『幻の旅路』より ヴェエンヌ川の河畔で | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

『幻の旅路』より ヴェエンヌ川の河畔で

シノンの住宅街を斜めに横切って川岸に出る。
美しい秋の夕日に照らされて、河畔のポプラ並木の大木から茶色に染まった枯葉がヒラヒラと舞い落ちる。
並木道はまるで雪が降り積もったように、地面が落葉で一面厚く覆われている。
その上を歩くとサクサクと落葉がこすれ合う音がして、足の裏からも晩秋の訪れが感じられる。

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Chinon, France

学校を終えた子供達がカバンを背に通り過ぎる。
並木道に停まっていた大型のトラックから、青い作業服を着た二人の若者が降りて来て、熊手で落葉をかき集め始める。
たちまち、あちらこちらにすごい量の落葉の三角山ができる。

二人は大分先の方まで行って落葉をかき集めていたが、しばらくして手前に止めてあったトラックに引き返して来た。
そして三角山の落葉をバラバラとトラックの荷台に入れ始めた。
かなりの時間をかけて、一つ一つの三角山を崩していたが、やがて全部入れ終わると、今度はトラックの荷台をもっと大きな三角山にして行ってしまった。

後は静寂が残るのみ。
 
川下の方に下りて行くと、川岸に古びたボートが一隻、木の影に繋がれてあった。
この夏からずっとそこに捨てられ忘れられてしまったようだ。
向こう岸の川底で何か掘り返しているらしい。
両岸に一本の太いローブが張られ、その上を黒ずんだバケツがキイキイと鈍い音をたてながら、ゆっくり行ったり来たりしている。

川岸には私の他誰もいない。
バッタン・キュー・バッタン・キューという単調な搾出所のロープの音の繰り返しの中を、川が静かに流れている。

遥か右手奥の小高い丘の上に、シノン城の城塞の一部が垣間見える。
五百年以上も前、あの城が使われていた頃は、この川岸の道を、馬に股がった騎士達が颯爽(さっそう)と城を目がけて走って行ったのだろう。
馬のひずめが聞こえるようだ。
今は半分潰れかかっている城の門もその当時は堂々として、門に続く細い土手を何千何百という騎士達が出入りしていたのだ。
 
あの頃もヴィエンヌ川は流れ、その以前も、そして今も変わりなく流れている。
時には氾濫(はんらん)して水害を起こすこの川も、今は静かに、昔から何ら変わりがないように無欲な流れをしている。

緩やかな川の流れを見ていたら、日本で読んだ釈迦(しゃか)の一生を書いたヘルマン・ヘッセの『シッダルダ』を思い出した。
主人公のシッダルダが色々な人生経験を経た後、最後に落ち着くところは、小さな川の渡し守だった。

私は数時間後シノン駅から列車に乗ってパリに向かう。
私が立ち去った後も、この川はなおも静かに流れ続けている。
何一つ変わっていないように見えるが、そこには昔も今もそしてこれから先も静かな「時の流れ」があるのみである。
決して把握できない今という瞬間、黄昏(たそがれ)が刻々と迫ってくる川岸で一人立って、ゆったりと川の流れを見つめながら、心安らかに存在している。

$『幻の旅路』大湾節子のブログ-シノン河ボート

Chinon, France

川下の方で自転車を横に置いて、土地の人が二、三人釣り糸を垂らしている。
日は落ち、辺りがすっかり暗くなる。さあ、そろそろ駅に行かないといけない。

薄暗い駅の構内で18時32分発の列車を待っているのは私一人だった。

『幻の旅路』第5章 1982年、第五回目の旅 1982年10月28日
(P385-P387)より

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