映画「長崎ぶらぶら節」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

4月3日、BS松竹東急で映画「長崎ぶらぶら節」が放送されてました。興味があったので早速みました。

監督 深町幸男

俳優 吉永小百合 渡哲也

2000年 東映作品 115分

内容(映画.comより抜粋)

「日本三大花街のひとつと言われた丸山の遊郭に売られておよそ40年、長崎一と言われるまでの名芸者となった愛八は、その気っぷのよさから誰からも慕われていた。ある日、彼女は五島町の大店・万屋の十二代目で、長崎でも指折りの風俗研究の学者・古賀と運命的な出会いを果たす。学問を極める為なら、財産を使い果たしても構わないと考えている古賀。そんな古賀の頼みを受けて、愛八は長崎に伝わる歌を探し記録する旅に同行する。旅は約二年間に渡り、やがてふたりの間に特別な感情が芽生えるが、決して肌を重ねることはなかった。旅の終わり、ふたりは長崎ぶらぶら節という歌に出会う。それは、愛八にとって想い出の歌であった。彼女が遊郭に売られる時、女衒の男が歌ってくれた歌だったのだ。歳月が過ぎ、年号は昭和へ移った。古賀と会わなくなっていた愛八は、少女の頃から可愛がっているお雪に芸を仕込んでいた。ところが、そのお雪が肺病にかかってしまう。決して安くはない治療費用を捻出する為、詩人・西條八十の紹介で“長崎ぶらぶら節”をレコードに吹き込み、その印税を全てお雪の治療費に当てる愛八。今や、お雪は愛八の人生そのものとなっていた。お陰でお雪は快復し、お披露目の日を迎える。だが、その席に披露目の資金を提供してくれた古賀が招待されていることを知った愛八は、決して顔を出そうとしなかった。彼女は、古賀への想いを一通の手紙に認めると、参詣した身代わり天神の境内で息絶えるのであった。」以上が概略です。

吉永小百合と渡哲也は、二人とも私の大好きな俳優です。二人の共演は、1966年の「愛と死の記録」等の3作品と30年後の1998年「時雨の時」と2000年のこの映画の5本のみです。

一時は、二人の仲が噂されたものですが、吉永小百合は、15才も年上のテレビプロデューサーと結婚し、渡哲也は、一般女性と結婚しています。30年後の吉永小百合が53才、渡哲也が57才の時「時雨の時」で共演します。「時雨の時」は吉永小百合の持ち込み企画で、共演に渡哲也を指名してます。自分のこの映画の紹介をブログでしています。会社の専務が、後半の人生を20年前に心に留めた女性と家族を捨てて一緒になろうとするが死んでしまうという映画で、男女の一線は超えませんでした。

この映画「長崎ぶらぶら節」も一つ布団で抱き合いながらも、男女の中にはなりませんでした。

この映画から20年後、渡哲也は、2020年に亡くなり、吉永小百合も今年79才になります。

長い50年に及んだ恋愛も遂に閉じられたと勝手に解釈してしまいました。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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