私はそれを否定も肯定もしない。例えばウラニウム(原子番号92/U)やセシウム(原子番号55/Cs)という鉱物が放射線で人体に及ぼす影響を考えると、他の石がなんらかのパワー(物理的影響力)を持っていても不思議ではないような気がするからだ。しかし、特定の個人がその石になんらかのパワーを吹き込んでそれが他者に影響を与えるとまでなるってしまうと、途端にそれは一般の方の目から見れば、『胡散臭い』ものに映る。また、わたしがここでいう『パワー』とはあくまでも物理的な影響力を指すものであり、その影響力が恋愛成就や金運に結びつくものと科学的に証明する手立ては現代科学においては存在しないという事をここに申し述べておく。
さて、今回は珍しく真面目な考察である。民俗学は専門ではないのだが、この現代でパワーストーンと呼ばれているものの文化が我が国でいかに誕生し、そして形成されてきたのか私なりの所見を申し述べる。今回はその第一回目である。後述するがこのテーマをシリーズ化するのには理由があるのだ。小難しい(なるべく簡単には書くつもりです)上に長文なので、興味のない方はスルーしてもらって構わない。
また、この分野における研究はあまり発展していないため、ほぼ私の独自見解である。よって、きちんとした民俗学の研究者の方からはおかしな見解に見えるかもしれないが、その場合は該当の部分をご指摘頂ければ幸甚である(その際にはネット上のソース、もしくは文献をご指摘いただければ幸いです)。
世界における石の信仰
日本における石の信仰を考える前に、まず簡単に世界の事例をみてみよう。私は現代の日本におけるパワーストーン等の石の信仰は『全て海外から輸入されたもの』と考えているのだ。理由は後述する。
ヒスイはマヤ文明やアステカ文明では呪術の道具として用いられており、紫水晶は西洋では魔術や毒を防ぐ力をもっていると信じられていた(出展:wikipedia)。古代エジプトは石との関わりが深く、クレオパトラはラピスラズリを砕き化粧品として使い、ピラミッドの副葬品にはカーネリアンやベリル、トパーズ等が数多くみつかっている。多神教の宗教は物質に神が宿るという考え方(前述したアニミズム)であり、石に神が宿っていると考えても不思議ではない。
また、イギリスのストーンヘンジや、イースター島のモアイ象など石を加工して作られた造形物や建築物は数多く存在する。古代人は最初は偶像であるそれらを崇拝していたのだが、長い年月をかけて偶像を拝むうちに石へと崇拝の対象がシフトいったのではないか?とも考察できるのである。

ストーンヘンジ (イギリス)
日本における石の信仰
日本の古代国家といえば皆さんがまず思い浮かべるのは邪馬台国であろう。邪馬台国の卑弥呼と呼ばれる女王がシャーマニズムで予言を行い、祭事や政治を取り仕切っていたというものである。日本における古代宗教は『神』の概念が存在せず、また政治と宗教の隔たりも無かったため、予言や生贄で物事を決めていたのである。
我が国においての石の信仰は(ある意味では)古く、日本海沿岸の古代国家の一つ「越」が翡翠を採掘、加工していたと伝えられている(出展:wikipedia)。恐らくは現代の富山県から新潟県にまたがる地域を指すものと思われるが、考古学の観点からの証明は成されていない。古代における石の信仰は、現代のパワーストーン信仰のような生易しいものではなく、生贄を伴う血なまぐさいものもあったようである。
その名残は長野県の諏訪大社に見ることができる。私が石の信仰に興味をもったきっかけである。
ミシャグジ
諏訪大社に祀られている神は表向きは建御名方神(たけみなかたのかみ)とされているが、諏訪地方の土着の神々であるという説がある。その祀られいるとされるのが『ミジャグジ』という神である。仏教よりも神道よりも古い日本最古とされる神(?)だ。
ミジャクジ
この神を祀っていた神社では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る。
石神(シャクジ、サクジ)という他にミシャグチ、サクジ、オシャモジ、シャクチ、サクチ、サグチ、サクジン、オサクジン、オシャグチ、オミシャグチ、サゴジンなど、多様な音転呼称がある[2]。ミシャクジ[3]、ミシャグヂ、ミシャグジン[4]、シャゴジ、オシャゴジ(御石神)、オシャグジとも[5]。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる。
