2度の離婚〜初めの結婚生活 | 世界のどこかで感じるがままに〜

世界のどこかで感じるがままに〜

日本を離れて海外に住むことなんて思ってもいなかったわたし
そんなわたしがタイ・バンコクに移住して早3年

とっても真面目でカッチカチな固い考え方だったわたしをゆる〜くしてくれた海外生活。

そんな生活の中で日々、感じることを綴っていきます

サワディー カー 

タイ🇹🇭からロンファです

 

 

 

 

2度の離婚を経て

タイ🇹🇭にて

第3の人生 満喫中です

 

 

 

 

今回も

2度  離婚したことによって

気づいたことについて

綴ってみよう 

 

 

 

 

 

 

ということで    第2弾〜 

 

 

 

第1弾はこちらから

 

 

 

ロンファ  20歳

1人目 元夫  19歳

 

愛媛県松山市での結婚生活

 

ロンファは

母が信仰していた宗教に

中学の頃から浸っていた

(親の決めた環境で生きるしかなかった)

 

偏った世界観

偏った知識

 

 

多くの制限がかされる

 

母の決めた枠にはめこまれた生き方

 

 

優等生でいなければならない

 

自分の想いのままに生きるより

全知全能の神に従い生きること

 

自分が主役の人生を生きていなかった

 

自分の思いを伝えるってことは

とても難しいことだった

 

 

自分の思いをどれだけ話したかったか

 

いつもそれが喉に引っかかり

苦しくて苦しくて・・・

 

 

そんな感じなので

相手に人が自分の考えを主張したり

伝えたりすることが苦手

 

自己表現ができない

 

 

ただ、一般的な妻?の役割は果たす

 

 

建築業だったので

朝 はやーくに起きて

 

お弁当を作る

 

夜中  3時に出勤というときでも。

 

 

結婚してから出産までの半年間

いろんな喧嘩もした

 

 

その中で何がそう思わせたか忘れたが

絶対 離婚してやる…】と思ったことがあった

 

 

出産まじかには

急性胃腸炎にかかったり

何やら  精神的にきつかったのだろう

 

 

出産後に

強烈に離婚を決意することがあった

 

 

 

 

はじめての子育ては

わからないことがいっぱい



 

赤ちゃんが訴えていることがわからず

ずっと泣きわめき…

 

何度、赤ちゃんが

言葉を話せたらいいのに!と

思ったことか…

 

 

 

ある時、母乳を飲ませていた時

 

いきなり  今まで飲んだ母乳を

マーライオンの様に吐き出す

 

 


泣きわめき、

泣き続け

 

どうしたらいいのかわからない

 




そんな時

自分も一緒になって泣いてしまった

 

 

それをみた元  元夫は、

 

子供が泣いてるからって 

一緒に泣くな!”と

 

笑いながら言ったのだ!!

 

その時が、離婚を絶対にしてやる!と

思った瞬間だった。

 

 



愛媛にいた頃は、

近くに母もいて 母の宗教仲間もいて

普段は、その中にはまっていた

日曜日の昼間の集会があったり

昼間は、布教活動をしたり

 

 


今 こうやって振り返って

客観的にみてみると

 

 

元 元夫にとってみたら

自分より母との時間が多く



 

それも訳のわからない

宗教に行ってるし…

 

よくは思ってないですよね。

 

 

 

 

家族なら家族の時間を最優先に過ごす

 


 

母親の厳しい制限から

抜け出すための

ツールとしての結婚

 

 

 

結婚することによって

直接的な母親からの制限は

無くなったものの



 

結局、母と行動することを選んでいる

 


母との時間を共有したいがために

その宗教に属している

 



そもそもその宗教も嫌だったのに…

 

 

 

 

そんな時 

愛知県で会社を経営する伯父からの

元 元夫への仕事のお誘いがあり

 

 

愛媛県松山市での結婚生活は

結婚してから1年半で終わりを迎えた

 

 

 

それと同時に

本当の意味で 

 母親から離れることになった



続く〜キラキラ

 



最後まで読んでくださり

ありがとうご財増すおねがい 

 

 

 



タイより愛を込めて

龍華(ロンファ)