『幻の旅路』より 序  旅のはじめに | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

『幻の旅路』より 序  旅のはじめに



窓から差し込んでくる淡い冬の光にネガフィルムをかざしてじっと見る。
どれにしようか? 
三十代、ヨーロッパを旅していたときに撮った写真のフィルムをアルバムから抜き出して見つめている。

2008年、今まで取っておいたネガフィルムをスキャンするプロジェクトに取りかかった。
本を出版するためである。2万3千コマ余りもあるネガの中から、どれにするか選択するだけでも大仕事だ。

オレンジがかったネガを一枚一枚丁寧に見ていたら、旅をしていたあの日あの時のことが鮮明に思い出されてきた。
ああ、こんなことがあったのだと、懐かしい思いが胸一杯に広がる。
しばらく楽しい記憶に浸っていたが、ふとあることに気が付いて、はっとした。

私の過去は24mm×36mmの小さなフレイムの中にすべて凝縮されている。
この薄いアセチルセルロースに記録された画像が、若い頃の全情熱と時間を注いだ証(あか)しなのだ。

それにしても、あれほど印象深く忘れがたい貴重な経験が、燃えてしまったら跡形もないこの縮小されたイメージに残されているだけとは・・・・・。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-1Trub Church

Trub, Switzerland

私が初めてヨーロッパの旅に出たのは1978年、三十三歳のときだった。

いまでも庭の雑草を一本いっぽん抜いている時、夕食の野菜を刻んでいる時、突然頭の中にヨーロッパの街角の景色がよみがえってくる。

秋空に浮かぶ白い雲を見ると、南フランスの海岸で飛ぶように流れていた雲を思い出す。テレビで旅の番組を見ていると、それぞれの土地で出会った人々が無性に懐かしくなる。
いまごろ彼らはどうしているのだろう。
まだ生きているだろうか。

ラジオからクラッシク音楽が流れてくると、その国の景色が一瞬にして目に浮かび、旅をしていたときに感じた胸の高まりを覚える。
そして、何かやるせなく切ない気持ちに襲われる。

あれから三十年もの月日が経ってしまった。
もう何もかも、くり返すことのできない遠く過ぎ去った幻の日々だ。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-2BicycleBrienzWest

Brienz West, Switzerland
 
1969年、二十四歳の時、南カリフォルニア大学院で映画の制作を勉強するためにアメリカに渡った。

渡米して五年目、永住権が取れたのを境に働き始めた。
日本から進出した会社で、ロス・アンジェルスにオフィスをかまえ、私がそこの代表者だった。
小さな会社で、しかも設立に関与したので自由がきく。

将来この会社が成功した暁(あかつき)には手伝う程度で、自分の本来の夢である創作の仕事に集中できるだろうと考えていた。

ところが、手を広げ過ぎて、二、三年で資金不足で倒産してしまった。
まさかこんなことになるとは想像もしなかったので、私も会社の連帯保証人の一人になっていた。
倒産すれば、当然こちらにも請求書が回ってくる。
オフィスにいても、かかってくる電話は借金の催促ばかり。
ノイローゼになったように手足に震えが出る。

そんな時、初めてヨーロッパの旅に出た。
疲れ果てた自分を癒(いや)すためだ。

朝霧に覆われたロンドン郊外の深い緑の田園風景を見て、心身ともに洗われたような気がした。
「倒産した会社の問題が片付くまで、毎年ヨーロッパに来よう」と、そのとき心に決めた。

会社の問題が解決するまでは貯金もできなかった。
それで一年の九ヶ月ほど働いて家賃を前払いし、残ったお金はすべて旅に使った。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-3Kanderstag

Kanderstag, Switzerland

幼少の頃からヨーロッパの映画や音楽、文学や美術の世界に影響を受けていた私は、ヨーロッパに強い憧れのようなものを持っていた。

実際訪れてみると、これらの国々は日本に比べて変化の波が緩やかで、どこか幼い頃の日本を見ているようで、とても懐かしい気がした。
私のペースで古い街並や美しい自然をゆっくり見て歩くことができた。
歩きながら、見たり、感じたり、考えたり、体験したりするには最適なところだった。
 
三十代、私はヨーロッパに恋し、ヨーロッパを旅していた。
旅をしながら、「自分のこと」、「人生のこと」、そして「自分を取り巻く世界のこと」について考えていた。

それを小さな手帳に書き記した。
それがこの紀行文である。

この日記は、三十代から手書きで書き始め、四十代、五十代、六十代と、長年にわたって書き直した。
最近になって訪れた土地の歴史や情報を調べてみると、そのとき感じた印象とはかなり違っていることが多かった。

この記録は、あくまでも私自身の「心の成長記」なので、何ごとも極めて主観的にとらえ描写してある。
それで事実と相反する場合もあるかもしれない。

最初の七年間の旅はよほど強い印象を与えたとみえる。
いまでも書き直していると、その日のスケジュールから周囲の情景、その時々の心情まで細かく鮮明に再現されてくる。
歩きにくい石畳を重いスーツケースを引っ張って歩いていた時に手にできた、タコの硬い感触さえ感じられる。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-Helsinki,Finland

