滄洲に来ています。
「え!中国行くの?大丈夫なの?」と、色んな方から心配してもらいました。
「大丈夫なんじゃないかな。みんな生きてるし。人間だし」と楽観していましたが、いざネットでちゃんと色々調べるうちに私自身も「大丈夫なんやろか?」と不安になってきました。
食べ物、飲み物、水、特に滄洲は、地方都市なのでインフラも整わず、停電も断水もあるとのこと。
今回の滞在中も、水を出していたらいきなり茶色の水が出て、かと思ったら砂みたいな茶色のものが混ざってきました。
夫婦で「なにこれ!」
ちょうど野菜を洗うのにミネラルウオーターで洗う私に主人が「ミネラルウオーターは、最後のすすぎだけでいいやん」と言っていた矢先のことで、「水道水で洗わんでよかった」とほっとした瞬間でもありました。
翌日同僚の方が「あー。昨日断水やったから、始めはそうなるねん。よくあるで!」と言われそう。
いちいち気にしていたら、やっていられないようです。

言葉もそうで、通じないのは当たり前みたいです。
何年も駐在されている方でも、通じないことはしょちゅうあるそうです。
「通じるまで何回でも言い続けるのがコツ」と、通じない事をいちいち気にしていたらいけないそうです。
道路も信号があればラッキーで、その信号が正しく機能していたら超ラッキーと思わないといけません。
みんな、ひかれないように車も人も必死です。
ひかれたり、事故にあうのは、そんな風にひかれてしまうような歩き方をしている自分の責任も大きいそうです。
物を取られてしまうのも、そんな持ち方や管理の仕方をしている自分の責任も大きいそうです。

分からないとまるで怒っているかのように大きな声で言われますが、それはそんな習慣だそうで、これも気にしてはいけないそうです。

よその国に来させてもらっているんだから、その国の文化や習慣に馴染まないとなー。
「郷に行っては郷に従え」とは素敵な言葉ですね。

日本では色々小さなことをいちいち気にしていたところもあった私ですが、今年に入り、色んな経験、そして極めつけがこの滄洲での経験を通して、いちいち気にしないんしようになり、殻を破けてきています❗️

いちいち気にしていてもどうにもならない。
「自分はそれを食べて幸せか?美味しいか?」
「それをして楽しいか」を気にしたいと思います。

そして、感じたことは、それがどこでどんな環境でも、旦那さんと一緒にいればそれが私にとっての幸せで、そうしたら大概のことはどうにかなるし、できるんだと思いました。

正直、 言葉も分からないし、友達もいないし、私が無理に一緒に行けば、迷惑だったり、旦那さんの足手まといになるんじゃないか?日本にいた方がいいんじゃないかな?と思ったりもしたのですが、、、(この時点でいちいち気にしていますが)

旦那さんから「いいんじゃない?夫婦なんやから。夫婦は一緒に暮らすのが当たり前なんやから。
『なんで来るの?』『夫婦やから。』それでいいんじゃないん!」と嬉しい言葉をもらい、もういちいち気にするのをやめました。

マクロビオティックを勉強してから私が旦那さんに色々教えている気になっていましたが、実は私が色々教えてもらっていました。

旦那さんは本当にありがたいです。
毎日ありがとうです💕

一生懸命働いてくれてありがとう。
大事にしてくれてありがとう。
あげたらきりがないですが、まとめていつもありがとうです。

異文化を経験し、最後は旦那さんへの感謝で終りにしたいと思います🌺
1日1個の主人からまたまた教えられたこと。

来週中国に行くにあたり、あれやこれやと計画を立てたり、滞在するようになったらあれもしたい、これもしてみたいと希望を言う私に対して一言。
(1日1個と言いながら、行くとなると欲張ってしまいます)

「ここでは初めから気張ったらあかんで。何かをしようとかは、まず生活ができてから。
衣食住。これをまず自分でできるようになることが大事やで。それができてから次。」

確かに。
自分の身の回りの細々したことがきちんとできて、つまり、日常生活がきちんとできる、きちんとすることで、全てが調ってきます。
忙しくて掃除ができず、部屋がどんよりすると、なんとなく心もざわざわと落ち着かなくなる。
ご飯をちゃんと作らないと、元気がなくなる。
それが1日だけならいいんだけど、1日では変化が分からないからだんだん乱れ、あれ?と気付いた時には結構身体も心も疲れて乱れていた…
目の前の乱れた部屋が嫌になり、自己嫌悪に陥り…ということはよくあります。

まずは目の前の日常生活、衣食住をきちんとすることから始まるんだと改めて思いました。
そして、目の前の日常生活をきちんとこなしていたら、だんだん先のことも見えてくる、というか、次にするべきことが課題として降ってくるんだとも感じます。

ほんの少し前まで私は「一生の目標、一年の目標、1カ月の目標、今日の目標」を毎日ノートに書いていました。
それを見て、「こうなっていたい」と思ったりしていましたが。
つい最近「一生も一年も同じ?なんかこれ、違うかも」と思い、そのやり方を変えました。

目標を細かくすればするほど思考が入り、本質からずれるというか、私の場合、自我というかエゴが入ってしまうんです。
だから細かな目標を立てるのはやめました。
私には究極の一生の目標があり、全てはそれを実現するためにあり、それを実現させるために何をすればいいかは、本当には自分が知っているはずだから、それを感じて目の前のことにきちんと取り組めば、必然的にその目標に近づいていくんだと思います。

今は一生の目標、近日の予定を見ながらそれについての目標、今日一日の目標だけを書いています。
そうすると、なんかいい感じがするのでそうするようにしました。
また変わるかもしれないけれど…。

今日すべきことをやり、生き切る。
それでだんだん分かってくることもあるんだなと、最近分かりました。
そして、その「分かる」にも段階があるんだなということも最近分かりました。

私には、恩師(勝手に私が恩師と言っているのですが)がいます。
恩師のおかげで生きることが楽しくて素晴らしいこと、幸せの意味、健康の意味など、本当に大切な事を学ばせて頂きました。
また、別の日に恩師について書きたいと思います。

主人の一言から色々かんがえた今日この頃でした🌺
「1日1個やで」
が、中国で働く主人の口ぐせになりました。
最初は「何のこと?」と思っていたのですが、、、。

中国では、とにかく日本とは勝手が違うので事が思うように運ばないそうです。
日本ではすぐに手に入るものがわざわざ電車で30分かけて出ないと手に入らなかったり、
「すぐにやってほしいな」と思う仕事が翌週まで待たないといけなかったり。
日本の感覚でいると、だめなのだそうです。
それで主人は「とにかく1日1個できたらよしとする。そしたら1年で365個やで」という感覚に切り替えたそうです。

例えば、そうめんを食べる為に。
まずはそうめんと麺つゆを買う。鍋など器具を買う。準備に2日。
3日目に調理して食べられるといった具合なのだそうです。

確かに、何でも手に入りやすい環境にいる私達は、だんだん「待つ」ことができなくなっているようにも思います。
また、「時短」と言われる今日この頃ですが、私の場合、時短を意識する為に目の前の事がおろそかになることもしばしばあります。

私も「1日1個」で良しとして。
のんびりと、でも足元固めて頑張ろうと思います!