気功では、周易もうまく使わないといけませんが、中国人が日本に気功を紹介しながら、周易について触れていないことは大きな問題だと思います。

日本の易経研究というのは、伝統的に非常に優れていますから、現代の中国人も、日本で下手なことは言えませんね。


さて、周天派の南宗では、周易参同契は参考にしますが、北宗では太極拳の中に、具体的な形を残すことになります。たとえば、楊露禅はその楊式太極拳の攬雀尾に、易の四象を盛り込んだことは前にお話しています。攬雀尾にかぎらず、太極拳のすべての式は、八卦に従わないことはないはずです。

(八卦掌というのがあるので、八卦掌だけ八卦にしたがっていると考えるのは軽薄すぎます。)

また、20世紀になって、再び、易をたどり直す流派も現れます。21世紀には、さらに今、顕在化しています。一つのムーブメントになっています。


形に残されたことを読み解くのも、気功の重要な仕事です。


朱子は、周易のもとの形を復元しました。
爻辞を外して、後ろに置くことです。
すると、周王の原文のあとには、王いの解釈と孔子のれん辞伝が続きます。
孔子の華麗な文章は、爻辞に頓着している様子がまったくありません。周易から直感的に生まれたのでなかったとしたら、これほど華麗な文書になるはずがありません。

つまり、周易の本質に迫るために、易占では頼りにする爻辞をまず全部外してしまう作業をします。
これは、気功の仕事なんです。
つまり、気功の仕事は、周易を利用しますが、易占には対抗する姿勢を示します。
そこで、こういう表現をひとまずしておきます。
気功は占いません、"処置"します。
たとえば、足かせという言葉が爻辞に出てきますね。じゃあ、実際に、足かせを付けてしまうということです。
こうすると、孟子が見えてきます。
つまり、この方法は正解だということです。

易の前では、どのようなもっともらしいスピリチュアルの寝言も、木っ端微塵です。

ついでに、道家贔の中国人も、これを問い詰められると逃げる。儒家は、"反"自然のふりをした自然。耄碌したのは、もう関知する必要もありませんし、日本での影響力もありません。
流石に、そこは儒教の国ですね。

ともかく、朱子は以下の通り、理気学説によって、気の理論と仕組みを解明してしまったのですから、これに従っていなければ、亜流Epigoneです。
これは、ハッキリしています。学術的に。

どうしても、気に他のしくみがあるというんでしたら、学術で発表してください。
できる限り、その全体の仕組みを形で示せなければ、あなたはEpigoneにまちがいありません。
心して、聞きなさい。在留の中国人指導者もです。

今日も、中国の若い世代は、こんなことを言ってます。
天行健、君子以自強不息

天は健やかに行きて、君子は自ら強くすることをやめない。

周易・易経ですね。

在留中国人指導者は、オッサンやね。
君ら、文革の影響から、まだ脱してないわ。
臆病者。



話は変わりますが、これから日本では八極拳が流行りそうですね。中国人のおじさんたちも今からやっておくと、乗り遅れません。