神聖幾何学ヒーリング(カーシステム)というのがあって、全カルマ解除という名目でヒーリングを行っています。




ヒーリングの中身を知らないので、具体的なことを論じることは出来ないのですが、霊的進化の本質という観点から、これってどうなのだろう・・・と昔から思っていました。




6年ほど前に、一度だけヒーリングしている様子を近くで観ていたことがあったのですが、まったく興味が湧かなかったので、それっきり神聖幾何学ヒーリングとの縁はないままでした。




その後、2年ほど前から本格的に「カルマの解消」を目的としたヒーリングに取り組み始めるようになったので、それからは、この「全カルマ解除」というヒーリングのことを、少しは意識するようになりました。




未だに「全カルマ解除」の中身を知らないので、この日記では神聖幾何学ヒーリングそのものの是非を論じるつもりはないのですが、ヒーリングの本質に関する素朴な疑問の延長線上で感じてきたことを、少しここで述べてみたいと思います。




そもそも、神聖幾何学ヒーリングというのは日本発祥のヒーリングではありません。

そのために、キーになる概念も含めてヒーリングの教えを英語から日本語に翻訳する際に、微妙に問題が生じてしまった可能性が考えられるのです。




そうした問題は、ヒーリングに限らずスピリチュアルな教え全般にも該当するケースが見受けられるのですが、日本語に翻訳する際の微妙な言い回しの選択が、本質的な教えに対する誤解を生んでしまうことがあります。




この場合には、全てのカルマを解消することを目的としたヒーリング・・・というコンテクストならば、なるほど~~と深く納得ができます。


微妙な違いですが、「解除」ではなく「解消」という訳語であれば、本人の学びを一方的に奪ってしまうのではない・・・という了解が可能だからです。




解除という訳語の選択にまつわる問題点は、霊性についての理解とも関わってきます。




少し話はそれますが、インドの哲人クリシュナムルティは、「どのような瞑想が、私には合っているのでしょうか?」という質問に対して、このように語っています。




「霊性の探求においては、何が効果的かを考えてはいけない。 あなたが、どのような瞑想が自分にとって合っているか、あれこれ考えた始めた瞬間から、あなたのマインドは堕落してしまう。 本来の霊性探求に反する方向へあなたは進んでしまう」




クリシュナムルティの語っていたことは、あくまで究極の話だから現実的な選択の場面では、瞑想に効果を求めることも重要ではないか・・・という疑問もある訳ですが、霊性の探求とは損得計算と限りなく無縁な世界ですから、そうした意味からすると、きっとクリシュナムルティにしてみたら、当然のことを述べたまでに過ぎないのでしょう。



この手のヒーリングで問題だと思うのは、ひとつには、こうした「全カルマ解除」という言葉などに、俗な言い方をすれば、損得勘定が入り込んでしまう余地があることでした。




マインドが浄化されてクリアになってくれば、誰もが人生に対する様々な執着から解放され、それまで求めていた何かを手放して、より人生の本質に目覚める方向に進むものですが、多くの人がヒーリングを受けにくる初期の段階では、こうした「全カルマ解除」という名目でのヒーリングが、損得勘定を刺激する魅力的な響きを持っていることも事実なのです。




実は、スピリチュアルな教えに関連して、微妙な言い回しの差異が、決定的なマイナスになると思えることは色々あります。




この場合には、そもそもカルマについての洞察が、ヒーラーの側で何処まで深まっているのかが、とても重要な課題になるに違いありません。




たとえば、多くのレイキのスクールでは、相手のカルマに干渉するようなヒーリング行為は、相手の学びを奪ってしまうという理由から、良くないことであると教えられています。




そうしたレイキの教えに忠実に従うならば、神聖幾何学ヒーリングの「全カルマ解除」というのは、果たして正しいヒーリングと言えるのだろうか・・・という疑問に、多くの人が直面することも十分に予想されます。




レイキ・ヒーラーの多くが、しばしば語っている教えは、レイキは無心で行うべきであり、ヒーラーはエネルギーの媒体になることに徹するべきで、相手の病気や疾患を治すことを意図してはいけない・・・といったことです。


