八王子で妹と待ち合わせをして、いつものように横川サービスエリアで朝御飯を食べて、軽井沢のツルヤで少しお買い物をしてから小布施へGO![]()
今回の旅行で、かねてより私が行きたかった「北斎美術館」をやっと訪ねる事が出来ました。
去年は時間が無くて行けなかったので、今年は行けるようにと小布施の近くの湯田中温泉にお宿を姉が探してくれて、念願だった「北斎美術館」をゆっくり堪能する時間を過ごせました。
改めて、葛飾北斎が絵の神様に愛された、描きたい思いと才能が枯渇すること無い天才であり、絵を描く事が北斎には息をするのと同じように生きている事なのだと、後5年あれば本物の画家になれたと遺しているように、葛飾北斎が最期の最後まで次の高みを目指して描いていたのを感じました。
そして、やはり天才と言われた有名な画家が、幼少期に通っていた絵の教室で、鶏の足を模写する授業だったらしいけど、描いた絵を確かめた先生が見た彼の描いた絵は、そこに描かれて無い鶏全体を完璧に描いたもので、それを見た瞬間に先生は彼には何ももう教える事が無いと思ったという逸話を思い出しました。
葛飾北斎といえば富士山が有名ですが、今回は北斎の植物画を特集しており、向日葵や桜、百合、水仙など沢山の草花を墨でかかれた絵を初めて拝見しました。
色が無くても、花の色や香りを感じる息づいた絵は小さな植物図鑑を見ているようでした。
江戸っ子である北斎が何故小布施に80歳を過ぎた高齢なのに行ったのか![]()
江戸では飢饉や災害で人々の日常生活が困窮し、政府から天保の改革が発令され贅沢は禁止されました。
絵もまた贅沢品と制限されていたそうですが、そんな時も北斎の絵ならばと買い求める人達も居たらしいです。
きっと、苦しい日々の中でも、北斎の絵はそれぞれの人達に何かを感じさせてくれる特別な光があったのかしら?と私は思いました。
でも、そんな窮屈な江戸よりも、浅草時代に北斎と知り合い、北斎を師として心から尊敬していた小布施の豪農髙山鴻山氏を頼りに、240キロ離れた小布施に83歳の北斎は向かったという説があるそうです。
髙山鴻山氏は北斎が望む支援に全て惜しむことはせず、その支援のおかげで83歳~89歳まで小布施を拠点として、人生最後の絵師としての人生に没頭出来たとの事でした。
でも、90歳で江戸に戻り亡くなったのは、やはり江戸っ子だったんでしょうね。
「北斎美術館」では北斎が亡くなるまで、その当時の平均寿命を倍以上生きても足りないと思わせた北斎を動かしていた絵にかける燃える純粋な情熱と、時代を越えて生きている芸術に感激を味わえた時間でした。
この後、本日のお宿がある湯田中温泉に向かいました。
家を出た時は雲っていて、雨の予報もあった日程でしたが、予報が外れてお日様に護られた旅行日和の恵まれた2泊3日の旅でした。
母と姉と妹と4人だけで最初から最後まで過ごせた旅は初めてだったので、備忘録も兼ねて思い出を綴りたいと思っています。
お付き合い下されば嬉しいです![]()




