あっという間に過ぎた一年だったように思います。


311という大きな試練を経て、日本の社会が再生することに、積極的に関わりたいと願って過ごしてきた毎日でした。


個人的な関心事については、大きな目標に向かって確実に前進してきた手応えを感じています。


ヒーリングの実践を通して得た洞察も、かなり深まって来たのがわかります。


何をしても改善されなかったというPTSDや重度の鬱など、かなり難しいケースへのヒーリングが上手く行って、劇的に人生が転換して行く人たちを何人も間近に見てきました。


癌へのヒーリングも7,8件あって、かなり満足のいく結果を残すことができました。


自分の歩んできた道に、だいぶ自信が持てた一年でした。


震災の際には、まる1ヶ月間も被災地へ向けての遠隔ヒーリングを行っていました。


被災地の状況が手に取るようにわかったので、いろいろ深く感じたこともありました。


どんなに遠隔ヒーリングをして頑張っても限界はあり、無力さに打ちのめされそうにもなりました。


日本社会の現状には、絶望しそうになることも少なくないですが、前向きな気持ちで頑張ることを誓った一年でした。


真実を見通す目と、寛大な心を忘れずに、これからも何か自分にできることに向かって、日々努力を続けて行きたいものです。


皆さん、良いお年をお迎えください。



大量の放射線を含んだ瓦礫の受け入れ計画が、既に多くの自治体で進められようとしています。




先日大阪でも行政と市民の話し合いが行われ、大阪府の環境課課長が「年内にガレキ受け入れの方針を決定する!!」と語っていたそうです。



東京と同じ50万トンの瓦礫を受け入れるのだとか・・・。



瓦礫受け入れについては、大きく見解が分かれています。




人道的な立場から、福島県民だけが残留している放射性物質の被害を受けるのは気の毒だから、全国の自治体が協力し合って放射能を浴びた瓦礫処分を分担しましょう・・・という発想が、代表的な見解のひとつです。



しかし、放射性物質の拡散を阻止することが最優先ではないか・・・という反対意見は、より説得力があるように思えます。




そもそも、東電や政府・保安院が福島原発の危険性を叫んでいた政治家や有識者の声を無視した結果として、今回の事故につながったという経緯を考えても、国民の心情を逆手にとって、全国の自治体で放射性物質の危険性を分担して福島県民を助けましょう・・・というのは、実におかしな話です。



こうした政策の背景には、政府や東電の巧妙な責任逃れがあります。


事故当初から指摘されていることですが、民主党政府には、福島県民の避難区域を極力狭い範囲に抑えようという姿勢がありました。



僕自身は、それに対する海外からの批判が、必ずしも適切ではなかったと思っています。


日本の国土の地理的条件を考えると、たとえばアメリカで同じような事故が起こった想定とは、避難区域の設定条件が違ってくるのは当然だと思うのです。



原発周辺区域の人口などを考慮しても、避難区域の拡大に伴ってどれだけ多くの人が辛い避難生活を強いられるかを考えると、安易に何十キロ圏以内は全員避難しましょうとは言えない事情があったことは分かります。




しかし、避難者に対する国家の補償金が、真剣に被災者に償いをしようと思ったら巨額な金額になるのを予想して、政府が避難区域を極力限定しようとしていたのは明らかでした。



避難区域の周辺でも避難希望者に対しては適切な対処を心掛けるようにして、その分、補正予算の編成も最優先で必要な増額をするというのが、本来の政府対応として要請されていたことだった筈です。




