確かに、気功には、バカだと、スピリチュアルや霊的と思い込みそうなことはたくさんあります。

それを、スピリチュアルや霊的と思い込み続けると、やっぱり、バカは一向に進歩しません。


仏教や道教の経典に、古くから解説されていることが、スピリチュアルや霊的なわけではありません。そう、思い込むのは、おばあちゃんが念仏を唱えるようなもので、老い先、短いのに、なんの進歩もないのと同じです。

経典には、念仏しなさいとは書いてありません。


ですから、物事をスピリチュアルや霊的と思い込んでいるのは、老い先短いおばあちゃんだけです。この世のことを、なにも理解しないで、去って行くからで、仏教にも無明と説明されていますね。これが、仏説です。

すべての仏教経典は、仏説と断るところから、始まっています。


ですから、釈迦から見ると、スピリチュアルや霊的と口走っている人たちは、バカ(無明)と言っています。

孔子も、論語の中でも、同じことを言っています。


気功の体系は、数的な構造を持った"関数の世界"です。八卦ですね。

これを関数の式で表現すると、どこに、スピリチュアルや霊的といった要素が出て来るんですか?

数字の0は、オバケのマークですか?

八卦の基本式は、どれをどう計算しても、0になるようになっています。

これが、気功の基本方程式です。

バカの要素が混入する余地はありません。


いい数学センスはいい教育で身につけるしかありません。じゃあ、気功もいい教育で身につけるしかありません。


じゃあ、スピリチュアルや霊的というのは、なにか?

バカには、理由がわからないので、そう言ってるだけ。

こういう論証をするために、龍樹が大乗仏教を宣揚する時に、論理文法を作りました。その結論を要約したものが、般若心経ですね。


それは、ともかく。スピリチュアルや霊的と言っている方は、日頃、自分のしないといけないことをしていないだけと、ちがいますか?

それを、スピリチュアルや霊的な問題に、すり替えているんじゃないですか? 

というより、すり替えています。