私のスタンスは「もっとやれ!」です。
私がどうしてイジメ事件にこうも反応をしめすのか。
私もイジメを経験していた人間だというのは何度か書いた事があるけど、どんなイジメを受けていたのか詳しく書いた事が無かったと思う。
私がイジメを受け始めたのは小学校高学年(5年だったと思う)の頃。
当時、急にクラスの女子が私を汚物扱いし始めた。
具体的に書くと、私が近くを通るのを異常に嫌がったり、席替えで私の席の隣になるとこの世が終わったかのような反応を示した。
机はあからさまに遠くへ離され、反応なんかもゴミ以下に扱われた。
何度か担任から注意は行ったが、結局小学校卒業まで改善されることはなかった。
そして中学校。
この頃になると、一部の男子からもターゲットにされはじめた。
女子との違いは、女子は精神的に私を蝕んでいったのに対し、男子は直接的にやってきた。
基本的にゴミ扱いなのは変わらない。
発言力と存在力がある男子がそれをやると、それをマネて嫌がらせしてくるのも増えていった。
こんなエピソードがある。
珍しく昼休みにドッジボールの誘いがあったと思ったら、それは私を集中的にターゲットにするため。
たまたま飛んできたボールを避けたら、別のクラスのちょっと悪い男子に当たった。
誰が投げたボールだと、その男子が言ったら、投げた男子は迷わず私を指差し、ボールが当たった男子は怒って私に掴みかかった。
倒され、踏みつけを食らった。
何度も何度も。
良く見たら、ボールを投げた男子やドッジボールをやっていた奴等も笑顔で加わっていた。
私は次第に学校へ行くのが嫌になった。
それでも頑張って行った。
毎朝、下痢と戦いながら行った。
1時限目をまともに受けたことはない。
保健室へ行っていたから。
学校で個室のトイレに入って用を足すというのは、中学校ではとんでもない行動だ。
トイレで大をしたというだけでイジメに拍車が掛かる。
しかも下痢だ。
だから1時限目を抜け、授業中、誰にも知られずに用を足していた。
2年になると研修旅行というのがある。
当時、なぜか男子は一つの大部屋に泊められた。
夜、私が眠ったあと、イジメのリーダー格のやつが私のズボンとパンツを下ろし、股間の撮影をしたらしい。
旅行が終わり、教室で私を除くクラスメイト(全員ではないが)がイジメのリーダー格のところにあつまり、私を見ながら笑っている。
その時は、何なのか理解できなかった。
クラスメイトらの行動に呆れた女子が私に教えてくれた。
写真を見ているのだと。
写真の内容も聞いた。
流石に限界だった。
帰宅して、様子がおかしい両親に聞かれた。
前々からうすうす気付いていたらしいが、私は聞かれても何でもないと答えていた。
小学校高学年の時以来、イジメの事実は言ったことがなかった。
心の中で現実を認めたくなかったから。
両親に言うことで全てを認めることになり、自分が惨めに思えてしまうから。
でも、その時は話した。
確か泣きながらだったと思う。
父は激高した。
そのリーダー格と両親を訴えてやるとまで言った。
でも、私はそれを止めた。
別にリーダー格をかばったわけじゃない。
裁判になれば、研修旅行で撮られた写真も大勢の目に触れる。
それが我慢できなかったからだ。
友達がいなかったわけじゃないが、友達が庇ってくれたりということは無かった。
リーダー格は体格も良く、腕っ節も強そうだったから、それは仕方ないだろう。
だが、友達と思っていた奴等からの扱いも次第に変わっていった。
結局、思春期にこういう経験をしたため、虐められっ子根性は私の心にしっかり根付いた。
実は、今でも対人関係は得意じゃない。
近くで誰かがくすくす笑っていると自分が笑われているように思えて仕方ない。
20年以上経った今でも後遺症のように残っている。
はっきり言って、思い出したくもない思い出だし、私の手元には中学校の集合写真なんて残ってない。
私にとっては暗黒の歴史だからだ。
未だに許せないし、恨んでいるし、ぶっちゃけ殺意だって持っている。
だからこそ、この手の事件は許せない。
学校側はイジメの事実を認めようとしていない。
はっきり言ってやれば良い。
あんたの学校では、確かにイジメはなかった。
あんたの学校で起きてたのは、暴行恐喝殺人事件だと。
記事で紹介されたアンケートには、同級生に弱々しい笑顔で大丈夫と答えていたとあった。
どういう気持ちでそう答えていたのか、私には痛いくらいに良くわかる。
加害生徒の実名・顔写真も いじめ自殺めぐりネット炎上続く
滋賀県大津市で昨年10月、中学2年の男子生徒が自殺していた問題で、ネットの炎上が続いている。これま..........≪続きを読む≫