本blog、ハロー・サマー,グッバイ(春)のアクセス数(PV)が、開始3ヶ月と9日間で、月間10,000アクセスを突破した(Google Analytics調べ。Ameba調べは8万だか10万だかわけわからん嘘っぱちの数字なので、スクショ張るのも面倒くさい)。
Amebaの読者のみなさま、検索エンジンからやってきてブックマークして下さっている皆様、ありがとうございました。今後は一日は3倍くらいアクセスして、ご近所、お友達、親兄弟、お知り合いなどに本blog紹介しまくって、ウザイ奴だと思われて、挙句の果てには精神疾患を疑われて隔離病棟に収容されるくらいの勢いでお願いします(←なにをだ)。

Google Analyticsでの分析によると、現在進行形の記事にはAmebaからのユーザーが多く、過去のHow To エントリーには、検索エンジンから来るユーザーが多い。後者のユーザーは目的がはっきりしている(銀粘土やワイヤーやアクセスアップ等)事が多いので、一人あたりの滞在時間は長く、ページ・セッション数を稼いでくれている。
と、なってくると体系化した学習系エントリーの数を増やせば、過去記事のリサイクルによって運用が効率化できる、と考えられるので、今後はそういった記事を増やそうかと考えている。
何度も書くが第一のマイルストーンに私が設定したのは半年で30,000PV/月。はてさて、あと3ヶ月間で目標達成はできるのか?これからもロミちゃんの奇行からは目が離せないね!
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さて、そんなどうでもいいことはさておき、『文章の書き方』である。以前のエントリー(やさしい ぶんしょうの かきかた)では、なんだか途中で面倒になって、宣伝ブログのコメントにレスをしまくるという、おかしな流れになってしまい、読者の皆さまの失笑を誘うという不測の事態が発生したが、今回は真面目に書きましょう。
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はじめに断っておくが、この『文章の書き方』は私なりのものであるし、それを読んだところで文章がうまくなるとは思えない。過去のエントリー(独立したいオナゴの為の1・2・3)にも記したのであるが、生い立ちやその他の色々な要素で人間の行動は変わってくるし、もちろん話しかたや書き方だって変ってくる。だからあまり真剣に読まないで、単なる参考の読物として読み進めて欲しい。
また、普通の『文章の書き方』はそこら辺に売っている本で読めるであろうから、ここでは『私独自の』手法について書いていきたいと思う。
それでははじめましょう。
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(1) 読みやすい文章で書く
これはとても難しいテーマである。まず『読みやすい文章』というものは受け手によって異なるものであるし、不特定多数の読者が訪れる「blog」というメディアにとって、それを限定することは不可能であることのように思えるからだ。それは『文章のテーマ』にも同じことが言える。
そんな中で私が気を使っているのは、言葉の『リズム感』である。hiphopで言うところのライム。韻を踏む、という感覚に近い。難しいものではなく、句読点をどこに打つか、言い回しをどうするか、という単純なものだ。俳句や和歌を思い出してほしい、あれも日本語独特の言葉のリズムである。
私が多用する表現に「ってなわけで」とか「と、こうである」と、いうものがある。これは反復というか繰り返しというか、そういうリズム感の演出を狙っているのだ。
私は天邪鬼であるので、プラスの結論を導き出したいときには、マイナスの方向から入り、最後にひらりと覆して着地させる、というパターンが多い。論点がブレているように見えるだろうが、話があちらにいき、次にあちらに行く、というのは音楽のリズムに似ている。
んんん~~~~。この感覚は私にしかわからないのかもしれない。(←全然参考にならない)
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また、文章を解りやすくするための表現方法に『例え』というものがある。私が多用するのは、何かを行っている状態を、読者がイメージしやすいように『例える』ことである。以下に例文を書いてみよう。
この、『古民家の囲炉裏ばたに座った樹木希林みたいな顔』というのが、私流の『例え』である。古民家の囲炉裏ばたの樹木希林さんがどういう表情をしているのかは、読み手によって異なるだろうが、私にとっては、なんとなくヌボーーーっとしてるていうか、淡々としているというか、そういうイメージだ。
これはとても難しいテーマである。まず『読みやすい文章』というものは受け手によって異なるものであるし、不特定多数の読者が訪れる「blog」というメディアにとって、それを限定することは不可能であることのように思えるからだ。それは『文章のテーマ』にも同じことが言える。
そんな中で私が気を使っているのは、言葉の『リズム感』である。hiphopで言うところのライム。韻を踏む、という感覚に近い。難しいものではなく、句読点をどこに打つか、言い回しをどうするか、という単純なものだ。俳句や和歌を思い出してほしい、あれも日本語独特の言葉のリズムである。
私が多用する表現に「ってなわけで」とか「と、こうである」と、いうものがある。これは反復というか繰り返しというか、そういうリズム感の演出を狙っているのだ。
私は天邪鬼であるので、プラスの結論を導き出したいときには、マイナスの方向から入り、最後にひらりと覆して着地させる、というパターンが多い。論点がブレているように見えるだろうが、話があちらにいき、次にあちらに行く、というのは音楽のリズムに似ている。
んんん~~~~。この感覚は私にしかわからないのかもしれない。(←全然参考にならない)
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また、文章を解りやすくするための表現方法に『例え』というものがある。私が多用するのは、何かを行っている状態を、読者がイメージしやすいように『例える』ことである。以下に例文を書いてみよう。
私は薄暗い部屋で、古民家の囲炉裏ばたに座った樹木希林みたいな顔 してこのblogを書いている。
この、『古民家の囲炉裏ばたに座った樹木希林みたいな顔』というのが、私流の『例え』である。古民家の囲炉裏ばたの樹木希林さんがどういう表情をしているのかは、読み手によって異なるだろうが、私にとっては、なんとなくヌボーーーっとしてるていうか、淡々としているというか、そういうイメージだ。
(2) blogのネタをどうするか?
