ずっと探していた曲が、今夜ようやく見つかった。


18歳でハワイに住み、右も左も、言葉すら分からないまま。
i20を持って渡米、ソーシャルセキュリティ番号を取り、IDを作り、家を借り、車を買った。

今と違ってネットも携帯電話もない時代。
よくやれたものだと、自分でも感心する。両親からの送金がなければ生きていけないので、何も分からないまま銀行に行きなんとか口座も作った。今みたいな翻訳機もない時代に笑
わがままを支えてくれた両親にも、心から感謝。

1988年。
国際電話電話は公衆電話からオペレーターを通して「オーバーシーズコールをお願いします」と。
電話代も高く、飛行機だって格安航空券なんてない。

夢のような生活だったけれど、悪夢のような日々でもあったのかもしれない。
それでも、僕は今も相変わらずな生活をしている。

甘えた自分が嫌で海外へ出た。
帰国後もカナダやアメリカとの仕事を手探りで始め、その後は韓国、アジアへと移り住んできた。しかし日本に戻る度に何故か僕は甘くなるそれが嫌でまた外に出る。

「初心忘れるべからず」なんて言うけれど、その時の自分を支えてくれた曲がどうしても思い出せなくてモヤモヤしていた。この数十年。


何もない時代だったから、ホノルルのアラモアナセンター近くのタワーレコードで、最新のシングルカセットテープを山ほど買った。
大量のカセットを抱えて、真っ赤なアウディでドライブばかりしていた。

そこまでたどり着くのも大変だったけど、頑張って生きていたなと思う。

色んな人と仲良くなった。
人間国宝の鍛冶屋の娘、大阪のヤンキー、サラリーマン金太郎のモデルみたいな東京の伝説の暴走族の特攻隊長、ホテルの御曹司、有名な結婚式場の娘、マレーシアの材木商の息子、シンガポールのおぼっちゃま…。
僕以外は、一生お金に困らない人たち。

毎日が波瀾万丈だった。
不安定な環境が好きなのか、その後もそんな日々ばかり。
でも、ハワイで鍛えられていたから、何も怖くなかった。

ハワイで鍛えられるってピンと来ないかもしれないけど、若かりし僕には十分すぎるほど試練だった。

食の世界も加速した。
何でもアメリカンサイズ、ハワイアンサイズ。
満腹リミッターは解除済み。
太るために生きているようなグルメな毎日。
これは今も変わらない。

あの景色、あの空、あの夕日、あの夜の花火…忘れられない風景が今も焼き付いている。

いつからか、生きた証が足りなかった。
忘れたい思い出が多すぎて、全部消してしまっていた。

でも、あの時の音楽が取り戻せるなら、また続きを描けそうな気がしていた。

そして今夜、その音楽が見つかった。



探しても見つかるはずがないと思っていた曲。
当時の全米ビルボード72位。
大好きなデビー・ギブソンの中でも、決して派手なヒット曲ではない。

アイドルとしてではなく、同世代のスターとして聴くだけで夢が持てた。

今夜、それが見つかったことで、数十年ぶりに「生きた証」を手に入れた気がする。

18歳の僕も、そこから生きた今の僕も、気持ちは変わっていない。


今の僕に必要なのは、あの頃のような突き抜けたパワー。
あの頃はもっとピヨってた気もするけど(笑)、今ならもっともっと突き抜けられる。




💿 曲名:We Could Be Together – Debbie Gibson(1989)

あの頃の僕を、今に連れ戻してくれた一曲。

ここ数年、なぜか予想が当たらなかった。
かつては、出来事のつながりを読み解いて、未来のゴールを描くのが得意だったのに。

どこかでズレ始めて、思いもよらない方向へ転がることも増えた。
でも今振り返れば、それは自分の力不足ではなく、関わっていた“環境”のせいだったのかもしれない。

嘘つき、詐欺師、裏切り者——
そんな存在が近くにいれば、どんなに努力しても、たどり着くのはせいぜい“小さな結末”。
本来のゴールには到底届かない。

他人の自分勝手な思惑は僕を惑わせる
すべてを吹っ切った今
自分の選んだ道を、ただ真っ直ぐに信じて歩いている。

そして今日、また“的中”した。
流れが見える。

だからきっと、このまま進めば…
本来望んでいたゴールも、来る。

やはりこの部分は目をつぶろうみたいな付き合いは心から楽しめない。楽しむからには全力が良い。

今は毎日が、少しずつだけど確実に、良い方向へ向かっている。
そんな手ごたえを感じながら、今日も進んでいる。

2025年の7月は良い締めくくりだった。


インドネシアはまさに宝の宝庫


毎日毎日、これでもかってくらい仕事が舞い込んでくる。
買付が全く追いつかない。
今日も、明日も、明後日も――
ジャワ島を駆け巡るうちのスタッフたちは本当に逞しい。

僕がこのプロジェクトに加わってから、まだそんなに時間は経ってない。
それなのに、もう第三工場が稼働した。
このスピード感、自分でも驚くくらい。

本当なら、もっと大きな案件も受けられた。
でも投資家さんの都合で延期に…正直、残念だった。

でも、それでも言える。

儲かる。
ちゃんと利益は出てる。
……まあ、給料はもらってないけどね(笑)。

今はとにかく、会社を大きくしたい。

このままいけば――
9月にはもう一つ工場が立ち上がる。
11月には、投資家なんていなくても、自力で大型案件に挑めるかもしれない。

色々と言われるけどさ、
「お前、そんなインドネシアなんかで何やってんの?」
って笑う連中に言いたい。

僕には国境なんて関係ない。
いくらでもぶっ飛ばしてやるよ。

今はまだ小さな工場。
だけど、間違いなくこの仕事は伸びる。
それを誰よりも僕が確信してる。

ある日、謎な金持ちにこう言われた。

「へえ…そんな大変な仕事してるのね」

ああ、大変ですよ。
でもね、大変だからこそ価値がある。
僕はそうしか答えられなかった。

いつの時代も、忘れてはいけない労働がある。
誰かが汗を流してるから、社会は回っている。

仲間が必死に頑張ってくれているからこそ、
僕たちの暮らしは守られてる。

感謝なくして、幸せなんて絶対に訪れない。

大きな金額の仕事だとか、小さな仕事だとか、そんなのは1ミリも関係ない。

大事なのは
どれだけその仕事に、心を打ち込めるか。
どれだけ熱を持って向き合えるか。

それが分からないヤツは、現場になんて来なくていい。

涼しいホテルのラウンジで贅沢な飯でも食ってりゃいい。

汗をかいたあとの、水のうまさも知らないような、そんな哀れな人間に、僕はなりたくない。