映像の世紀バタフライエフェクト「ロシア 暗殺と粛清」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

3月18日、NHK総合で映像の世紀バタフライエフェクト「ロシア 暗殺と粛清」が放送されてました。興味があったので早速みました。

放送の概略は、以下の通りです。

「ロシアではソ連時代以来、暗殺と粛清が繰り返されてきた。

レーニンは秘密警察によって反対勢力を処刑、凄惨な弾圧で革命を成功へ導いた。

スターリンは政敵をスパイに仕立て次々と処刑、粛清の嵐は一般国民にも及び2千万の命が奪われた。

そしてソ連崩壊後も、政権の不正を告発する人物などが不審な死を遂げている。その度に政権の関与が疑われるが、真相はわからない。恐怖による統治が続いてきたロシア百年の記録である。」とあります。

(「ワグネル」を率いるプリゴジン)

最初は、ワグネル民間軍事会社「ワグネル」を率いるプリゴジンの反乱から始まる。プーチンは、裏切りとした。反乱から2ケ月後、飛行機事故でプリゴジンは、死んだ。バイデン大統領は、プーチンの仕業とした。

(第一次世界大戦)

1914年、ロシアは第一次世界大戦に参戦した。近代化の遅れたロシアは、次々と敗北していく。

(臨時政府の自由主義)

敗戦から臨時政府ができ自由主義に向かおうとしていた白軍とレーニン率いる赤軍と内戦がはじまる。

(レーニン)

レーニンは秘密警察によって反対勢力を処刑、凄惨な弾圧で革命を成功へ導いた。そして、300年続いたロマノフ王朝が崩壊する。

その6年後、レーニンが死去する(1924年)。後継者争いが始まる。

(スターリン)

スターリンとトロッキーである。スターリンは、トロッキー打倒に動き出す。トロッキーを国外追放にする。

(第一次5か年計画)

スターリンは、工業国への転換を目指し第一次5か年計画を立ち上げ、労働力に反対勢力の囚人を使う。資本主義復活論者には、銃殺刑を掲げ、粛清者のノルマを秘密警察に課した。

粛清の嵐は一般国民にも及び2千万の命が奪われた。

スターリンは、国民同士を監視下させ密告を奨励した。密告されるより密告者になった。共産党少年団を利用した。子供が自分の親を通報した。

(トロッキー)

1940年、ついにトロッキー殺害される。

(独ソ戦)

1941年6月、独ソ戦が始まる。経験豊富な将校が粛清されていたソ連軍は、総崩れとなる。4年間で2700万人の犠牲者と引き換えにようやく勝利をつかんだ。

(スターリン死亡)

1953年、スターリンが亡くなる。スターリン時代、粛清により命を落とした人は、2000万人に上った。

(ゴルバチョフ)

1987年、改革を掲げるゴルバチョフが登場する。

(エリツィン)

1991年、ソ連が崩壊し、エリツィンが大統領になった。ロシアは、民主化へと舵を切った。

欧米市場がこぞってロシアに参入する。しかし、急速な資本主義の導入は、貧富の差を拡大していく。共産党支持が高まる。

(新興財閥「オルガルヒ」)

エリツィンは、新興財閥「オルガルヒ」に助けを求める。

(リトビエンコ)

1998年11月、FSB(連邦保安局)のリトビエンコがFSBのオルガルヒ暗殺計画を暴露した。

(FSB長官プーチン)

これを否定したのがFSB長官プーチンだった。リトビエンコは、裁判で無罪だか別容疑で再逮捕される。これに対しリトビエンコは、イギリスにわたり反プーチン活動を展開する。

その後、エリツィンは、後継者にプーチンを指名した。ロシアの民主主義を発展させると期待した。

しかし、プーチンは逆に政権の批判的なメディアを強制捜査した。そして、政権批判の「オルガルヒ」に対し逮捕、鍛圧を始める。

(チェチェンが劇場を封鎖)

2002年、モスクワでテロ事件がおきる。ロシアから独立を願うチェチェンが劇場を封鎖して900人以上の人質をとった。

それに対し、強硬手段で100人以上の犠牲を出しながら鎮圧した。国民は、プーチンの強硬姿勢を評価した。国民の圧倒的な支持をえる。

(独立系新聞社ノーヴァヤ・ガゼータ)

独立系新聞社は、報道の自由を訴えていた。プーチンの支持率を上げたこのテロ事件を調べていたら、何とテロ事件をおこした犯人の中にプーチン政権で働いているものがいる。

この事件に政府が関与しているのではないかと疑った。

この新聞社では、後に6人が射殺された。

イギリスにわたり反プーチン活動を展開していたリトビエンコも殺される。

(ナワリヌイ)

2011年、堂々とプーチン政権を批判するものが現れた。ナワリヌイである。

3万人集まる反プーチン集会を開く。その後、2020年8月、飛行機の中で激痛に襲われ緊急着陸しベルリンの病院へ。

治療を受け一命をとりとめた。そしてナワリヌイは、犯人を見つけ証言を取り付けた。

犯人は、FSBの関係者と結論づけた。

しかし、プーチンは、アメリカCIAの情報と発表した。

その翌月、ナワリヌイは、帰国を決断したが、ロシア入国時に逮捕され北極圏の刑務所に入れられた。

そして、2024年2月、なぞの死を遂げた。

2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻時にロシア政府は、500万人の子供に1本の動画を視聴させた。

一般市民を巻き添えにしない。病院、学校など破壊しないというプロパガンダの映像でした。子供たちは、だまされ戦争に賛同するのです。また、批判的なメディアは、閉鎖させられた。

プーチンは、大統領選挙の前にすでに勝利を確信していた。

指導者の期間は、30年になりスターリンを超えることになる。

ワシーリー・グロスマンの言葉で終わる。「ロシアは、1000年の歴史の間いろいろ偉大なものをを見てきた。見てきてないのは、ただ一つそれは、自由である。」以上が概略です。

放送でわかることは、ロシアの独裁者の歴史は、常に反対勢力は、抹殺するということで批判す

ることは許されないということです。

現在、プーチン大統領の対抗相手が実質的にいないようです。彼に批判的な声を上げてきた人の多くが、亡命を余儀なくされたり、投獄されたり、時には殺されたりしています。

ウクライナ侵攻は、ますます続くとなればかなしい限りです。

また、驚いたのは、スターリンの国民同士を監視下させ密告を奨励したこと。これと同じことを文化大革命で毛沢東が行っていました。子供が親を密告するのです。中国では、2000万人が殺されたという説も残っています。

ベレゾフスキー(オルガルヒ)の言葉に「ロシア人の精神性には、どこか隷属志向がある。だから統制社会を喜んで受け入れる。」

ソ連型社会主義は、統制社会であり、政府の監視のもと外部からの情報を遮断していました。その世界に長い間(1922年から1991年)いるからこうなったと思われる。

2000年からのプーチン大統領の時代も統制社会とそれほど大きく変わらないような気がします。

 

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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