ネタ。テーマと言っても良い。なにについて書くか、と、こうである(←またこの手法使った)。
一番陥りやすいパターンは、例えば会社員の方だったら『会社と家の往復だけでネタがないよ・・・』。主婦の方は『家にいることが殆どだし、買い物くらいしか外出しないのよ・・・』と、こうなって、ランチの写真載せて、ハイ、ブログいっちょ上がり!と、なってしまうケースである。
ちょっとまってほしい、そんなこと言うなら、ニートで殆ど外出していない私にネタなんかあるはず無いじゃないか!と、こうなる。
しかし私にはブログ記事の書き為しているストックが10エントリーくらいあるし、それ以外にもいくらでも書くネタがあるのだ。
この違いはどこから来るのだろう。
私は『観察眼』の差ではないかと思っている。人は一度外出すると色々なものを『見る』。見るのではあるが、見てるだけで終わってしまう。私も外出すると色々なものを見るが、文字通りそれを『凝視』する。電車の中では他人の会話を盗み聞きしてクスクス笑うし、外でアホな看板などを見つけると笑いをこらえるのが大変なほどである。
周りをよく見ましょう。ネタなんかそこら中にいっぱい転がっている。
ネタ。テーマと言っても良い。なにについて書くか、と、こうである(←またこの手法使った)。
一番陥りやすいパターンは、例えば会社員の方だったら『会社と家の往復だけでネタがないよ・・・』。主婦の方は『家にいることが殆どだし、買い物くらいしか外出しないのよ・・・』と、こうなって、ランチの写真載せて、ハイ、ブログいっちょ上がり!と、なってしまうケースである。
ちょっとまってほしい、そんなこと言うなら、ニートで殆ど外出していない私にネタなんかあるはず無いじゃないか!と、こうなる。
しかし私にはブログ記事の書き為しているストックが10エントリーくらいあるし、それ以外にもいくらでも書くネタがあるのだ。
この違いはどこから来るのだろう。
私は『観察眼』の差ではないかと思っている。人は一度外出すると色々なものを『見る』。見るのではあるが、見てるだけで終わってしまう。私も外出すると色々なものを見るが、文字通りそれを『凝視』する。電車の中では他人の会話を盗み聞きしてクスクス笑うし、外でアホな看板などを見つけると笑いをこらえるのが大変なほどである。
周りをよく見ましょう。ネタなんかそこら中にいっぱい転がっている。
(3) 文章のプロット
会話やディベートにも言えるのであるが、結論を導き出すためのストーリーがある。私のブログを読んでいる方はお気づきだと思うが、一つのエントリーの中に複数のテーマが入っていることが多い。例えば『よしえ(母)の話』『朝ごはんの話』『アクセの話』と3つのセンテンスがあり、それを組み立ててひとつのエントリーにまとめている。
その際に気をつけているポイントは、[① 軽いネタ]→[② 本当のテーマ]→[③ 軽いネタ]という感じで、本来のテーマを軽いネタで挟みこむ、というものである。
例えば、仕事での交渉を思い出してみよう。交渉開始からいきなり「単価は50円でお願いします。それ以外は無理です」と言い放ってしまったらその交渉はうまくいくであろうか?
うまくいくとは到底思えない。通常は「いや~今年も暑いですね~」とかの軽い話題から入り、会話の中で結論を導き出し、そして軽い会話に戻って交渉がうまくまとまるものである。
会話やディベートにも言えるのであるが、結論を導き出すためのストーリーがある。私のブログを読んでいる方はお気づきだと思うが、一つのエントリーの中に複数のテーマが入っていることが多い。例えば『よしえ(母)の話』『朝ごはんの話』『アクセの話』と3つのセンテンスがあり、それを組み立ててひとつのエントリーにまとめている。
その際に気をつけているポイントは、[① 軽いネタ]→[② 本当のテーマ]→[③ 軽いネタ]という感じで、本来のテーマを軽いネタで挟みこむ、というものである。
例えば、仕事での交渉を思い出してみよう。交渉開始からいきなり「単価は50円でお願いします。それ以外は無理です」と言い放ってしまったらその交渉はうまくいくであろうか?
