気功鍛錬で「帯功」をする場合、生徒は、老師の気場に


はいって、練習していますね。


帯功というのは、先生と生徒が、いっしょに練習すること。


この帯というのは、「つらなる」という意味も、当然あるでし


ょうが、先生の気場というのは、「帯脈」の延長線上にでき


あがった、豊富な気の空間のことです。


この中で、生徒が練習できるので、気感なども、早く習得


できるようになります。


ちょうど、親鳥が、卵を孵化させるのに、いつも、抱きかか


えて、温めているようなもです。


ですから、鍛錬された老師に学ぶことは、上達も速いとい


うことになります。



なぜ、また、帯脈の延長線上かというと、先に、お話した


豊かな神気穴を、老師は、そなえておられるからでしょう。




この「帯功」を、もっと、一般的な考え方に拡大すると、日


常的な空間でも、お互いの気場とかかわりながら、生活し


ているということになります。


たとえば、家族が、ひとつ屋根の下で暮らすということは、


お互いの気場をいっしょに経験しているということになりま


す。これも、集合的なエネルギーの場です。


さらに、会社でも、同様ですね。


どんどん広げていくと、自然の気と、相互しながらも、かな


り、お互いにエネルギーを干渉しながら、暮らしているのだ


ということが、わかってきます。




もう一つ、気は、単なるエネルギーではなくて、情報を伝え


ているものですね。


これが、大切で、また不思議なところです。


感情も、情報の重要な要素ですね。


思考もです。


すべて、意念とよばれるものです。



自然界の気は、たとえば、風水として、その地の気場があり


ます。その地気場が、特別な情報をもっていることもありま


す。


しかし、社会関係の中で、明らかに大きな影響をもっているの


は、人間同士の意念や感情の情報、そしてお互いのエネルギ


ーだということは、言うまでもないでしょう。



儒教が、もし、風水と易占だけで、人間の運命を決定付けられる


としたら、孔子は、四書五経の中の「易経だけ学べ」と言ったでし


ょう。ところが、そうじゃないですね。


儒家も、気を重要なものとして、取り扱うことは、「朱子学」を見れ


ばわかります。中心にあるのは、「理気」ですね。


実際、朱子が、気について書き残したことは、非常に多いですね。


日本では、大阪市大を中心にして、数十年かけて、「語類」を翻訳


しようというプロジェクトが進められています。



こうして見てくると、人間の集合するところには、自然におたがいの


気の場が生まれ、また情報交換が、自然に行われていると考えるこ


とができますね。


当然、言葉は、その中で重要な交換方法ですね。


気であり、情報です。



日本語も、西洋の言語もそうですが、A・I・U・E・Oの母音を基本にし


ていますね。


ちょっと、真言のことを思い浮かべてください。


結論から言えば、しっかり、毎日、A・I・U・E・Oを、きれいな言葉で、


しっかり話せば、いい気と情報を交換することができるようになって


います。




情報というのも、言葉に含まれている意味だけじゃないです。


真言のはたらきを理解すると、それは、マトリックスではたらくことにな


ります。




さて、ますます、「理気」というものが、浮かび上がってきました。


程氏と朱子と、はたまた、中医学の理気学説と、どう絡まっているのや


ら、・・・

すくなくとも、儒家気功というのは、理気を中心にすえた気功学派でな


いといけないですね。馬;礼堂という方も、よく儒家を引き合いに出す人


です。