ゴールデンウィークだが、お金も暇もないので、庭で草むしりをしているロミオです。

 

塾の近くの人から泣きつかれるように組長を交代してくれと頼まれたので、人助けと思い、組長になった。

 

が、非常に面倒くさいことになった。

 

ただでさえ貧乏暇なしなのに、会合はあるわ、回覧板名簿作らなかんわ、広報配布せなかんわ、集金せなかんわで、安請け合いしたと後悔した。

 

というわけで、改善。

 

まず、集金を銀行振り込みか、直接塾に持ってきてもらうことにした。

 

本当はぺいぺいが最善だが、私が登録していない。

 

次に、広報を回覧板に挟んで、みんなに一部ずつ持ってってもらうことにした。

 

なんつったって、町内会の主旨は「助け合い」だからね。

 

さて、今回は「遺伝子はなぜ不公平なのか?」。

 

著者は稲垣栄洋氏。

 

世の中、努力すれば必ず報われる、とか、結果がでないのはお前の努力不足、とか言われるが、もうそのフェーズではない。

 

私もバカ正直に、頑張れば何でもできる!と思ってがむしゃらにいろんなことに挑戦してきたが、どうもおかしいことに気づいたのは人生の結構序盤で、4歳のときに、友達と相撲したり、力比べをするも、何度やっても勝てなかったから。

 

その後も、運動会のかけっこや部活の大会など、どうやっても1位にはなれなかったし、逆にイケメンなのでモテるし、勉強はしなくてもテストは大抵100点だった。

 

そして、高校生の部活の最後の大会で個人種目で県大会を逃したとき、完全に遺伝子のせいにすることに決めた。

 

それから、こういった本を読むにつれ、自分が正しかったと納得するようになった。

 

さて、内容を見ていこう。

 

まずはキリン。

 

首の短いキリンはいない。

 

チーターの中にも足の遅いやつはいない。

 

なぜならそんな個体はすぐに生存競争に負けてこの世から消えるからだ。

 

じゃあ、なぜ人間には足の遅いやつが存在するのか?

 

それは本来ならすぐにこの世から退場になるのだが、人間は多様性で、いろんな個性を持った奴を生かしておくことで、みんなで協力しながらいろんな危機を乗り越えるという生存戦略を取っているからだ。

 

たとえば、現在、ASDやADHD、アスペルガーなどの精神疾患で、教室内を落ち着きなく走り回るこどもや、人の気持ちがさっぱり読めない奴、人を殺してもまったく心拍数が上がらないサイコパスなどは、なかなか生きづらいと思うが、それも長い人類の歴史で見れば、とても役に立ってきたから一定数存在するのだ。

 

じゃあたとえば、みんなが塾へ行って高等教育を受けて、頭がよくなったら幸せだろうか?

 

全員が9秒台で走って同タイムで金メダルって面白いだろうか?

 

みんなが整形して同じ顔の美人になったらうれしいだろうか?

 

一位の奴はドベの奴がいるからはしゃげるのだ。

 

美人はブスがいるからチヤホヤされるのだ。

 

そもそも子宮の中で過酷な競争を勝ち抜いてきたんだから、もうこの世で頑張る必要はなくて、楽しくウイニングランすればいい、と書いてあった。

 

自分の持ってる遺伝子の特性の赴くままに、好きなことすればいい、と。

 

だからブスは「私がいるから石原さとみが輝いて見えるのよ」と豪語すればいい。

 

自分の持ってる遺伝子にどんな才能があるのかは、やってみないとわからない。

 

だから早い段階でいろんなことを経験してたくさん失敗すればいい。

 

それから遺伝子は時々コピーミスするようにできている。

 

それは環境変化に適応して生き延びる可能性を広げるためだ。

 

だから、君の周りで、なんやねんあいつ?みたいなちょっと変わった奴がいたら、それは遺伝子に選ばれた突然変異の人間かもしれないので、ちょっと離れたところから観察してみるとよい。

 

最後に、教育的意見を。

 

自分の子供の遺伝子を開花させるために、いろんな経験をさせるべきなのだが、ゲームやスマホやネットなどの仮想的なものはやらせないほうがいい、と書いてあった。

 

それらは答えがあらかじめ決まっていて、すべて予定調和だからだ。

 

それより、大自然の中で、思いっきり体を使って遊ばせる。

 

自然は全てが予測不能だから、脳にも体にもとてもよいのだ。