うまくいくとは到底思えない。通常は「いや~今年も暑いですね~」とかの軽い話題から入り、会話の中で結論を導き出し、そして軽い会話に戻って交渉がうまくまとまるものである。
(4) オチはつけるかつけないか
オチ・・・。さっきからオチとかネタとか、お笑い芸人かっ!と自分で自分を突っ込みたくなるのだが、まぁ結論から言うとあってもなくてもどっちでも良い。
ちなみに私がオチのある文章を書くときは、オチから書いている。そんでもって、(3)で書いたように、複数の関連のありそうなセンテンスを組み立てている。
オチの付け方としては[①問題提起]→[②引き伸ばし]→[③落とす]という三段論法を採用している。以下に簡単な例をあげてみよう。
テーマ:私は外出しない
このテーマで文章にオチをつけてみる。
面白いか面白く無いかは置いておいて、なんとなく書き方は伝わっただろうか?
オチ・・・。さっきからオチとかネタとか、お笑い芸人かっ!と自分で自分を突っ込みたくなるのだが、まぁ結論から言うとあってもなくてもどっちでも良い。
ちなみに私がオチのある文章を書くときは、オチから書いている。そんでもって、(3)で書いたように、複数の関連のありそうなセンテンスを組み立てている。
オチの付け方としては[①問題提起]→[②引き伸ばし]→[③落とす]という三段論法を採用している。以下に簡単な例をあげてみよう。
テーマ:私は外出しない
このテーマで文章にオチをつけてみる。
最近外に出ることがめっきり少なくなった。ニュースを見ていると、凶悪な犯罪や交通事故の映像、目を背けたくなるような悲惨な自然災害があまりにも多い。それらはあまりにも恐ろしく、私には知る必要のないことのように思える。
思えば私が子供のころにはこのような犯罪や恐ろしい出来事は今より少なかったように思う。いや、知らなかっただけか・・・。インターネットやメディアの発達により、我々のもとに届く情報は飛躍的に増えた。良い情報も悪い情報も、世界中からネットワークを介して一瞬にして手元に届く。いいことなのか悪いことなのか私には解らないが、なにやら恐ろしい事がたくさんあるのだ、という漠然とした恐怖が、私の感情を支配するのである。
それでは、以下に私が外出しない原因を幾つかあげてみよう。参考にして欲しい。
↓
(1) 用事がない
(2) ・・・
・・・
ごめん、ひとつしか思いつかないや。
思えば私が子供のころにはこのような犯罪や恐ろしい出来事は今より少なかったように思う。いや、知らなかっただけか・・・。インターネットやメディアの発達により、我々のもとに届く情報は飛躍的に増えた。良い情報も悪い情報も、世界中からネットワークを介して一瞬にして手元に届く。いいことなのか悪いことなのか私には解らないが、なにやら恐ろしい事がたくさんあるのだ、という漠然とした恐怖が、私の感情を支配するのである。
それでは、以下に私が外出しない原因を幾つかあげてみよう。参考にして欲しい。
↓
(1) 用事がない
(2) ・・・
・・・
ごめん、ひとつしか思いつかないや。
面白いか面白く無いかは置いておいて、なんとなく書き方は伝わっただろうか?
(5) まとめ
ダラダラと参考になるんだかならないんだか解らないものを書き連ねてしまったが如何だったであろうか?簡単に言うと、やり方はそれぞれだから好きに書くがいい。と、こうなってしまう。
ただひとつ言えるのは、文章というのは各本人のアウトプットなので、インプットがなければアウトプット貧弱なってしまう、と、いういうことである。
街を歩いていて目にするものも、好きで読んでいる本も、インプットであるので、それを咀嚼して吐き出したものが、文章である。『観察眼』と『読書』。この2つが読みやすい文章を書くポイントだと思っている。
ダラダラと参考になるんだかならないんだか解らないものを書き連ねてしまったが如何だったであろうか?簡単に言うと、やり方はそれぞれだから好きに書くがいい。と、こうなってしまう。
ただひとつ言えるのは、文章というのは各本人のアウトプットなので、インプットがなければアウトプット貧弱なってしまう、と、いういうことである。
街を歩いていて目にするものも、好きで読んでいる本も、インプットであるので、それを咀嚼して吐き出したものが、文章である。『観察眼』と『読書』。この2つが読みやすい文章を書くポイントだと思っている。
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