東日本大震災 義援金のエピソード 出会いを求めて | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

東日本大震災 義援金のエピソード 出会いを求めて
















*画面(文字)を大きくしてお読みください。
*動画はフルサイズでお楽しみください。

*前に書いた記事を改めてご紹介します。(2012-06-02)

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東日本大震災の復興がまだ完全に終わっていないのに、2024年の正月には石川県能登半島の地震が発生しました。
今から60年ほど前に、金沢出身の大学時代の親友に兼六公園や能登半島を案内してもらったことを思い出しました。
冬休みに故郷へ帰ると必ず母のお気に入りの金沢名産「柴舟」の和菓子をお土産に持ってきてくださいました。
おっとりした優しい性格の友人で、学生時代はとても親しくしていましたが、その後交信は絶えてしまいました。
今回の地震で彼女やご家族はどうしていらしゃるでしょうか?
何十年ぶりですが、思い切って電話を入れてみましょう。

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2011年(平成23年)6月4日(土曜日)付けのラフ(羅府)新報に、ブログに書いた次のエッセイが掲載されました。(1)

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その女性は車から財布を取って来ると言って出ていったが、なかなか戻って来なかった。
待っている間に、ヨガのクラスに参加した生徒たちはみんな帰ってしまった。

すぐ戻ってくると言ったけれど、いくら待っても戻ってこない。
本気じゃなかったのかもしれない。
そう思って、写真をしまいかけたら、ゆっくり体を揺らせて戻ってきた。
車をすごく遠い所に止めたのか、それとも、どこか体が悪くて早く歩けないのか。
それでひどく時間がかかったらしい。
 
彼女は先ほど選んだ写真をもう一度じっくり眺めている。
大きな布のバックを広げて、中国製の小さい袋を取り出した。
中を覗いている。
くしゃくしゃの紙切れと一緒に一ドル紙幣が数枚見える。
別の袋を取り出した。
その中も覗いている。


今回の東日本大震災で一番被害の多かった宮城県にお金を送ろうと、個人で義援金集めを始めた。
自分が旅先で撮った写真をヨガのクラスに持ってきて、一枚5ドルで売ることにした。
一週目、少しお金が集まった。
二週目も持ってきてテーブルに並べた。

今日は隣に中年の日系人女性が席を取った。
少し小太りで、動作がゆったりしている。
ヨガのクラスには前に来たいたことがあるらしいが、私は彼女に会うのは初めてだった。

体操をしている間、声をかけた。
「向うのテーブルに寄付金用の写真を置いてあるから、時間があったら帰りに見て下さい」
彼女は何にも反応しなかった。
それで、全く期待はしなかった。
  
クラスが終わって、彼女は帰りの支度をするのにすごく時間がかかった。
私がテーブルの上の写真を片付けようとしていたら、ゆっくりと近づいてきた。
テーブルに広げられた写真をじっと見て、一枚の写真を選んだ。

そして、財布は車の中にあるから取りにいく。
待っていてちょうだいと出ていった。
 
やっと戻って来て、お金を支払う段になったら、乱雑に色々な物が入っているバックの口を大きく広げて、中をかき回している。
「この写真、あなたが全部写したの?」
「はい」
「ずいぶん沢山旅したのねぇー」

会社が倒産したのが理由で旅を始め、それから十六年間、世界各地をずっと旅していたと話した。
 
「今でも旅をしているの?」
十七年前、養女を引き取ったので止めた。
心が深く傷ついた子だったので、彼女を育てるのに忙しくて旅どころではなかった。
それで十六年間、日本にも一度も帰国しなかったと話した。

3月15日、三年ぶりに帰る予定をしていた。
入院中の姉の見舞いとと五十年ぶりにクラス会に参加するつもりだった。
ところが、11日、東日本一帯に大震災が襲った。
大津波で福島原発に事故が発生した。
やむなく日本行きはキャンセルした。

今回一番被害の多かった宮城県にクラスメートがいた。
やっと携帯電話がつながって、途切れ途切れだが彼の声が聞き取れた。
「家は倒れなかったです。
何とか生きていますから大丈夫です」

そして、次回帰国したら、是非仙台に遊びにきて下さいと誘ってくれた。
どう考えても人を呼べる状態ではないだろうに、そんなことを言った。
友人と話した後、私も何かしなくてはと、早速先週から寄付金集めを始めた。

