私の父が心臓を患い暫くしてから、腎臓や他にも徐々に影響が出始めました。
それにより、水分制限(最後は1日600CC)、カロリー制限、カリウムの問題点から生野菜の禁止、糖分塩分制限と他にも色々ありました。
そして、入退院を繰り返しながら心不全が酷くなり、最後に入院した時に余命宣告をされました。
主治医が父はいつ亡くなってもおかしくなく、施しようがもう無いので、大学病院での仕事は終わりました。後3ヶ月~1年は無理だと思いますので違う病院をご紹介しましょう。というような冷たいものでした。
父も退院を望んでいたので、通院でお世話になっていた先生にも相談をし、暫く通院をして様子を診て頂く事になりました。
父には、余命宣告の事は伝えませんでした。
ここまでの内容だと、父は寝たきりのように思われるかもしれませんが、余命宣告後も、日本各地を旅し、夏は過ごしやすい場所に避暑に行き、秋は紅葉を見に行ったりと亡くなる少し前まで自己管理と私以外の家族の支えで楽しく生きていました。
父のBNPの数値は、普段から1800位あり通院でそれがまたに下がると主治医の先生も喜んで下さったそうです。
また、とても綺麗好きな人でしたので、散髪は月に1度は自分でバスを使って行き、お洒落も好きで、いつもきちんとしていました
入院していた時の主治医の予想を裏切り、父は旅行やお散歩で飲むコーヒーや大好きな時代劇を観たりしながら楽しんで生活を送り、3年半の時が過ぎ、82歳のお誕生日を迎えました
でも、虫の知らせとは本当にあるのかもしれません。
父との距離が埋まらなかった私は、家族が集まるお誕生日会にも出席せず、とりあえず電話だけでもと掛けた電話に普段は決して出ない父が出たのです。
短い会話でしたが、父が私を初めて認めてくれたような言葉でした
それから3日後、父は静かにそして本当に綺麗に乱れた様子1つなく亡くなりました。
見事な最後だったと思います。
たぶん、父の最後の何ヵ月は座っているだけでも辛かったと思います。
体重も最後は38キロまで落ちて痩せていましたが、父の遺骨はとても立派で生き様をあらわしているようでした
世間の普通の生活を送る事が困難になってからも、父の心は強く諦める事はなく、前向きに自分をもっていくように自分を奮起させ、最後まで自分と闘ったのだと思います。
私は父の望みに何一つ叶うような良い娘では無かったけれど、父から最後に教えて貰えたものの大きさを最近感じています。
パパ、ごめんなさい。そしてありがとう
親不孝な娘の父への手紙でした。
おつきあい下さり、最後まで読んでいただいてありがとうございました