それと同時に、結果に対する期待を手放すことが正しいヒーリングの在り方であるとも主張されています。




自然なエネルギーの流れに身を任せるのが、正しいヒーラーとしての姿勢であるというわけです。




こうした教えの正否については、改めて深い洞察のもとに論じる必要があるのですが、ここでは詳しいことは省略します。

すでに私見の一端は、「レイキの新しい潮流」という日記で述べましたから、関心のある方はご覧になってください。




ここで語りたい事は、上記のようなレイキの広く知られた教えと、神聖幾何学ヒーリングの「全カルマ解除」といった発想とでは、少なくとも表面上は相矛盾する側面があるように観えるという事実です。




これはレイキとシータヒーリングを比較しても、ある程度似たような状況があることがわかります。

それについても、いずれ詳しい考察を日記上で明らかにしたいと思っています。




さて、これは僕自身の経験上からの話ですが、カルマについての洞察が深まるに従って感じたのは、「解除」と「解消」とでは日本語のニュアンス上の差異もさることながら、やはりこうした言葉が使用される背景には、カルマについての洞察に間違いがあるように思えたことでした。




これは本来、全てのネガティブなカルマを解消することを意図した特殊なヒーリング・・・ということだと思うのです。


しかし、「カルマ解除」という言葉を使ってしまうと、微妙なニュアンスの差異を生みだす危険性があるように思えます。


まして「全カルマ解除」なら尚更です。




実際に、過去に「全カルマ解除」のヒーリングをしていた知人のヒーラーが、その後、明らかに魔境としか思えない状態に陥ったのをよ~~~く知っているので、僕には、そうした不安が杞憂に過ぎないとは思えなかったものでした。




僕の理解では、全てのヒーリングがカルマの解消と決して無関係ではありません。(少なくとも一定レベル以上のヒーリングであれば、これは当てはまります。)



バーバラ・アン・ブレナンは、有名な著書「癒しの光」の中で、全てのヒーリングが過去生ヒーリングであると語っていますが、カルマの解消は過去生ヒーリングの一部を構成しています。




実際に過去生ヒーリングなどを通して、とりわけ「カルマの解消」を意図したヒーリングをかなりの時間行った経験から云えるのは、カルマの解消とは決して一方的な過去の行いのキャンセルではなく、本人が過去の行為の責任を引き受けることを前提とした、ヒーリングのエネルギーを通しての心の深層の浄化による、ネガティブな反作用を軽減する行為であるということです。




つまり厳密に言えば、カルマの解消ならば適切で正しい行為と考えられるし、ヒーリングによって充分に可能な範疇なのですが、これが過去の行為からの反作用をキャンセルしてしまう「カルマ解除」となると、仮に可能だとしてもレイキの教えにもあるように、相手の学びを奪ってしまう行為になるように思えるのです。




もちろん、文字通りの「全カルマ解除」など、どう考えても可能なことではありません。

これは、明らかに一定レベルの問題の解消を「全カルマ解除」と呼んでいるに過ぎないのですが、何故こんな話になってしまったのか、何とも疑問に感じていました。




結局のところ、日本に神聖幾何学ヒーリングを導入した人たちに、こうした繊細で微妙な問題への気付きが欠落していたのか、あるいは、もともと神聖幾何学ヒーリングの創始者に、そうした配慮が欠落していたのでしょう。(当然、前者の可能性の方が強いとは思うのですが・・・)




「全カルマ解除」は、アセンションへ向けてのワークの一環という位置づけのようですが、こうした位置づけにも非常に疑問があります。




カルマの解消は、確かに特殊なエネルギーワークではあるのですが、アセンションに繋がるかどうかというよりも、インド哲学的に言えばサンスカーラの浄化を経ることで、初めて本格的に可能になるワークだからです。(サンスカーラという言葉の意味は、ネットで検索して調べて下さい。 検索すると元オウム信者の団体のサイトが出てきますが・・・笑)




サンスカーラの浄化とは、霊性修業にとって時代を超えて重要な、まさに人類の大きなテーマのようなものですから、特にアセンションと結びつけて論じる必然性が、何とも良くわからないわけです。




以上は、あくまで個人的な見解ですから、基本線では正しいと思っているのですが、何かしら認識に微妙なバイアスがあるかもしれません。




何か違う点があるようでしたら、誰か指摘して下さると有難いです。




プロのヒーラーとしての立場から、いろいろヒーリングの世界やスピリチュアルな世界全般に誤解が多いように思えることがあります。




そんな訳で、今後も引き続いて、ちょっとロムリン的視点からの謎解きをしていきたいと思っています。




いろいろ相互に矛盾する教えがある中で、混乱して悩んでいる人も沢山見てきたので、こうしたスピリチュアルな謎解きは、本来は必須なのだと痛感しています。