それぞれの原理が、異なっているというお話をしてきました。
原理自体は、principles ですから、至極、単純です。それを、あれやこれやと考えるから、原理を利用できません。キルケゴールやないんやよー。
だれも、考えろなんて、教えてません。
で、そういうことを考えるから、こうすりゃいいとか、ああすりゃいいとか、ウソのことを人に教えます。バカの連鎖です。
あれか、これかのバカの連鎖から抜け出せません。
原理・原則どおりに、すればいいいだけなのに、貧しい脳ミソを使おうと七転八倒しますが、そんな機能は脳ミソにはないのよって。
スピリチュアルや霊能なんて言ってのは、惨めな生活をしている人たちだって、どうしてわからないんですか? バカやねえ。スクワットしとけ。
実存哲学も、苦しみのたうった末に、いくつか真実を実証します。フッサールの意識。まあ、理論理性やね。メルロポンテイの身体論、サルトルの弁証的唯物論。。。
まっ。ちょっとは、爬虫類の脳ミソ・日本人ほどにはバカじゃないですね。
意識自体は、なにものにも干渉されない。
身体は、あなた方、爬虫類の脳よりも多くのことを考えている。
あなたが自由と思っているほどに、社会は絶対にあなたに自由をあたえることはない。
では。。。
ヨガの原理と気功の原理は、どうして異なるか、考えてみてください。
考えることではないと言いましたから、"把握"または"理解"してください。
理解は、考えること、論理的演繹(分析判断)とはかぎりません。これは、カントですね。
二つの原理は、それぞれ誤っていませんが、混同することは、誤っています。
今、NHKの空海を観てたら、やっぱり、空海はええこと、ゆーてます。
重重帝網即身。
Can you understand it ?
帝網は、重重やねんけど、それ、からだ !!
You know ?