『幻の旅路』を読む 第3章−6 フランス オーストラリア人の夫婦 | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

『幻の旅路』を読む 第3章−6 フランス オーストラリア人の夫婦

http://ameblo.jp/wasansensei/entry-12159508113.html
http://ameblo.jp/wasansensei/theme-10093117674.html

大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(16) 2016年05月16日
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(17) 2016年05月16日
テーマ:『幻の旅路』を読む

「第3章 1980年、第三回目の旅」
9月15日~11月25日 71日間 七ヶ国
イギリス→オランダ→フランス→スペイン→モナコ→イタリア→ギリシャ→イタリア→モナコ→フランス→オランダ→フランス→イギリス


今回読んだページには、これまでに読んできたページの中で、もっとも感動的な、胸に迫るお話が綴られていました。
『幻の旅路』が単なる旅行記ではなく、「人生紀行」と呼ぶべき作品であることを確信しました。

ラ・ロシェルでオーストラリア人の夫婦に出会う (P97)
10月3日 ラ・ロシェル

駅の小さな案内所で情報を得ようとしたが、言葉が通じない。
それでも町の中心に出るには、駅前の道を真っ直ぐ歩いていけということだけは分かった。
案内所で後ろに立っていた家族が、親切にも自分たちの車に乗っていきなさいと申し出てくれた。

このように、見返りを求めない親切って、本当に心から感謝の気持ちが湧いてきますね。

私は、39歳の年に市教委の指導主事になりました。
20年以上経ったので時効と考えて書きますが、学校現場とは何もかも勝手が違う教育行政の仕事に慣れず、 ほとほと困っていたときに先輩指導主事に助けを求めました。
先輩は、私の質問に耳を傾け、ていねいに教えてくれました。
はじめは、ただただありがたかったのですが、やがて気がつきました。
先輩は、私の質問に答えるとき、チラッチラッと、向こうの席の上司の顔を確認していました。
「ちゃんと見てくれていますか? 私はこんなにも親切に後輩指導主事の指導ができる人間ですよ」と、上司に対して、彼自身の素晴らしさを無言でアピールしているようでした。
そのことに気づいてからは、先輩を頼る頻度が激減(げきげん)しました。

一階のバーで一息つこうとテーブルに着いたら、向こうから見慣れた中年の夫婦がやって来る。
二日前、モン・サン・ミッシェル城を見学していたときに出会ったオーストラリア人だ。
(略)
彼等は六十歳前後だと思うが、思い切って仕事の権利を売り渡し、足腰がまだ丈夫な間にゆっくりヨーロッパを見て回っているのだという。
(略)
不便な簡易ホテルでも文句を言わず贅沢もしない。
愚痴をこぼしたり病気をしたりする暇がなさそうな夫婦で、その瞬間瞬間を精一杯楽しんで生きているようで一緒に話をしていてとても楽しかった。


(P98) 写真 1984.04.06 「メルボルンの公園で 4年後モリーとパットを訪ねる

写真には、人柄の良さがにじみ出ている老夫婦が写っています。
写真の説明には「メルボルン」、「4年後」と書かれています。
つまり、大湾さんは、ラ・ロシェルで出会った老夫婦の住むオーストラリアで、老夫婦のモリーさんとパットさんに再会するのです。

日本の古い諺(ことわざ)を思い出しました。
袖振り合うも=他生(たしょう)[=多生(たしょう)]の縁
見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるとの意。
どんな小さな事、ちょっとした人との交渉もすべて深い宿縁によって起こるのだということ。
(国語大辞典(新装版)小学館 1988 より引用)

モリーさんとパットさん夫妻と大湾さんのふれあいの様子が99頁に書かれています。

それから四年後の1984年四月、私はオーストラリアのメルボルン郊外ビクトリアに彼らの家を訪ねた。
(略)
着いた日には白い刺繍入りのベッドカバーの上の枕元に、一輪のばらの花とチョコレートが置いてあった。
私の滞在中、彼らは奥の小さな部屋に移り、私には自分たちの寝室を提供してくれた。


旅先で知り合った友人を、 こまやかな心遣いでもてなしてくれる老夫婦の様子がよくわかり、読んでいて「ああ、国とか国境とかとは関係なく、よい人は世界中にいるのだな」と、嬉しくなりました。

