婚活を経て2020年40歳で結婚しました。
その体験記と現在を綴っています。
10月は結婚してからの気持ちを
綴っています。
それでは本編です。
⸻
私の取扱責任者は、私だった。
結婚すると、二人で決めることが増える。
今日の夕飯をどうするか。
休みの日に何をするか。
大きな買い物をするか。
どこに住むか。
これからどう暮らしていくか。
一人で決めていたことのいくつかが、二人のものになった。
それが結婚というものなのだろうと思う。
でも、二人で暮らすうちに、ときどき境目が分からなくなることがある。
どこまでが二人のことで、
どこからが私のことなのか。
たとえば、退屈な休日。
何か楽しいことはないかな、と思う。
夫が何か提案してくれないかな。
どこかに連れていってくれないかな。
たとえば、なんとなく機嫌の悪い日。
気づいてほしい。
優しくしてほしい。
できれば、私が何も言わなくても、いい感じにしてほしい。
前回も書いたけれど、なかなかの要求である。
もちろん、してくれたら嬉しい。
疲れている日にご飯を作ってくれたら嬉しいし、
落ち込んでいる日に話を聞いてくれたら嬉しい。
一人ではどうにもならないときには、助けてもらいたい。
頼りたい日もある。
甘えたい日だってある。
結婚したのだから、全部一人で何とかしなければならないとも思わない。
むしろ、せっかく二人なのだから、頼れるところは頼ればいい。
ただ最近、
頼ることと、任せてしまうことは、
少し違うのかもしれないと思うようになった。
私を楽しませること。
私を寂しくさせないこと。
私を機嫌よくしておくこと。
私がどう生きたいのかを考えること。
そこまで全部、夫の担当にしてしまったら。
夫はずいぶん忙しい。
そしてたぶん、私も苦しい。
相手が何かしてくれなければ楽しくない。
相手が分かってくれなければ満たされない。
相手が変わらなければ、私は幸せになれない。
そうなると、自分の人生なのに、
自分では触れないところが、どんどん増えてしまう。
思えば婚活をしていたころも、
「どんな人と結婚したら幸せになれるんだろう」
と、ずいぶん考えた。
優しい人。
話の合う人。
一緒にいて楽しい人。
安心できる人。
もちろん、一緒に暮らす相手は大切だ。
誰でもいいわけではない。
でも今なら、
あのころの自分に、ひとつ付け加えたいことがある。
誰と結婚するかと同じくらい、
その人といる自分を、どう扱うかも大事らしい。
夫婦になっても、
私が何を好きなのか。
何が嫌なのか。
今日は一人になりたいのか。
誰かと話したいのか。
何をやってみたいのか。
これからどう生きたいのか。
それを探す仕事まで、夫に渡さなくてもいい。
分からなければ、分からないなりに自分で探してみる。
やってみて、
違ったらやめる。
また変わったら、
「あ、今はこっちなんだな」と考える。
面倒くさい。
できれば誰かに取扱説明書を作ってもらって、
その通りに扱ってほしいくらいである。
けれど残念ながら、
私の取扱説明書は未完成だ。
しかも前に書いたように、
日によって内容まで変わる。
一人になりたい日がある。
誰かといたい日がある。
察してほしい日もあれば、
放っておいてほしい日もある。
四十年以上一緒にいる私ですら、
まだ全部は把握できていない。
だったら、完成した取扱説明書なんて、
たぶん一生できないのだろう。
それでも、
更新する人くらいは、自分でいたい。
自分でできることは自分でやる。
できないことは、誰かに頼る。
一緒に考えてほしいときには、そう言ってみる。
そして誰かに頼ったとしても、
最後に「私はどうしたいんだろう」と自分に戻ってくる。
私にとっての自立は、
何でも一人でできることではないのかもしれない。
誰にも頼らないことでもない。
自分の人生から、自分がいなくならないこと。
今は、そんなふうに思っている。
10月は、自分について書いてきた。
自分のことくらい分かっていると思っていた。
でも、知らない私がいた。
一緒にいたいのに、一人にもなりたかった。
自分でもよく分からないくせに、
相手には分かってほしかった。
なかなか面倒くさい人である。
そしてたぶん、
この先も新しい私が出てくる。
そのたびに、
「聞いてないんだけど」
と思うのだろう。
それでも、この人の人生を最後まで面倒みるのは、
たぶん私なのだ。
自分のことくらい、分かっていると思っていた。
どうやら、
分からないままでも、付き合っていけるらしい。

