職務経歴書の下書きがてら、
学卒で地元(京都)の企業から内定が出て、しかもチャリで15分の通勤(=⌒▽⌒=近い!)
・・・・・・・・・・と思ったてたら→“君は、東京店だ”と言われて東京へ
-----先日、テレビで、京都の人は、自分の住んでいる場所が“京”だから、東京へ行くのは“上京”とは言わず“東上”と言う、と紹介?されていたが、私の時は“東下り(アズマクダリ)”とか“都落ち”とか言われた。
首都が東京になり天子様(天皇)が京都に居ないので、“文化の都”と言う位置付けですが、司馬遼太郎の「菜の花の沖」で、“下らない”の語源は一大消費地でしかない江戸へ上方(この一言でも関西が上だと言っています)良い商品が下ってくるが、下ってこない(関東産)の商品の質が悪いので“下らない”と言うそうです。
京都に祖父の代で移民してきた私は、大真面目では言いません、友人達も諧謔的に言っていただけですが。------
とにかく、約17年そこで、ファッション業界の末端で、主に服地の企画販売・生産管理を業務にして、最後はOEMで製品納品の業務に就いてました。
やがて、海外製品が(中国の生産品質の向上も有り)入ってくるようになり、仲人であるナンバー2になった方に、輸入品の取り扱いを促進する意思(企業として)を確認した所、“その意思は無い”との答えに、会社の将来に、不安を感じて退職を決意!
どうせ替わるなら、と言うより、自分で主体的に服地や服の輸入業務をやるには、語学能力や商才の然程有ると思えなかったので、ついでに、材料は別にして国内での需要を満たすには国内で組み立てる必要のある建築業界への転職を考えました。
亡き祖父が、生前に “衣・食・住は需要が無くなる事は無い”と言っていた事、時代はサービス:無形物の需要が増える事は漠然と感じてはいたが、親戚に建築士が居た事、また子供(高2で数学で落ちこぼれになるまで)の頃、建築士を目指した事もあり、今更、いきなり技術者にはなれないと思いつつ、営業職で建築業界に入りました。
業界を変えて営業するには、オンリーワン商材の有る会社が、乏しい知識を補えるかと思って入った会社が余りに営業を時間・内容共に管理が厳しく、知識を付けるには余りに社員・社長のレベルが低く、仕事が苦痛で仕方ない状況に陥ったので、半年で退社!