wikipedia より抜粋
この神を祀っていた神社では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る。
石神(シャクジ、サクジ)という他にミシャグチ、サクジ、オシャモジ、シャクチ、サクチ、サグチ、サクジン、オサクジン、オシャグチ、オミシャグチ、サゴジンなど、多様な音転呼称がある[2]。ミシャクジ[3]、ミシャグヂ、ミシャグジン[4]、シャゴジ、オシャゴジ(御石神)、オシャグジとも[5]。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる。
wikipedia より抜粋
私は御石神ではないかと思っている。しかし古代で話されていた日本語と現代語には同じ言語でも隔たりがあり、漢字に当てはめるのは意味を成さないのかもしれない。
私が考えるのはヤマト民族(我々)が日本を征服する前の日本固有の土着の宗教の神は『石』を元にした何かであったのではないか?というものである。ずいぶん飛躍したな、と思われるだろうがいくつか根拠がある。
根拠1 : 道祖神
道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる(出典:wikipedia)。
この道祖神は、ヤマト王権と日本土着の民の境界を示すものであったのではないかという説がある。ちょっとオカルトめいた話で申し訳ないのだが、八尺様 というホラー話にも石で悪いものを封じ込めているという記述があり、こういった話は様々な伝承で伝えられている。
これは古代の日本先住民が『石』の力に頼っていた根拠とするには弱いだろうか?
道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる(出典:wikipedia)。
この道祖神は、ヤマト王権と日本土着の民の境界を示すものであったのではないかという説がある。ちょっとオカルトめいた話で申し訳ないのだが、八尺様 というホラー話にも石で悪いものを封じ込めているという記述があり、こういった話は様々な伝承で伝えられている。
これは古代の日本先住民が『石』の力に頼っていた根拠とするには弱いだろうか?
根拠2 : 奈良時代以降のアクセサリー文化の消滅
弥生時代や古墳時代にあれほど隆盛を極めた翡翠の勾玉等のアクセサリー文化は、奈良時代で消滅する。以降1,100年間、明治時代に西洋から輸入されるまでの間、アクセサリーという概念は日本の歴史から見事に抹殺されているのだ。
参考 : 日本における装身具の歴史 - wikipedia
前述した、『現代の日本におけるパワーストーン等の石の信仰は全て海外から輸入されたもの』という私の見解の根拠がこれである。ヤマト朝廷の古代の日本先住民の征服が完了し、先住民達の文化がヤマト王権によって破壊されたのだと私は考えている。それに伴い『石』を貴ぶ文化が悪しきものとされ、アクセサリーという概念そのものがヤマト王権によって消滅させられてしまったのだ。

聖徳太子の肖像画に石を使った装飾品はない
過去に土着で信仰されていた神が悪魔になってしまう例は世界的に見ても珍しくない。例えばキリスト教で悪魔とされるベルゼバブは、キリスト教が広まる以前はペリシテ人達の豊穣の神であった。しかしキリスト教が広まる過程で、過去の信仰は悪しきものとされて、聖書では悪魔に書き換えられてしまったのである。
同じように、日本の先住民たちが信仰していた『石神』を我々の先祖が『好ましくないもの』と判断し、アクセサリーと共に歴史から抹消したのではないか?と私は仮説する。現実にそれまで土着信仰としてあったはずのミシャグジの名前が、ヤマト王朝が編纂した日本書紀にも古事記にも一言たりとも登場しない。かなり飛躍するのだが、『勾玉』と、邪悪な事柄を示す『まがまがしい』は語源が一緒なのではないか。
つまり古代のパワーストーン信仰は、われわれの先祖であるヤマト民族に一度滅ぼされている。
弥生時代や古墳時代にあれほど隆盛を極めた翡翠の勾玉等のアクセサリー文化は、奈良時代で消滅する。以降1,100年間、明治時代に西洋から輸入されるまでの間、アクセサリーという概念は日本の歴史から見事に抹殺されているのだ。
