如何が己身の膏盲を遼せずして、

他人の腫足を発露するや。

(三教指帰)


自分の毫盲に入ってしまった病気を放って、

あなたは、なにを人の足が腫れてるなんて、とやかく言ってるんですか。という空海の問いかけです。毫盲の病気というのは、黄帝内経にいわれるように不治の病ですが、腫れた足は治療の見込みがあります。


高校時代に、古文や漢文の授業を上の空で聞いていた方は、いつでも遅くありませんから、漢語に触れる時間を増やしましょう。

カルト、オカルト、スピリチュアルの毒から、あなたを守ります。これが、漢語の重要な力です。必ず、唐宋の漢詩に触れることになりますが、不健全な頭では、漢詩は読めません。


できれば、空海の著作を読んでいただくといいですが、膨大な量の文章を書き残しています。これだけ大量の漢語を駆使した人物は、中国の古典でも見当たらないほどです。日本の歴史上でも、最高の漢語力を持っていました。黄帝内経まで読んでいたことがわかります。

空海の文章は、そこそこの漢語力があっても読解するのはむずかしいですが、弾丸のような漢語が飛んできます。


もとより、三教指帰は唐に渡る前、空海20代前半の著作・聾鼓指帰をのちに改訂したものですから、唐に渡る前に日本にある儒教、仏教、道教の経典は読破していたことになります。

三教指帰は平安時代の官僚・貴族の教養書でした。


スピリチュアルやオカルトは、聾鼓。聾唖者が太鼓を叩いているようなもの。