と、その女性に今までのいきさつをかいつまんで説明した。
彼女は何か感じることがあったのか、黙って頷いて聞いていた。
 
「こんなことをすると批判する人もいるけれど、私は何でも思ったら、すぐ実
行に移さないといけない気が済まない性格だから」
と付け加えた。
 
彼女は紙に書いた寄付金の宛先を見て、この紙を家に持っていっていいかと聞
いてきた。

一枚しか持っていなかったので、少し考えていたら、
「ああ、じゃあ、こうするわ」
と、言った。
どこかの団体に寄付しようと思っていたけれど、きちんとした所に直接送られるのなら、そこに寄付するから、貴女にチェックを切ると、小切手帳を取り出した。
 
宛先を、「Nanka Miyagi Kenjinkai」と書いた。

丁寧な綺麗な字体である。
そして、金額を書き入れる所を見ていたら、「200ドル」と書いて、サインをした。
一枚5ドルの写真だというのに。
「ワー、こんなたくさん。この写真、全部持っていっていいわ」

全部はいらないと言って、十枚選んだ。
最初に選んだ写真は、サンタバーバラに住んでいる友人に送るのだと言った。
ガンで瀕死(ひんし)の状態にある人だと付け加えた。

その写真はスイスの古城で撮った写真だった。(*注1)
2000年に写真展をしたときに、この古城の持主の子孫に当たる老婦人にたまたま出会った。
そのときのことを話してあげた。

「そんな不思議な出会いがあったお城の写真なの」
と、彼女は嬉しそうな顔をして私の話を聞いていた。
そして、やっぱり娘や息子たちにも送るからと言って、後二枚選んだ。

今度は、おもむろに彼女は自分のことを話し始めた。
三十年以上も幼稚園の先生をしていた。
それが唯一の生きがいだった。

それが、最近隠退してからはずっと目的なく生きていた。
毎日何の気力もなく、元気も出なかった。
これから先、どういう風に生きていこうかと悩んでいたときに、たまたま貴女に出会った。
 
貴女の今まで選んで生きてきた道を聞いていて、すごく力づけられた。
明日は、あるかどうか分からないと、すぐ実行に移す態度も感心した。
この募金集めも、とても情熱を持って真剣にやっているので、寄付する気になったのだと話してくれた。
そして、貴女に出会ったのは、とてもいい出会いだった。
感謝すると言って、涙ぐんだ。

感謝するのは私の方だった。
もともとヨガのクラスなんか参加するつもりは全然なかった。

昨年、自費出版する本の編集しているとき、慣れない日本人の編集長とのやりとりで神経をすり減らしていた。
サンタバーバラの宿の女主人にその話をしたら、ストレス解消のためにいいから、ヨガに参加しなさいと、盛んに勧めてくれた。

それで参加したのだが、昨年は忙しくて殆ど出られなかった。
それにクラスに行っても頭の中は本のことばかり考えて、ヨガに集中していなかった。
今年から、絶対欠席はしまいと決心し、毎週参加していた。
しかし今日も頭の中は、寄付金集めのことばかりを考えていた。

どうしてこんな厄介なことを始めたのだろうと、半分後悔していた。
でも一旦始めたら、止める訳いかない。

迷っているときに、この女性と出会った。
彼女は私の善意を信じてくれた。
私を分かってくれる人との出会いを求めていたら、全く期待していなかったのに出会った。
世の中にはちゃんといい人がいるのだ。
ただ真剣に求めないから、見つからないだけなのだ。

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*ラフ(羅府)新報の石原嵩編集長にエッセイを送ったところ、第8面 上半分を使って掲載して下さった。
『津波で陸に打ち上げられた大型貨物船=5月28日、岩手県釜石市(共同)』
『廃校に集められた思い出の写真を捜す親子連れ=5月29日、宮城県南三陸町の旧入谷中学校 (共同)』の2点の写真も本文の中に挿入されていた。

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(*注1)
ブログテーマ:『人生とはー人の出会いは方程式』
『人の出会いは方程式—It’s a small world』(2010-12-31)
に登場する女性、モルドおばさん。是非お読み下さい。

$『幻の旅路』大湾節子のブログ-WUKDEGG CASTLE

Wildegg Castle, Switzerland 1993/09/04


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*『幻の旅路』
33歳から39歳までの7年間。
ヨーロッパの旅の日記です。(1978年―1984年)
ブログテーマ:『一人旅 幻の旅路より』『幻の旅路』

*『結納金は猫一匹』
42歳から44歳までの3年間。
猫と本しか持っていなかった夫との出会いの話。
(1987年2月—1989年12月)
(第1章)から順にお読み下さい。

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*東日本大震災の被災者の皆様が、一日でも早く、心安まる日を過ごせることを心からお祈り致します。
*今回の能登半島地震の被災者の皆様が、1日でも早く、暖かい床で休むことができるように心からお祈りいたします。

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