そして、さらに感動的な場面は続きます。

次の目的地に出発する朝、二人でメルボルンのバスターミナルまで送ってくれ、私がバスに乗り込むとき、奥さんが茶色の紙袋を手渡してくれた。
バスの中で袋を開けてみたら、彼女が朝出発前に用意したと思われるサンドイッチとクッキーとバナナが一本、なかから出てきた。
思わず目頭が熱くなった。


些細(ささい)な事と言ってしまえばそれまでですが、一人旅を続ける大湾さんには、モリーさんの、打算の無い、心から友人の旅の無事を祈る気持ちが伝わってきたのだと思いました。
読んでいる私まで目頭が熱くなりました。

そして、衝撃的な出来事が訪れます。

2006年11月27日、(略)オーストラリアから突然電話が入った。
最初よく聞き取れなかったが、モリーという女性の名前を聞いてすぐ分かった。
彼女の息子からで、母親が衰弱して亡くなったという知らせだった。
私とは会っていないが、いつも両親が話していたからよく知っているといっていた。

彼の電話で一瞬にしてラ・ロシェルで彼らに会ったときのことが思い出されてきた。
そのときのことを電話で話してあげると、息子も一緒に泣いていた。
次の日、Eメールで両親と私が一緒に写った写真を葬式に飾っていいかと尋ねてきた。
彼女は享年(きょうねん)八十七歳だった。
彼らとラ・ロシェルで出会ったのは二十六年前だから、丁度あの頃モリーはいまの私の歳だったのだ。


旅先で出会ってから26年。
何という長い年月でしょう。
旅で出会った人との交流とは、物理的な交流とともに、心の、精神的な交流として継続されるのだな、と、深く感動しました。

26年経って、国際電話とEメールとで友人の葬儀に「立ち会う」ことができたという事実は、大湾さんの旅が言葉どおりの「幻の旅路」ではなく、「確固として存在した人生航路」であったことの証明であります。

冒頭にも書きましたが、今回読んだページには、これまでに読んできたページの中で、もっとも感動的な、胸に迫るお話が綴られていました。
本当によいご本を読ませていただき、著者の大湾さんには心から感謝申し上げます。
このあと、2匹の猫の話も登場するのですが、読後感が長くなりましたので、次回に譲らせていただきます。

ラ・ロシェルでオーストラリア人の夫婦に出会う  (P99)
10月3日 ラ・ロシェル

大湾さんには愛猫が2匹いました。
ラ・ロシェルで出会ってから26年もの長い年月、交流のあったモリーさんが 2006年11月27日にお亡くなりになったという連絡を受けたとき、15歳になる愛猫の1匹が重い病気にかかっていました。

写真 「傷ついた心の幼女を助けてくれた兄弟猫のアルバート(上)とアンカー
2002.09.01(上)/2003.07.01(下)
2枚の写真の猫は、大湾さんのブログに紹介されている2つの動画に登場している猫たちではないか、と、思いました。
間違っていたらごめんなさい。
この動画というのが、大湾さんがテレビ局から取材を受けた番組で、下記のYouTubeに公開されています。

その通りです。
これらのDVDを作る直前に、最後の1匹の猫が亡くなりました。
これらの作品は猫たちの思い出と愛情を込めて、『3匹の猫たちに捧げる』意味で作りました。
DVDの最後の部分に猫たちの写真が載っているのは、そのためです。
皆さんもお時間がある時に是非ご覧ください。


---------

幻の旅路』という書名を英訳したものが “Revived Journey” なのでしょうか。
revived は「改訂された」というような意味だと覚えていますので、 “Revived Journey” は「旅路の改訂版」。
すなわち、「本書を書き上げることで旅路を振り返る」という意味なのでしょうか。
これまた間違っていたらごめんなさい。