国家予算が非常に厳しいとはいえ、たとえば官僚の天下り先になっている公益法人関連の経費など、国家予算増額に計上できる経費は相当額あると言われています。

アメリカ軍への思いやり予算や、その他軍事費に計上されている国家予算など、もともと必要だとは思えない無駄な支出もいろいろあります。




ところが、政府が行ったことは、消費税増額など国民に責任分担を押し付ける政策の推進でした。

メディアでも消費税の増額やむなしの論調が支配的でしたが、消費税についても増税に踏み切らざるを得ない決定的な論拠が明確ではありません。




多くの人が知らない事実ですが、この間に複数の管区で電気料金が少しずつ値上げされてきました。

そして、東電管区では大幅値上げが計画されていることが明らかにされました。




こんな風にして既成事実を積み上げて、本来の責任を回避する行動を政府主導で行っているようにしか見えません。



瓦礫受け入れについても、多くの住民の反対を予測して、秘密裏に重大決定を進めようとしていたことは、細野大臣の発言などからも明らかでした。




下記サイトにもあるように、瓦礫受け入れには重大な疑問があります。
http://merx.me/archives/14917



果たして正気の沙汰なのでしょうか?




補償金の支払いにも、被災地での効果的な除染にも、本来はもっと巨額な経費が必要です。

民主党政府が、そうした十分な経費負担をしないのは、簡単に言ってしまえば財界や官僚の意向を国民全体の意思よりも重視しているからでしょう。




そう疑われても不思議でないだけの、様々な証拠があります。



僕自身は、まともな舵取りのできない政府に、日本の将来を託すことは出来ないので、脱原発デモを敢行している団体など中心とした、自発的な市民運動に期待するしかないと思っています。




特別な利権を得ている人々の意向を優先する政策をいつまでも続ける限り、日本に将来はないでしょう。



OWS(オキュパイ・ウォール・ストリート)の運動が教えているのは、世界的に広まりつつある格差社会の現状であり、それに対する各国民的・世界的な対抗措置の必要性です。


日本でこの運動が広がらないのは、格差社会の現状と要因には共通点があっても、日本文化の伝統がマイナスに作用しているからです。



小泉内閣の時から、弱者切り捨ての政策が露骨になっていますが、今度は国民全体を巻き込む愚行を政府・行政は行おうとしているようです。




瓦礫受け入れによって、瓦礫を焼却する施設周辺の住民が、真っ先に被害を受ける可能性があります。

机上の計算では安心できると見做されていますが、各自治体までの輸送や焼却に伴うリスク、核種別の空気中に分散された場合のシュミレーション、民主的な話し合いのプロセスのあり方・・・など、本当に納得できる決断なのかには、かなり疑問が残ります。




そもそも政府の姿勢自体が、国民に責任分担を強いているようにしか見えません。



まずは基本的な事実から語ります。



1961年に確立された国民皆保険制度によって、子どももふくめてすべての人たちの医療が保険でカバーされるようになりました。

しかし、たとえば近年では、200710月に大阪府社会保障推進協議会が中心となって開催した「子どもシンポ」で「無保険の子ども」の存在が明らかになるなど、国民皆保険制度の水面下に隠れていた問題の一角が浮上しています。


大阪などでは、子育て世代を含む若者の半数が非正規労働者、実質的な無保険の状態に置かれているといいます。



そうした家庭の子供たちの実態が、メディアでも取り上げられ報道されるようになりました。



子どもたちは病気や怪我をしても、親たちを気遣って親には言わない、見せないというケースが報道されました。そして、朝一番には学校の保健室にやって来るのです。 こうした、本来はいないはずの状態の子どもたちのことが報道されました。



私たちが気づかないうちに、日本で事実上の無保険者が増えてきていたのです。


現在では、世界50カ国が国民皆保険を導入しています。韓国は21年前、台湾は17年前、タイでも9年前から導入しました。 皆保険制度は保守党の政治家にとって、特に農民たちに医療が届くという点で、大きな「票田」を期待できる好都合な政策でした。 それによって、安い給与でも医者にかかることができますが、しかし、実は国民皆保険を導入した国々で、困った事態も起きています。


「地方(田舎)で働き続けたい」という医師や看護師たちがある程度いなければ、制度を導入したものの「保険あって医療なし」という状況に陥ってしまうことです。 そして、WHOは僻地(農村や山村)で働く人材を世界中で育てなければ、制度はあっても実質的に国民皆保険が成り立たないことを理解したのです。



