ゴールドの誘惑


どこまでも、ゴールドは美しい。


その存在は、美しさを超えて、魔力のようにも思える。



インドネシアに投資を始めた時のことを思い出す。



僕のパートナーは、非鉄金属リサイクルのプロだ。

彼の見立ては、すごく明確で正しい。

仕事に対する姿勢も、経験も、判断も、信頼できる男だと思っている。



彼は以前、金取引で親友に金を持ち逃げされたことがあると言っていた。



そこから立ち直るのは、本当に大変だったと。


僕はその話を聞いた。

彼の生い立ち、家族構成、仕事に対する熱意、宗教観。



いろんなものを見て、彼を信頼するに至った。



その時に、強く感じたことがある。


それが、金の魔力だ。


どれだけ心を許した親友でも、目の前に金があると、一瞬で変わってしまうことがある。



これは僕自身も経験している。



これは、裏切りというより、豹変なのだと思う。



もちろん、盗みは悪い。

悪いことに決まっている。



でも、目の前に何億円もの価値があれば、人は気の迷いを起こすことがある。



これを理解できない人は、意外と多い。


「私は目の前に何十億円あろうとも、悪いことはしない」



それは当たり前だと思う。

そう言える人が普通だと思う。



でも、人間は豹変することがある。


しかもそれは、本人にも制御できないことがある。



たとえば、銀行強盗ならまだ理屈としてはわかる。大金を狙うという意味では、悪いことだけど、理由は見える。



でも、なぜタクシー強盗が起きるのか。

タクシーにある現金なんて、せいぜい数万円かもしれない。

襲う理由も、襲われる理由も見つからない。



それでも、そういうことが起きる。


これこそが、人の豹変なのだと思う。



もうその瞬間、いつものその人ではなくなっている。



世の中は、法律や契約や管理体制というシステムで、そういう豹変をなるべく防いでいる。



だから僕は思う。


「あの時の彼が悪いやつだった」


そう考えるだけでは、足りないのだと思う。



僕は、悪いことをした人をたくさん見てきた。

「なんでそんなことをするの?」と思うこともたくさんあった。



でも、その人たちが普段はいい人だったのも間違いない。



だからこそ、僕は思う。


「この人は絶対に安心」


そんな言葉は、この世にはない。



人を疑って生きたいわけではない。

でも、人を信じることと、仕組みを作ることは別だ。



僕は、そのリスクを最小限にして、

自分のコントロール下に置けるものだけを、投資対象にしたい。



今回、僕らはゴールドの世界の入口にいた。


正直に言えば、僕も口元が緩んだ。

一瞬、夢を見た。



彼はそのまま進み、僕は別の道を選ぶ。


彼はすぐに大金持ちになるかもしれない。

それはそれで、彼の道だと思う。



でも僕は、そのやり方は続けられないと判断した。


もちろん、彼に気を使うなら、一緒に進むべきだったのかもしれない。

でも僕は、もうそんなに若くないのかもしれない。



楽しく生きてこそ人生。



経験上、これは楽しくない。



初めての途中下車かもしれない。


でも、結果を見るまでもなく、

僕の決断は揺るがなかった。


許される日


今日は父の命日。

父が亡くなった日、僕はミャンマーにいた。

あの頃の僕は、まだまだ苦しくて、親に会わせる顔もなかった。毎日、一生懸命生きているつもりだったけど、どこかで逃げていたのかもしれない。

母からの電話があり、父が亡くなったと聞いた。僕はそのままベランダで泣いた。

ありがとう。
ごめんなさい。
悔しさ。
怒り。
情けなさ。
憂い。
苦しみ。

いろんな感情が一気に出てきて、涙が止まらなかった。

泣いたところで何かが解決するわけじゃない。
そんなことはわかっている。
でも、あの日は泣くしかなかった。

父に歯向かった日々。
素直になれなかった自分。
認めてほしかった自分。
強がっていた自分。
いろんなことを思い出した。

それでも父は、最後まで僕を呼ばなかった。
今思えば、父は僕の未来を信じてくれていたのかもしれない。

「あいつも、いつか成功するから大丈夫」

父はそう思ってくれていたのに違いない。

