ニコニコ 例年に無い不順な気候、うんざりするような暑さの日が続いておりますが、お変わりなくお過ごしでしょうか?

私は、家事をしたり、病院に行ったりと不器用ながらマイペースで過ごしております。



「院内カフェ」という小説を少し前に読んだけれど、私も検査を終えた後に、院内カフェで過ごしながら本を読んだり、行き来する人々を見たり、時には後ろや隣の席から漏れてくる話しに聞き耳を立てたりしながら過ごす時間がとても好き。

大きな病院のカフェなので、患者さんやそれを支える家族やといろんな状況の人達が居て、例えばドリンクの注文の仕方だけでも、人の数だけ垣間見える人生のドラマを感じるのは、やはり院内カフェだからなのかも、、、



私に文才があれば、そこに居る方々を題材にさせてもらい小説が書けるのだろうが、昔、山田詠美さんが、「誰でも人生に1つは小説を書こうと思えば書けるのよ、でも書き続けられる事はなかなか出来なくて、それが出来るのが小説家なの」と雑誌のインタビューで言ってらしたのを思い出して納得する。


本屋さんでアルバイトしていた時に、作家志望の同僚の男の子が書いた小説を何回か読ませて貰ったけど、何枚もの原稿用紙に書かれた字が踊る事も風景が見える事も無かった。

原稿用紙を捲りながらやはり小説家になれる人は努力だけではない天賦の才がある人なんだろうと生意気ながら感じていた。

内容は全く覚えていないけれど、原稿用紙の重さと万年筆の綺麗な蒼いインクの色だけを今も覚えている。



今は母が脊柱軟骨圧迫骨折で、日がな1日を重いコルセットをつけながら殆ど寝て過ごしている。

3ヶ月は寝て過ごし、半年は週に一度の注射に通院する事になり、その後も無理を出来ない。


そんな母と最近「幸せ」について話す。

陽のあたる部屋で、贅沢な暮しでは無いが、家族が笑って過ごせて、口から好きな物を食べられて、文句も言い合えて、来年の話しも出来て、小さな小さな世界だけど「幸せ」と感謝する母。

そんな母と過ごせる時間を持てた現在に、あの院内カフェの風景を思い出す私。

88歳の母と過ごしながら、母の毎日を少しお手伝い出来る自分が、やっと正しい位置に立てたような気がしている。


例年の夏の立科旅行も秋に延期したけれど、秋の立科は錦繍という表現がピッタリする色とりどりの心に染み入る景色が広がるそうで、行った事が無い私は家族から聞いて今からワクワクしている。

何年か前から私が行きたいと切望している「御射鹿池」

透明度の高い水に写る景色が美しく、東山魁夷さんがこよなく愛した世界は、優美で幻想的な世界が広がると聞いている。

秋の御射鹿池の景色を、杖をつきながらゆっくり歩けるようになった母と家族が揃って、一期一会の御射鹿池に東山魁夷の絵の中に佇む、ペガサスのような白い馬が現れてくれないかしらと願っています。