Helsinki, Finland
 
最後にスイスを訪れたのは1993年。
それ以降、旅に出ていないが、世界の情勢も一変してしまった。
それまでも「テロリスト」という言葉をよく耳にしたが、今日のように毎日ニュースに流れるようなことはなかった。
当時は、いまほど怒ったり憎しみ合ったりする人が少なく、旅をするにももっと安全だったような気がする。

若い頃は「いまできることを、私しかできないことを、やり通すこと」と自分に言い聞かせて生きてきた。
現在のように世の中が不安定で、しかも、昔のような体力もエネルギーもなくなってしまったこの歳になって振り返ってみると、やはりできる時に旅をしておいて本当によかったと思う。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-4Eschlymat 

Escholzmat, Switzerland
 
旅先ではさまざまな出来事にであい、いろいろな経験をした。
そして、何か人生の意味を悟ったような気がした。

多種多様な人々との出会いの不思議さや楽しさも体験した。
自分の恵まれた過去や環境に感謝することを学んだ。

偏見も先入観もすべて人間が作り上げた表面的な基準で、人間の本質はそんな物差しで判断されるべきでないということも学んだ。

生きることの美しさ、命があることのすばらしさも学んだような気がした。
「この世に生まれた喜び、生きている喜び」、つまり「人間賛歌」を次の世代の者にも経験させたいと思うようになった。

そして、もうひとりの人間を生み育てるという考えに思い至った。
しかし、独身の時にはあえて子供を作らなかった。
子供は親を選べない。
それに、私一人の力で育てるのは到底無理だし自信もなかった。
それで旅先で好きな人に出会っても、思い出だけを残した。
 
日本にひとりの女性がいた。
彼女は私とはまったく違う道を選んでいた。
三十代に彼女は次の世代の人間をこの世に送り出していた。
私のようにつかみどころのない幻のような思い出や、焼けて灰になってしまうフィルムでもない自分が生きた証(あか)しとして、実体のある形を残していた。
 
大好きな旅や写真も書き物も休止して、いま私が全エネルギーと愛情を注いでいるのは、その女性が生んだ子供のひとりである。
結婚するまでは、あえて子供を作らなかった私が、未婚で次々と産んだその女性の子供を育てている。

私は、五十歳近くまで色々と苦労もしたが、自分のやりたいことはすべて経験してきた。
そして、人生の最後に一番大切なことを一つだけ残しておいた。
「今さらその年齢で子供を引き取って」と周囲の者に反対されたが、私はあえてその道を選んだ。

「人生は99パーセントまですでに決まっているのかもしれない。けれど、後の1パーセントは自分で選びたい」。
私は残された1パーセントで、母親になる道を選んだ。


二十代に家族と離れて苦労してアメリカにやってきたこと、スクールガールの家を突然追い出されたこと、車の事故に遭ったときに十セント(十円)も手元になかったこと、夜中から朝方まで働いて大学に通ったこと、アルバイトの帰りに殺されそうになったこと、倒産した会社で苦労したこと、ヨーロッパの僻地(へきち)を一人さまよい歩いたこと、書物と老いた黒猫が全財産だったデイビットと結婚したこと、とそういったすべての過去が、現在の私の生活に結びついているのだが。

それにしても、何のために、寂しい思いをしてまで家族と離れて海外に出てきたのか、シネマを学ぼうと苦学をしたのか、そして長年世界の各地を歩き回っていたのか・・・・・。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-Fribourg

Fribourg, Switzerland
  
2008年五月、十六年ぶりに帰国した。
久しぶりに見る日本は道ゆく人の表情も街並もすっかり変わっていた。

そういう私もずいぶん変わってしまっていた。
二十年前は一年に最低三回は旅行していたが、今は体力も気力も十分の一に減少してしまった。

本当にあんな遠くギリシャまで足を延ばしたのだろうかと、あの頃の自分のバイタリティーに驚いたり感心したりしている。

そんな旅をしていた若い頃の自分と、人生の下り坂に入った現在の自分とがどう結びついているのか、いつも不思議に思う。
見知らぬ土地に辿(たど)り着いたとき、どうしてこんなところにいるのだろうかと胸をついて出てきた自分への問いは、六十歳を過ぎた今でも変わらない。

南フランスの片田舎の駅で、ひとり落葉の舞を見ていた時、駅のトイレでかじかんだ手で化粧をしていた時、フランスとイタリアとの国境のさびれた部落を訪れた時、「何でこんなことをしているのだろう」と繰り返し出てきた問いは、他人の子を育てているいまもたびたび出てくる。

結局、人間は幾つになっても本質的には変わらないから、多分私が人生の旅を続けている間、いつも同じ問いが出てきて、解答は出てこないのだろう。

『序 旅のはじめに』(P41-P45)より ブログ用に引用


『幻の旅路』大湾節子のブログ-Mostar,Yugoslavia
Mostar, Yugoslavia


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(有坂明(甥)氏制作の木製サイン)

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