安全か危険かわからないもの | 皮膚科医が放射能やアトピーについて考える

皮膚科医が放射能やアトピーについて考える

金沢市の野町広小路医院で皮膚科医をしています。
何を信じればいいのかわからないこの時代に、
医師の視点から放射能汚染や皮膚科医療の問題点について考えます。

私は放射能汚染された食物に関して
「安全か危険かわからないものは子供達に食べさせるべきではない」
とブログの中で何度か書いてきた。

「メカニズム的に健康を害する恐れがあり、安全性を確認できないもの」を避けるというのは、予防原則に従えば当然のことのように思える。
震災においても最悪の事態を予想しえた人々は、津波から生き延びることができた。


一方、このような意見もある。
「安全か危険かわからないものをさしあたり安全とする」という考えだ。
この考えを理解するために、プロトピックというアトピー治療薬の例を用いて説明してみたい。

プロトピックはアトピー性皮膚炎、とくに顔面の症状を改善する薬として日本で開発され1999年の発売以降、全世界で多くの患者に使用されてきた。

プロトピックの主成分であるタクロリムスは、もともと臓器移植の際に使用される免疫抑制剤で、飲み薬や注射剤として投与されると悪性リンパ腫の発生率を高めることがわかっているのだが、塗り薬として使用された場合に発癌性があるかどうかは動物実験でもよくわかっていない。
この薬の発癌性の有無については、この先20年ぐらい患者を観察してみないと誰にもわからないのだ。

つまり、プロトピックという薬は「長期的にみると安全か危険かどうかわからない」が「さしあたり安全」とされることで小児も含め多くのアトピー患者に使用されているということになる。
(私自身は小児へのプロトピック処方を控えている)

なぜこのようなことが許されるかといえば、患者は薬を使うことで病気を治すという利益を得ることができるからだ。そして利益と危険とを天秤にかけたうえで、使用するかしないかは患者自身が選択できる。



では子供たちの被曝について考えてみよう。

“安全か危険かわからない低線量被曝をさしあたり安全とすること”により、子供たちに利益はあるのだろうか。

危険ばかりで利益が殆どないように私には思える。

敢えて利益を挙げるとすれば“ストレスの軽減”といったところか。
ここでいうストレスというのは放射能への恐怖心や、被曝を避けるための行動(たとえば移住や給食拒否など)がもたらす精神的な影響も含む。
そして“原発事故に伴うストレスの軽減”という利益と、“将来の健康被害の可能性”という危険を天秤にかけ、被曝を受け入れるかどうかは個々の価値観や合理的判断にゆだねられることになる。


自分で判断できる大人たちはそれでもよい、と私も思う。
汚染地域に住みたい人は住めばよいし、汚染された作物が気にならない人は食べればよい。
やむを得ず被曝を受け入れる人もいるだろう。

だが幼い子供達は自分で判断し選択することができない。
だから大人たちが子供の命を守らなければならない、と私は考える。

安全と信じこまされていたものが最悪の事態を招いたとき、子供は親を恨むかもしれないし、親は後悔の念を一生持ち続けることになるだろう。

後になって
「国が安全だというのだから信じるほかなかった」
「当時の科学では内部被曝の危険性はわからなかった」
では済まされないのだ。



では、なぜ日本社会は子供たちを被曝から守ろうとしないのだろう。
それは「被曝を安全とすること」により利益を得る“大人たち”がいるからだ。

被曝のリスクを無視できれば、汚染された農作物は売れるし、瓦礫は広域処理できる。さらには今回の事故を過小評価することにより原発再稼働も可能となる。

大人の欲や都合を優先するのか、子供たちの健康を守るのか。
経済や利便性をとるのか、それとも倫理や安心をとるのか。

日本人の価値観が問われている。

私は医師として弱者を守ることを優先したいし、ひとりの親として子供たちのことを第一に考えたいと思う。



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