さて、今年も9か月が過ぎた。
振り返ってみると、なんだか不完全燃焼感がある。
コロナで年明け、4月くらいから動き始めたが、社会人野球の開幕戦早々全治3か月の捻挫。
7月、そのまま走り込み不足で、テレビに映ろうと意気込んで、反り立つ壁の助走で全治3か月の骨折。
さらにコロナ第5波で、お盆自転車旅行、社会人野球、競泳マスターズ大会、すべてキャンセル。
オリンピックの聖火ランナーに応募したが落選。
NHKののど自慢で予選通過するも、やはり、緊急事態宣言で、中止。
そして、今日、サスケの出場募集にエントリーしたが、これが出場できなければ、俺の2021年はなんだかなーで終わってしまう。
ささやかなことで言えば、新ロミオパークを建設したり、服や本を買ったりしたけどさ。
さて、今回も気になる新聞記事から。
3年前、一宮市の中学生が自殺した事件で、市が和解金を支払って全面謝罪した、と書いてあった。
両親の方の言い分は、ずさんな先生の言動で息子は傷ついた。
こういったことが二度と起きないよう提訴した、という。
これも非常に違和感を覚える。
もちろん、先生の言葉には大きな影響力がある。
しかし、それによって親からもらった命を投げ捨てるということは、親の意思よりも先生の言葉の方が価値があると、子供が判断したんじゃじゃねーか。
親が先生よりも信頼できるという価値観をちゃんと子供に伝わっていれば、自殺を選ばなかっただろう。
つまり、親が生きることの大切さやつらさなどをきちんと教えられなかったことが自殺の原因なのに、それを学校や先生側に自殺の責任をなすりつけたことに非常に嫌悪感を感じるのだ。
詳細を見ると、進路指導の時に、先生から「お前、このままだと受験失敗するぞ」という言葉が自殺の引き金になったという。
そんなことで死ぬんじゃない。
だったら、合格できるように努力しろ。
この先生は何も落ち度はない。
正直な感想を述べただけだ。
スポーツ解説者が、今年の巨人は優勝できませんね、と言ったら、原監督が自殺するんか?
自殺したら、そのスポーツ解説者が高額なお金を払って謝らなければいけないのか?
私なんか、生徒にもっと正直な言葉でストレートに意思を伝えている。
中には、傷ついてる奴もいるかもしれないが、知ったこっちゃない。
やんわりした言葉を使ったら、こっちの意思がうまく伝わらないし、時間はかかるし、誤解されるかもしれないし、本人にもうまく刺さらないだろう。
こっちは本人のために本気で本音で話してるんだ。
努力を怠って、安易に楽に死を選ぶんじゃない。