Revivedという意味は、蘇生(そせい)する、一旦死にかけた人が生き返る時などに使います。
『幻の旅路』の出来事は30年以上も前の出来事で、私が書き始めてから、実際一冊の本になったのは、30年経っていました。
屋根裏部屋に埃に埋もれていた物が、やっと光に当てられたという意味で、『幻』という題がつけられ、それにふさわしい意味は「蘇(よみがえ)った旅路」を英訳して“Revived Journey”としました。
題名については、下記のあとがきに詳しくブログに説明してあります。

http://ameblo.jp/romantictravel/theme-10070623912.html
2013-06-10 07:34:54
『幻の旅路』 あとがき~人生への思いを遥かなる旅路に込めて
テーマ: ├ あとがき~遥かなる旅路に込めて~

この紀行文は最初「三十代、ヨーロッパを一人歩く」という仮題をつけていたが、塩澤幸登編集長から「幻の旅路」という題名はどうかとの提案があった。
「幻」という言葉は「幻の幽霊船」というイメージがあって、どうもピンとこないと返事を送ったところ、日本では「幻」という語は、長い間日の目を見ず埋もれていたものが発見された時にも使うと教えられた。

日本の新聞をよく見ると、なるほど「幻の酒」とか「幻のウイスキー」、あるいは「幻の邪馬台国」というように、「幻」という言葉が決して否定的な意味には使われていない。
この題名を英語に訳すと、「Revived Journey (蘇った旅路)」とでもなるだろうか。

確かに、四、五十年前に学んだ日本語で、三十年前に書いたこの日記は、現代の日本を知らない浦島太郎が書いたような話である。
埃の積もった屋根裏部屋でがらくたのなかに埋もれていた日記のように、内容も表現も古くてカビ臭いのは当然。
塩澤編集長が考え出して下さった題名がピッタリのような気がした。

(以下略)

Revivedと1字違いの Revisedは、学者さんがおっしゃっている「改訂する、訂正する」という意味になります。
何回も書き直してので、確かに『幻の旅路』は、書き直しながら、昔の旅路を振り返ると言う意味にもなりそうです。



実はこの猫は十五年前(1991年)シェルターから引き取った美しい兄弟猫の一匹だった。
私たち夫婦は大好きなスイスの画家「アルバート・アンカー」の名を取って、それぞれの猫に「アルバート」と「アンカー」と名付けた。
(略)
それから三年後(1994年)、日本人の生みの親とアメリカ人の養親に何かの事情があって二回も手放され、心に深く傷を負った三歳十ヶ月の日本人の女の子を引き取った。
いままで愛されたことも愛することも知らなかった彼女に、二匹の猫が愛することを見事に教えてくれた。


これが本書『幻の旅路』に大湾さんの娘さんが初めて登場する場面でした。
二匹の猫たちは、単なるペットではなく、娘さんの人生の初期、娘さんの人間形成に大きく関わったことがわかります。
猫たちの存在が娘さんの心身の成長に計り知れない役目を果たしたのだ、と、思いました。

そして、この文章には「私たち夫婦」と書かれていますから、大湾さんのご主人様が本書に登場したのも、この文章が初めて、と、いうことになりましょうか。
また、猫たちを「シェルターから引き取った」と書かれています。
「シェルター」を直訳すれば「避難所」になりますから、おそらく二匹の猫は動物を一時的に保護する施設にいた、と、いうことなのでしょうか。

アニマル・シェルター (Animal Shelter)は、捨て猫やこれ以上飼うことのできない犬猫を一時的に預かって、保管する施設です。
ある期間保護されますが、引き取り手のない動物たちは、殺処分されます。
デイビットが連れてきた老猫(『結納金は猫一匹』に登場する猫のこと)が死んだ時、絶対ペットは飼わないと誓ったのに、シェルターにいた2匹の兄弟猫を見た途端、誘惑に負けて、引き取りました。
この猫たちは命拾いをした恩返しに、傷ついた幼女の心を癒してくれました。



彼女が愛することを少し学びかけたときに、アンカーが十四ヶ月もがんと闘った後、十三歳で死んでいった。
そしてアルバートは、この旅行記が完成するまで何とか生き延びておくれと願っていたら、椅子から二回も落ちて腰を骨折し完全に動けなくなったにもかかわらず、九ヶ月も病気と闘って、2007年6月29日、 ちゃんと私が原稿を書き終わるのを待って逝った。
二匹ともまるで「僕たちのお役目は終わりましたね」といわんばかりの立派な死に際だった。


