ダイヤの涙の海 -9ページ目

マリッジブルー/ハローワークで世間と触れ合う/それでも僕は踊り続ける

私にとっての6年間

トニー滝谷と洋服を捨てるという行為について

服を捨てた。

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引っ越しである。遠征の用意すら嫌いな私が、引っ越しである。
そもそもモノが多く、かつギリギリまで仕事をしていて、
何よりも富井のやる気がない(←おい)ので全然進んでいなかった。

もうあと引っ越しまで数日しかないタイミングで富井母が手伝いに来て、
ちょっとヒステリックに怒られる。やってないから。

仕方ないので(?)、今日もしこしこと自宅で洋服の整理をしていたわけだが、
まぁ、まぁ、まぁ、
大量の洋服
まず2年しか住んでいないマンションの1室だけでも、
死ぬほどある。これからも着る服はでかい段ボール3個分ぐらいにギューギューに詰めた。
問題は着ない服。私は『いらない』と決めたら結構非情である。
仕分けは結構順調に進み、ごみ袋にぎゅうぎゅう詰め、それでも45Lごみ袋4個分。

私はトニー滝谷の気分である。
大量の自分の抜け殻を見る思い。
かつては確実に気に入って着ていた綺麗なお洋服たち。
でも彼らは今は誰にも袖を通してもらえないのである。
かつて彼女の体をキレイに着飾っていた彼らは、
沈黙してただそこに存在している。

・・・という村上春樹ごっこをして、ごみ袋を外に出して
実家へ帰ったのだった。

『トニー滝谷』。
彼の美しい妻は、トニー滝谷とのシアワセな結婚と同時に
かつて彼女を素晴らしく、美しく見せていた洋服のコレクションに
ますますはまるようになる。それは『必要』をとっくに越え、
病的なほどだった。
毎日1枚づつ来ても、一生かかっても着られないよ。
そんなに必要ないんじゃないかな、と彼が説得し、
彼女は買ったお洋服をショップへ返却する途中あっけなく事故で
亡くなってしまう。
そして、後には彼女が生前コレクションした大量のお洋服が彼の元に残された。

実家に戻ったら、富井母が「整理しろ」と私が実家に置いてきた
洋服を全部リビングに出してきていた。
「女優の家かと思った」と皮肉まで言ってきた。
いや、私もびっくりした。自分、女優かと思った(ふざけろ)。
やべーな。マンションだけでも死ぬほどあったのに、
実家にあるものの量も半端ない。

これは会社に入ってすぐの年に買ったシンシア・ローリーのアンサンブル。
転職した頃によく履いていたロイス・クレヨンのジャガードスカート。
あー営業時代のバーバリー・ブルーレーベルのベロア生地のジャケット、なぜか3枚。
同じくバーバリーのトレンチコート。なぜ茶色買った。
それからバンギャ時代のBPNのドレス、ワンピース、ジャケット。
さらにOZZ ONのバンド衣装、これもまた大量。全部黒。
全部、もう着ない。でも、好きだった。
気に入って何回も着たものもあるし、1回しか着ていないものもある。

私の抜け殻。記憶の断片。

トニー滝谷は奇妙な依頼をする。
妻と同じ背格好の若い女性に、この部屋にある洋服をどれでも持って行って
着て欲しいと言う。
若い女性は最初、キレイで上質なお洋服をこんなにたくさん見たことがなかったので
とても興奮し、お洋服を選び始めた。
そして何分過ぎた頃だろうか、
彼女はいつの間にか泣いていた。とても、悲しくなって。

このシーンは確かフィッツジェラルドのオマージュだったと
記憶しているのだけど(出典忘れちゃった)、
何とも言えない共感するものがある。
結局実家のものだけでも、着ない服を詰めたごみ袋は何袋もあった(冒頭の写真。何がジョイフルじゃい)。
すごくない?てか、なんかもう、病的。
私どれだけお金費やしたんだろう。
勿論買ってもらったものもあるけど、だいたいは社会人になってから
買ったお洋服だから軽く誰かの年収ぐらい…あばばばばばばば
てことは、買わなかったらむっちゃお金溜まったんじゃ…

ストレスフルな社会人生活の中で、
お洋服を買って幸せだったんだろうなー私。
何か足りないものを埋めたかったんだろうか。
トニー滝谷の妻みたいに。

『トニー滝谷は、本当にひとりぼっちになってしまった。』
確か最後の1文はそんなんだった気がする。
ひとは常に孤独と向き合って生活しなくちゃいけない。
そんな風に感じる小説です。

村上春樹ごっこはさておき、
無事引っ越しは終わるのか…!!!俺!!カミングスーン…!!!!!

ライブ直前まで液体部屋だと思ってて危うく間違えるところでした。富井です。

愛すべき

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青山で、春の日差しを感じながらのカフェ。


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銀座で、白い食器と赤いベリーのコントラストに酔うカフェ。


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家族みんなで食べた、チャイニーズカフェ。

書き出さなきゃ忘れてしまうような一瞬。色んなカフェで色んな話をしているのにきっと、忘れてしまう。でもカフェに行くとあの人と一緒に行ったなって記憶だけはなんとなく残ってたり。久々にその通りを通ると、急になくなってしまったりして少し寂しかったり。
記憶と忘却と、声と会話と、気配と匂いが澱のように重なる、愛すべきカフェ。