半藤一利「昭和史」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

前回(2月6日)のブログで紹介させてもらった百田尚樹「日本国紀」と比較するに好都合な、きわめて一般的な昭和史です。「日本国紀」が文庫本になる前で65万部売れているというから、相当な数になっていると思われます。一方、半藤一利「昭和史」シリーズで100万部突破だそうです。

今回は、半藤一利「昭和史」の感想です。

本の解説(アマゾン概要)には、以下の事がかかれてます。

「日本人はなぜ戦争をするのか? 昭和史の第一人者が年代を追って語り下ろした決定版。「底なしの無責任」がひき起こした数々の悲惨、テロが吹き荒れた時代……今こそこの教訓を生かす時!」とあります。

500ページ以上ありますので、全てを網羅することができないので、納得、感動、気づいた部分を述べたいと思います。

①戦争に拡大を進めたのは、戦争記事を書くと部数が増えるため、戦争を煽りながら購読者数を増やした新聞社と、ラジオ放送局も同じく聴取者を増やすため戦争を多く放送しました。

②2・26事件は、青年将校が貧困に人々のために起こったと思っていましたが、実際は、陸軍の中の統制派と皇道派に分かれているうちの皇道派がいわゆる「君側の奸」を殺して天皇を孤立化させ都合の良いようにしようとした事件である。

③城山三郎の「落日燃ゆ」の広田弘毅は、素晴らしい人と思っていましたが、「軍部大臣現役武官制」、「日独防共協定」、「北守南進政策」を行い軍部独走の道を開いてしまったとんでもない人である事がわかりました。

④南京虐殺は、中国及び東京裁判がいう30万人虐殺は、あり得ない。何故なら南京は、疎開して30万人もいなかった。今となっては、統計的な被害数を知ることは、困難であり、公平な記録としては、3万人強となります。

⑤ノモンハン事件とは、1939年5〜9月,満州国(中国東北地方)とモンゴル人民共和国(外蒙古)の国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件。 日本は関東軍2万人を動員したが,ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受け7割死傷。昭和天皇は、知らなかった。この事件を指揮した2人の参謀は、参謀本部に戻り、「今度は南だ」と南進政策で英米との衝突を推進します。参謀には、お咎めなしが陸軍の伝統でした。腹が立ってしょうがないですね。更にこの参謀の一人は、サイパン島の作戦課長であり、「負けたのは装備が悪かった」といった。こんな愚将のもとでは、勝てるわけはないですね。

⑥自分の前回のブログ(2021.11.19)で近衛首相は、無責任だが戦争回避に努力したと述べましたが、この本では、頼りない人間であり、アメリカとの戦争を望んでいるとあります。どちらが本当なのかわからなくなりました。

⑦三国同盟に関し、海軍の米内光政、山本五十六、井上成美が猛反対したが、その後、ドイツが強くなりドイツと組んだ方が有利だと考えた。しかし、日本が三国同盟を決めた日、ドイツ軍は、ロンドン上空で大打撃を受ける。

⑧1907年のハーグ「開戦に関する条約」で宣戦布告は、事前通知が原則と定められたが、日米開戦において、外務省の怠慢及び無神経により、1時間開戦通知が遅れるという「だまし討ち」の永遠の汚名を残すことになった。

⑨アメリカのルーズベルト大統領は、イギリスを助けたく、ヨーロッパ戦線に参加し、ドイツを叩きたかった。そのためには、日本との戦争が必要で、三国同盟を結んでいる日本と開戦したため、ドイツに宣戦布告できることになった。

⑩戦争の名称は、「大東亜戦争」ではない。何故なら開戦の詔勅には、自存自衛のためやむを得ず立ち上がるからです。

⑪この本の中に愚将がでてきて、兵隊を何人も無駄死にさせます。ほとんどが、陸軍士官学校→陸軍大学→参謀本部というエリートの秀才です。失敗しても責任は取らないというグループがトップにいては、戦争で勝てるわけはないと思いました。

ノモンハン事件、ニューギニア戦、インパール作戦に主にでてきます。

⑫特攻隊は、「志願によった」となっています。そこには、海軍リーダーの自信も責任もなく、モラルのかけらもないと作者はいっている。

⑬原子爆弾は、2個しか製造できておらず、落とすところは日本と決めていた。理由は、ソ連が日本に参戦する前に降伏させたかったから。何故ならソ連は、なにを要求するかわからないため。

⑭ポツダム宣言(7月26日)が発す前に投下命令(7月24日)がだされていた。内容は、8月3日以降、広島、小倉、新潟、長崎の一つに投下。爆弾効果を観測し記録するでした。

⑮アメリカは、真珠湾攻撃の頃原子爆弾の製造を50万人、20億ドルをかけて製造はじめていました。莫大な費用と労力をかけて作ったのだから使わないのはおかしいのではないかと軍人、政治家、アメリカ国民は思ったそうです。

8月6日、広島に原爆投下。8月9日、ソ連参戦。8月9日、長崎原爆投下。8月14日ポツダム宣言受諾で長かった戦争も終わりです。

なお、作者は、昭和史の20年の教訓は、以下の事があると言っております。

①時の勢いに駆り立てられる感情的な国民的熱狂を作ってはいけない。

②日本人は、自分にとって望ましい方向に考えを持って動いてしまう。

③陸軍大学優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対権力を持ち他を一切認めない小集団エリートの弊害をつくった。

④日本人は、国際的常識を全く理解していなかった。

⑤大局観がなく、その場その場のごまかし的な方法で処理する。

⑥昭和史全体を一言でいうのなら政治的指導者や軍事的指導者、日本をリードしてきた人々は、自信過信に陥り、根拠もないのに「大丈夫勝てる」を繰り返し、その結果まずくいったときの底知れぬ無責任と言うことが出来る。

以上がこの本の概略であります。大変長くなり申し訳ありません。何しろ昭和史20年であり、まだ書き足りないところも沢山あります。

今回は、前回のブログ百田尚樹「日本国紀」との対比で読みました。共通点もあります。百田尚樹「日本国紀」は、刺激的で面白いです。日本人は、素晴らしい民族でありがんばれと言って励ましてくれます。

一方、半藤一利「昭和史」は、「これが日本の真の姿、過ちを繰り返さない」と教訓的な本で「歴史から学びなさい」と教えてくれます。

勉強になりました。

 

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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