ただ僕が、それを受け入れられていなかっただけだ。

こんな歳になって、そんなことに気づくなんて、また恥ずかしい。笑

今の僕は、成長しているのか、していないのか、正直よくわからない。
自信満々でもない。
不安もある。
迷いもある。

でも、最近少しだけ生きる道が見えてきた気がする。

甘えて生きてきた分、本当に時間がかかった。

でも、足りないことがあるから探す。
足りないことがあるから動く。
足りないことがあるから、僕は諦められない。

それが僕の終わりのない探究心であり、
僕の生き方なのかもしれない。

今日は母とも話ができた。
良いとか悪いとかではなく、
自分が本当にやりたいことを話すことができた。

どこまで遠回りしてきたんだろう。

でも、もういい。
これからは、全て自分で切り開く。

失敗しようが、自分で決めたこと。
いや、もう失敗しないよね。
今まで、散々いろんな経験をしてきたから。

今日、大きな決断をしたことで、
過去の自分に少しだけ許された気がした。

父に許されたのか。
自分に許されたのか。
それはよくわからない。

でも今日は、僕の人生の中で、素晴らしい日の一つであることは間違いない。

少なくとも今日は、
自分を少し許せて、
自分を少し認められた日。



「努力は報われる」
「必ず誰かが見ている」


よく聞く言葉だ。

たしかに本当だと思う。


でも、少しだけ違うとも思っている。

人は、あなたの努力そのものを見ているわけではない。


見ているのは、
あなたがやっていることに未来があるか。
可能性があるか。
自分にとって意味があるか。


そしてある時、
「ああ、それもいいかもね」
と共感した瞬間に、まるで昔から見ていましたよ、という顔をして近づいてくる。


僕には、最初から見えていた。
だからこそ続けてきた仕事がある。


うまくいくかどうか分からない時期。
誰にも相手にされない時期。
説明しても伝わらない時期。

それでも、自分には見えていたから続けてきた。


そこに、都合の良いタイミングで参加しようとする人がいる。


まあ、それでもいい。


ただ、その距離感に応じた付き合い方になるだけだ。


それが僕の本音である。


一方で、今の仲間たちは少し違う。

仕事があるから出会ったわけではない。
仕事がない時にも、支え合ってきた。
何か大きな成果が見えていたわけでもない。
それでも離れることはなかった。

良くも悪くも、つかず離れずだったのかもしれない。


でも、長く関係を続けられるということは、
どこかにお互いをリスペクトできる部分があるということだと思う。

その関係があったからこそ、
今、新しいプロジェクトが動き出している。


それでも、僕らにはぼんやりとしたゴールがある。


それは、年収いくらとか、会社の規模がどうとか、そういう分かりやすい数字の話ではない。


僕らの価値は、年収ではない。


やりたいことをやれること。
行きたい場所へ行けること。
会いたい人に会えること。
離れていても、愛する仲間たちと繋がっていられること。


それこそが、僕らにとってのゴールなのだと思う。


もしかしたら、外から見ればそれは大富豪の生活に見えるのかもしれない。

でも、僕らが求めているのは「大富豪」ではない。
求めているのは、生活だ。


誰かに見せびらかすための成功ではない。
誰かに勝つための肩書きでもない。


自分たちが心地よく生きられる場所。
自由に、風のように動ける環境。
必要な時に集まり、離れていても繋がっていられる関係。

そういう生活をつくるために、僕らは仕事をしているのかもしれない。


物事を見極めるタイミングは、早ければ早いほどいい。

早い段階で信じてくれた人とは、自然と信頼関係が深くなる。


逆に、安定してきたのを見計らって近づいてくる人に対しては、正直、あまり良い気はしない。


もちろん、はっきりとは言わない。


でも、僕の中ではそれが不変の答えだ。

人との関係を、損得だけで見てしまう人は多い。


でも、愛に都合は関係ない。
その人が上を向いている時だけ近づくのは、愛ではない。


その人が下を向いている時にも支え合ってこそ、未来がある。


仕事も、人間関係も、きっと同じだと思う。


分かる人だけ、仲間になればいい。
その他の人は、知り合いでいい。