前に、気功の成果の測定法について書きました。
拳のスピードでしたね。
まっ、瞬間的な測定法ですとこれでハッキリ見れます。大谷の球は、投げても打っても速いです。
そのうえ、美しい。
次は、これ。美しいか、ということ。
動功をしても、太極拳をしてもいいわけですが、美しいかどうか。気功と武術の達人から、伝説的な医学者も現れました。
でも、拳だけでは、どうしてもヤボな空手のおにいさんみたいで、ちょっと美しいというものじゃないです。やっぱり。
次です。美しいのでしたら、実際に芸術で表現してみることです。
絵画でも、音楽でも、書道でもいいです。
やっぱり、造形にもスピード感は現れます。
歴史的にはこういう人物は多いです。
代表的なのが、王義之。
みなさんは、王義之の書体で名前を書きますね。
楷書です。
彼は、4世紀には、造形と気功の関係を把握していました。
もっと行けば、仕事上で機会があれば、技術開発や商品開発をしてもいい。抽象的よりは具体的な設計やクリエイティブのほうがわかりやすい。
こういう機会のない方でも、日常の仕事がスピーディーかどうかは確かめられます。
どんくさいのは、どこでも仕方ない。成果なんてないか、気功の鍛練法をまちがっている。または、気功自体の考え方がまちがっている。
スピリチュアル能力を期待するようなのは、下の下。そんな人間、世の中の役に立つはずがない。
運が勝手に転がり込んでくると思っているなら、クズ。こういう人間は、偏執的なので、最先端な発想などに縁はありません。
最先端な世界では、かならずしも独創よりも、おなじ発想をする者が同時に複数現れる場合がむしろ普通です。まったく会ったことのない人間が、離れたところでおなじ発想を持っていたりします。
こちらのほうが、よっぽど不思議です。こういうことが理解できなかったら、やっぱり偏執的です。
その上、もう一つ。創造というのは、いくら優れていても、その独創に賛同する人と反対する人がほぼ半数ずつ現れます。これもまた、不思議です。こういう事態に忍耐力がなければ、どうしようもありませんね。
今、東京でたしかキュビズム展をしていますが、ピカソだって賛同・反対する美術家は半半ですね。わたしは反対のほうです。
なぜ、創造の世界でこんな不可解なことが起こるかということのほうが不思議なんです。
スピリチュアルでボケてるのは、世間でいちばん始末がわるい。
スピリチュアルというのは、単純に日本では、ジェンダーギャップの現れか、同一ジェンダーでも機会の不平等から生まれる妄想です。
あるいは、それがわかっていても挑戦しない、ただの現実逃避です。
簡潔にまとめると、気功の成果は目に見える形であって、スピリチュアル・ボケがなにをしゃべっているかわからないようなことではありません。
大なり小なり、形です。
※ ※ ※
占いも、象(かたち)を表現したものですが、
易というのは、革命思想まで含まれる象の表現です。革の卦ですね。
革の卦にも、六爻ありますから、改める程度にも六つの状況があります。改善、改革、革命まで、
具体的な社会行動です。
せっかくの占いも、結婚や恋愛の相談に使っているともったいないですね。
易は儒教の四書五経の一つです。
戦争の仕方まで書いてあります。
日本の占いは、ただのジェンダー・ギャップ。わかりやすくいうと、性差別です。
ボーっと生きているうちに、すぐ老婆。
それが、占い師。
社会的に偉大な人物に出会う機会がないので、ネットで占い師がすごいと思い込み、現実では旦那さんしか、顔を会わせたことがない。
大体、そんなものですね。
ジェンダー・ギャップ。世界118位。
なにか、その日常の先にありそうと妄想するだけで、なにも起こらないと気づいたときは、なのをするにも体力さえなくなっています。ゾンビ現象。
占いをしなくても、99.999%確実です。
これだけ推論できたら、どうにかしろ。