私的な保険しかなければ、アメリカのように“裕福な人は保険に加入できるが、貧しい人たちは保険に入れない”(医療を受けることが非常に困難)という世界を招来します。 このような世界になることを恐れた日本の為政者が、100年以上前に社会保険の導入を考え、その結果が現在の国民皆保険制度につながりました。


今年に入って、中国でも皆保険制度が導入されました。 2月半ばの『人民日報』では、さまざまな制限はあるものの、国民皆保険制度は83,000万人の農民に行き渡ったと伝えています。



すでに1997年には、MAI(多国間投資協定)という名前で、TPPに相当するものが審議されています。 MAIOECD(経済協力開発機構)を中心にヨーロッパで議論され、それに対して1,000団体にも上る世界中のNGOが抗議活動を行いました。 日本で唯一抗議の声をあげたのは、NGO「市民フォーラム2001」(2003月解散)だけでした。その危険性に気づいたヨーロッパでは、ただちにOECDに向けての反対運動が展開されたので、結果としてMAIは取り下げられる結果になりました。



今回のTPPは、よく言われるように、昨年秋の臨時国会冒頭の菅首相による所信表明演説で突然出されたものです。 その後政府は全く情報を出しませんでしたが、今年の元旦には主要全国紙が揃って、「日本は貿易立国だから、関税をゼロにすれば日本は再生する」とTPPを礼賛していました。



TPP参加により日本の経済を発展させるというのが共通した趣旨でした。



大きな問題の核心のひとつは、混合診療の全面解禁が医療崩壊に繋がるのではないかということです。


国会質疑などでは、「医療の市場化で病院の株式会社経営や患者と医者との間に民間の保険会社が入るようになること、混合診療の全面解禁など」についてどう考えていかという質問に対して、菅首相は「TPP協定についてすべてが明らかになっているわけではない」「国内医療の分野にどのような影響が出るかということを、あらかじめ申し上げることは困難」であると答弁しています。


2月の初めになると、外務省が24分野にわたるTPP交渉の内実についてようやく情報開示を始めました。



TPP反対派の意見では、国民皆保険制度が内と外からの二つの危機に直面していることを指摘されています。 内からの危機は財政赤字、国保の滞納・未納、「無保険者」の増加などであり、外からの危機がTPPのような医療のグローバル化です。


国民皆保険制度の根幹を支える最も大切なルールは、混合診療の全面解禁を禁止していることです。 日本でも混合診療は一部の先進医療に限って認められており、この制度をうまく運用すれば患者のさまざまなニーズに対応できるとされています。



何が問題かというと、混合診療が全面解禁されれば、利益を広げる動機付けが医療側に生じることです。 利益を拡大できるのであれば、少しでも条件の良いところで開業しようとか、少しでも良い職場で働こうとする、資本主義のもとではごく当たり前の行動様式が生まれてきます。 このあり方が国民皆保険制度を実質的に崩してしまうことが問題なのです。 利益の少ない農山村や救急医療などの分野では、現在でも深刻な医師不足が問題視されていますが、混合診療が全面解禁によって、満足に医療を受けることのできない国民が増加すると予想されるのです。


それに対して、単純に医師を増やせば良いという発想では、問題解決にはなりません。



医者が1人誕生するには数千万円もかかるという、難しい財政的な問題がありますし、だいぶ前から指摘されているように臨床医のレベル低下という問題もあります。



おそらく介護の分野ではもっと事態は深刻です。



医療と介護の連携不足、介護の受け皿不足、家族や労働現場の形態が以前とは違ってきている(家庭介護の割合が低下する一方で、高齢者の単身世帯や老人介護が増えている)、地域の支え合い(コモンズ)の低下・・・といった大きなテーマを、今後の日本社会がますます抱えることになるからです。


つまり、結論として、TPP参加は医療の分野における弱者切り捨てになる可能性が強いのです。


もともとヨーロッパでMAI(多国間投資協定)導入に対する大反対が起こり、取り下げられたのには、そうした懸念があったからでした。