参考 : 日本における装身具の歴史 - wikipedia
前述した、『現代の日本におけるパワーストーン等の石の信仰は全て海外から輸入されたもの』という私の見解の根拠がこれである。ヤマト朝廷の古代の日本先住民の征服が完了し、先住民達の文化がヤマト王権によって破壊されたのだと私は考えている。それに伴い『石』を貴ぶ文化が悪しきものとされ、アクセサリーという概念そのものがヤマト王権によって消滅させられてしまったのだ。

聖徳太子の肖像画に石を使った装飾品はない
過去に土着で信仰されていた神が悪魔になってしまう例は世界的に見ても珍しくない。例えばキリスト教で悪魔とされるベルゼバブは、キリスト教が広まる以前はペリシテ人達の豊穣の神であった。しかしキリスト教が広まる過程で、過去の信仰は悪しきものとされて、聖書では悪魔に書き換えられてしまったのである。
同じように、日本の先住民たちが信仰していた『石神』を我々の先祖が『好ましくないもの』と判断し、アクセサリーと共に歴史から抹消したのではないか?と私は仮説する。現実にそれまで土着信仰としてあったはずのミシャグジの名前が、ヤマト王朝が編纂した日本書紀にも古事記にも一言たりとも登場しない。かなり飛躍するのだが、『勾玉』と、邪悪な事柄を示す『まがまがしい』は語源が一緒なのではないか。
つまり古代のパワーストーン信仰は、われわれの先祖であるヤマト民族に一度滅ぼされている。
追記 2014/08/15 00:00 [備忘録]
皇室に伝わる三種の神器には八尺瓊勾玉がある。石の文化は滅びたわけではなく、神聖なものとして特別な方にしか適用されてなくなったのか?
646年に打ち出された薄葬令により、古墳造営の禁止、埴輪、殉死の禁止、貴金属等の副葬の禁止の方針が打ち出され、需要が無くなっていくと同時に勾玉をはじめとする装身具は神格化され、一般庶民が気軽に装身具を身に着けることができないようになってしまう[20]。ここに、古来より続いていた装身具の習俗は急速に衰えを見せ始めた( wikipedia より抜粋)
近代化(?)に伴って、石をはじめとるアクセサリー文化が廃れただけのかな?うむむ。しかし、日本神話には石の神様がいない。何故だろう???
現存する日本唯一の石の神である 道祖神のルーツ がいくら調べても出てこない・・・。誰か文献知りませんか・・・。
道祖神が多いとされる 長野県安曇野市 は諏訪大社からほど近い。こういうことだこれは・・・。
スチームパンク大百科Sでおなじみの五十嵐麻理さんの日本珍スポット100景でも、『甲府盆地の民間信仰』として紹介されている。
関連URL:丸石神 - 山梨の謎の道祖神・石の民間信仰
皇室に伝わる三種の神器には八尺瓊勾玉がある。石の文化は滅びたわけではなく、神聖なものとして特別な方にしか適用されてなくなったのか?
646年に打ち出された薄葬令により、古墳造営の禁止、埴輪、殉死の禁止、貴金属等の副葬の禁止の方針が打ち出され、需要が無くなっていくと同時に勾玉をはじめとする装身具は神格化され、一般庶民が気軽に装身具を身に着けることができないようになってしまう[20]。ここに、古来より続いていた装身具の習俗は急速に衰えを見せ始めた( wikipedia より抜粋)
近代化(?)に伴って、石をはじめとるアクセサリー文化が廃れただけのかな?うむむ。しかし、日本神話には石の神様がいない。何故だろう???
現存する日本唯一の石の神である 道祖神のルーツ がいくら調べても出てこない・・・。誰か文献知りませんか・・・。
道祖神が多いとされる 長野県安曇野市 は諏訪大社からほど近い。こういうことだこれは・・・。
スチームパンク大百科Sでおなじみの五十嵐麻理さんの日本珍スポット100景でも、『甲府盆地の民間信仰』として紹介されている。
関連URL:丸石神 - 山梨の謎の道祖神・石の民間信仰
最後に
このシリーズは続きます。今朝がたのエントリー に書きましたが私が数日後に長野経由で名古屋に帰る理由がそれです。
諏訪大社とその付近の図書館でフィールドワークしてこの学説(?)の根拠調べてくるYO!

仙台から名古屋までを長野経由で帰る
石の信仰について② (諏訪大社とミシャグジ) につづく