寒すぎてトレーニングで外に出る前に気合いが必要なロミオです。
1日10時間トレーニングしています。
こんな生活を20年以上続けてますが、報われる日が来るんでしょうか。
逆に鍋を食べてる時は幸せを感じますね。
さて、このブログのフォロワーさんが38名になりました!
びっくりと同時にめっちゃうれしいです。
今日はそのお礼を伝えたかったので、何もテーマを考えてませんでしたが、せっかくなので何か書きましょうか。
「人はわかりあえない」行きましょう。
よく、道徳の教科書や、著名なコメンテーターなどが安易に多用する「よく話し合って、お互いをちゃんと理解しよう」という言葉。
「え?」
「できないよ」
「え?」
「できないよ」(ウエストランド風に)
できてたら「ブルータスお前もか」なんてたわいのない会話が、2000年の時を超えて、世界史の教科書に載るわけがない。
話し合って理解しあえるなら、戦争なんて起こるわけがない。
しかし、現に有史以来、いやアウストラロピテクス時代から現在に至るまで、人間はずっと絶え間なく戦争を続けているということは、いかにこの言葉が無力かわかるだろう。
戦争だけじゃない。
大化の改新も、本能寺の変も、2・26事件も、すべて解決できたはずである。
赤穂浪士たちもどんなに話し合っても理解してもらえなかったから、仕方なく、吉良さん宅へ討ち入りしたのである。
事件だけじゃない。
大晦日にどのテレビ番組を見るかというだけで家族が理解し合えないのである。
先日の新聞に、犬山市の小学校で、子供たちに運動会を話し合いですべて運営実行させる、という記事が載っていたが、どんなに話し合っても、意見がまとまらず、最終的に、例年通り、先生たちが調整に入って例年通りの運動会が行われたという。
そして、その記事の最後に、「たくさんの意見をまとめることは非常に難しいということを知っただけでもいい勉強になっただろう」と書いてあった。
そりゃそうだろう。
あんなに大勢の前で「一生愛します」って誓ったカップルの3組に1組が離婚するのである。
大人でさえ、分かり合えないのに、子供にできるわけがない。
人間(動物も)は一人一人違う考えを持っている。
全員のやりたい意見が全部実現するなんて、共同で生きている限り不可能だ。
だから、それを調整するのに、法律があり、検事がいて、裁判があるのだ。
とはいえ、出来る限り理解しあうことへの努力は続けるべきだ。
マジョリティーにとっては楽だが、やはりマイノリティーにとっては、この世は生き苦しさを感じるだろう。
たとえば、LGBTなんかは、先人たちが声を上げたからこそ、少しずつ認知され始めたわけだし。
いや、これは利害があまりかぶらないから、うまくいったのか。
これは個人的意見だが、私は女性が好きで、オカマ(外見は男なのに、女性っぽい言動や格好をする奴)を見ると「キモ!」と思うが、別にオカマが私に何かするわけでもないから許せるのである(昔はよくオカマに痴漢されたけどね)。
利害がからんでくると、途端に解決が難しくなるよね。
まぁ、妥協が必要になってくるけど、我慢できるかどうかだね。
なんだか、話がまとまらなかったな。