことだ。

 

 

 

娘は現在4ヶ国語をペラペラ話す、ポリグロットだ。

 

 

そして今、楽しく中国語を勉強している。

 

 

スポーツなんて趣味でやればいい。

むしろ、苦痛を伴うくらいならやらなくていい。

 

 

この間も娘は、あなたは何歳?と中国語で聞いてきたりしたし、

 

 

今や先生には中国語でバイバイ!と挨拶をしっかりしている。

 

 

 

我ながら、実に恐ろしい娘ができてしまったと思っている。

 

 

 

自分の子供に無理強いをする親ほと愚かな親はいない(すまん、母親)と

思っている。

 

 

子供はやりたいことをやり、好きなことを伸ばしていけばいいのだ。

 

 

 

それをさせないから、不良、また不登校者は増える。

 

 

 

日本はそんな簡単なこともわからない。

 

 

大衆を優先する文化だから。

 

 

 

 

その点では、ここが日本ではなくて本当に良かったと思っている。

 

 

人間不信に陥った私も、今やリハビリと心に決めて

人にまた心を、ほんの少しずつではありながらも、開ける練習をしている。

 

 

 

不満を増やす文化では、幸せな子供は育たない。

 

そんな文化では、能力を伸ばすことも叶わない。

 

 

 

 

部活なんてスポーツなんて、団体行動なんて

 

それがまるで生活の指針になるなんて

 

 

それはまるでカルト教と同じだ。

 

 

 

 

絶対自分が一番大事だ。

 

 

 

子供を外からも内からも守る環境でなくてはいけないのだ。

 

 

 

スペインから、反面教師で今日もこれから、

ずっとやりたかった大好きなアート教室に向かってくる。

 

 

 

今の自分が好きだ。

 

 

娘もそう思える人であってほしい。

 

 

自分を守ろう!