ワイズで働いてる講師の下の子が今月小学1年生になり、早速授業をボイコットしているらしい。
さらに初日に出た給食のハヤシライスも食べなかったらしい。
というわけで、入学早々母親が学校に呼び出された。
職員室で先生が尋ねても口を開かないので、母親が代わりに問い詰めた。
「なんで給食食べなかったの?」
「だってママのハヤシライスのほうがおいしいんだもん!」
ということで、それから母は何も言えなかったとのこと。
落語のようなオチがついたところで、今回は不登校の話。
ちなみに以前のパソコンでは「不凍港」と変換されていたが、今は「不登校」とすんなり出てくるところに時代を感じます。
家内から「不登校」ってどうなの?という質問が出たので、あらためて私の考えを書く。
結論から言うと、私はフリースクール大反対派である。
理由は簡単で、社会性が身につかず、自分勝手な人間になるからだ。
こんなこと言うと反論がありそうだから、もう少しわかりやすく説明してあげましょう。
人間は一人では生きていけない。
みんながそれぞれ自分の仕事をして、協力して成り立っている。
その恩恵もわからずに自分だけが、何もしないでのうのうと生きているのはおかしいだろ、という話だ。
もし、不登校やニートで、誰にも関わらずに生きていきたいなら、無人島か山奥で自給自足の生活をしろ、ということだ。
まー、1000歩譲って、学校と同じ規模の人数がいるフリースクールならOKかな。
それじゃ、学校と変わんないから、学校行けよってなるけどね。
そもそも、不登校が多くなった原因はいくつかある。
まず、親が甘い。
次に娯楽だ。
私は小学生の時、一度風邪で学校を休んだが、午後には回復し、ひまでひまで学校に行きたくなった。
つまり、自宅には子供が楽しめるものが何もないのだ。
が、今は違うらしい。
遊ぶものだらけで、むしろ学校へ行く求心力が削がれている。
法律の観点から見てみよう。
もちろん不登校は憲法に違反しているわけではない。
が、いずれ違反する可能性が高くなる。
それは学校へ行かないと、学力と社会性とコミュ力と堪え性が身につかず、会社に雇ってもらえず、生活に困り、犯罪を犯す、という流れだ。
簡単な例で言うと、IRとギャンブル依存症の関係と似ている。
大々的に堂々とギャンブルできる場所が建設されたら、そりゃギャンブル依存症の罹患者が増えるでしょ。
ちなみにギャンブル依存症の人もそうでない人と比べたら犯罪を犯す確率は高いでしょ。
また、義務で考えてみよう。
日本の3大義務は書くまでもないが、「教育を受けさせる、勤労、納税」である。
でも、不登校やニートはこれらすべてに違反するのだ。
義務を負わない奴が権利だけ主張するというふざけた図式だ。
これは、受刑者たちが主張している訴訟に似ている。
現在、ある受刑者が国を相手に「受刑者にも基本的人権があるから、刑務官と対等な関係にしろ」と主張している。
殺人など、何らかの法に抵触するようなことを犯した者が、人権を傘に、命令口調はやめろ、名前にさんをつけろと訴えているのだ。
人を殺しといて、俺を人間的に扱えという。
どうだ。
さすがに違和感を感じるだろう。
最近のニュースを見てても、なんか同じような臭いがする。
みんな自分が犯したことは置いといて、権利ばかり主張する。
さすがに死刑判決を受けた者が、「当日いきなり今から刑を執行しますってのは嫌なので、もうちょっと事前に知らせてくれ」という訴えは退けられたが。
不登校者とその親。
まずは学校に行け、そして勉強して、社会性を身に着けろ。
そして、働いて、税金を納めてから、言いたいことを主張しろ。
話はそれからだ。