前回は「日本経済衰退」について書いた。
なぜそこに興味を持ったかというと、私の人生を大きく変えた出来事だからだ。
平成元年、世界の総資産トップ50のランキングには日本の企業が32社が占めていたが、平成の終わりにはわずか1社となってしまったのだ。
いったい日本の大企業で何があったのか?
これらの本を読んで、その失敗の原因がわかった。
一言でいえば、トップ経営者たちの慢心である。
まさに「奢れる者も久しからず」を地で行った平家のようだ。
ここからは、私の平成期の話をしよう。
私の人生がどれだけこの日本経済凋落に影響を受けたかがわかるはずだ。
平成元年、私は高校2年生だった。
BOΦWYを聞いて、バンドを組んで、ギターを弾きながら、彼女と遊んでいた。
誰もが知ってる有名大学へ進学し、バイトして、バイク買って、彼女を乗せて、デートをした。
当時はそんなに金があるとは思わなかったが、今思えばものすごくリッチな生活をしていた。
そしてパナソニックと肩を並べる超大手電機メーカーに就職。
ボーナスは6か月。
私立大4年分の授業料なんて1~2年で稼げると思っていた。
バブルがはじけた直後だった。
それでもしばらくは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だった。
海外にいくつもの支店や工場があり、出張で行ったマレーシア工場では1000人の労働者が働いていた。
日本円は今の2倍高く、1ドル80円。
毎日、外食して豪遊してもお金が余った。
会社が用意してくれたマンションは今で言う億ションで、24時間ガードマンがおり、プールがあり、レストラン、コンビニ、美容院、テニス場、クリーニングなどがそろっており、外に出なくても生活できた。
日本人社員はみな、地中海クラブという、高級会員制の旅行会社に入っており、休みは南の島で優雅に遊んだ。
工場には、マレー系の他に、中華系、インド系、バングラ系などいろんな民族がいたが、みんな貧しかった。
お金がないので、ほぼ無料のドリアンを、ほぼ毎日食べていた。
そんな状況だったので、日本がこんなに貧しくなるとはマジで想定していなかった。
漠然と、結婚し、家を建て、子供を育て、と考えていた。
ただ、今思えば、兆しはあった。
私がマレーシア国内で、下請けの部品メーカーに出張したときのこと。
そこで働いていたある女性が、流暢な英語で話しかけてきた。
「私は将来、日本人のような金持ちになりたい。そのためにいっぱい働いて、いっぱい勉強している。
日本がなぜ経済発展したのか教えてほしい、ついでに日本語も教えてほしい」と。
日本人スタッフがだらだらと休憩している横で、彼女は熱心に私の話をメモっていた。
こんなに不眠不休でばりばり働けば、ひょっとしたら中国も100年後くらいには日本に少しは近づくかも、と思った。
が、100年どころか10年後に、しかも完全にGDPで追い抜かれた。
2年後、会社経営は悪化し、私は1度もボーナスをもらうことなく、希望退職(つまり円満なリストラ)した。
さらに3年後、会社は完全につぶれた。
結局バブル崩壊で、再就職先が見つからず、現在に至るというわけだ。
まさに模範的な「ロストジェネレーション」である。
ちなみに私の弟も、早稲田大学卒、司法国家資格も持っているのに、同じ状況である。
今じゃ考えられないだろうがこれが現実である。
まぁ、時代のせいにしてもいいが、そんなことより、今生きるのが精いっぱいだし、せっかく生まれてきたんだから、できる限りこの世を楽しむつもりだ。