私は動物を飼っていませんので、実感として理解することは困難ですが、ペットの動物は飼い主の人間にとって、家族の一員として愛されているのだ、と、いうことがよく分かりました。
猫の13歳というのは、人間に例えると何歳になるのか、私には分かりませんが、恐らくは、高齢だったのだと推察します。

いずれにしても、ラ・ロシェルは、大湾さんにとって、血の通った温かい思い出の地であったことには違いありません。
そして、旅で出会った人たちとの交流が人生の中で大きな意味を持つことがある、と、いうことも、私は『幻の旅路』から学びました。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アルアン箱
Albert & Anker 1991


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アルベッド
Albert 1992


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アル庭
Albert 2002


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アン庭
Anker 2003

(以下の2つのブログに全文引用しています)

http://ameblo.jp/romantictravel/theme-10050134031.html
2011-11-29 05:07:04
『幻の旅路』よりAlbert & Anker
テーマ:├ CATS 猫自慢

2006年11月27日、十五歳の猫がもう何週間も嘔吐を繰り返し、食事もしなくなって死が間近に迫ったことが分かって悲しんでいた時に、オーストラリアから突然電話が入った。
最初よく聞き取れなかったが、モリーという女性の名前を聞いてすぐ分かった。

彼女の息子からで、母親が衰弱して亡くなったという知らせだった。
私とは会っていないが、いつも両親が話していたからよく知っていると言っていた。

彼の電話で一瞬にしてラ・ロシェルで彼等に会った時のことが思い出されてきた。
その時のことを電話で話して上げると、息子も一緒に泣いていた。
 
次の日、Eメールが送ってきて、両親と私が一緒に写った写真を葬式に飾っていいかと尋ねてきた。
もちろんオーケーと返事をしたが、彼女は享年八十六、七歳だと言っていた。
彼等とラ・ロシェルで出会ったのは26年前だから、丁度あの頃モリーは今の私の歳だったのだ。
そう考えると、なおさら感慨深い。
葬式には体は参加できないが、心は参加すると言ったらとても喜んでいた。
 
今にも死ぬかと思っていた猫はそれから何ヶ月も生き延びた。
11月から友人の獣医さんの所に週三回点滴とビタミン剤をうちに行った。

12月末、長年使っていた化学性のクリーナーを使わなくしたら、嘔吐がぴたっと止った。
しかしその頃には、右腕にできた腫瘍は二倍に膨れ上がり、腹の中の腫瘍はグレープフルーツ大に拡大していた。

翌年の2月になったら、水道栓を止めた後に水道をひねると勢いよく水が飛び出るように、毎日水便が続いた。
3月呼吸が異常になり苦しそうだったので、病院に連れて行くのを止めた。
点滴を上げなくなったら、今度は下痢がぴたっと止った。

(以下略)


http://ameblo.jp/romantictravel/entry-11091391635.html
2011-11-28 01:22:56
うちの猫自慢 Albert & Anker
テーマ:├ CATS 猫自慢


『幻の旅路』大湾節子のブログ-4PR外テーブル


あなたの町の図書館にも『幻の旅路』を1冊、置いてもらってください。
お家の近くに図書館はないですか?
次回、図書館をご利用することがございましたら、
『購入希望図書』として『幻の旅路』を申請してください。
ご負担にならなかったら、是非よろしくお願いいたします。

また、あなたの町の図書館や母校に寄贈をご希望の方も、遠慮なくお申し出ください。
送料、手数料など私が負担して、『本の泉社』を通してお送りいたします。
本名『幻の旅路』
発行『2010年8月30日』
著者『大湾節子』
発行所『茉莉花社(まつりかしゃ)』
発売所『本の泉社』


海外:*著者から直接お求め下さい。($20)

幻の旅路―1978年~1984年 ヨーロッパひとり旅/大湾 節子

¥2,940
Amazon.co.jp

下記の地域の町の図書館、および大学の図書館に『幻の旅路』を寄贈いたしました。
2015年:
沖縄県・長崎県・福岡県・鳥取県・広島県・兵庫県・大阪府・香川県・愛媛県・東京都
2016年4月:
京都市・三重県・滋賀県・奈良県・和歌山県。愛知県・岐阜県・静岡県