人の出会いは方程式ーIt's a small world. 初めてブログを開設する。
「人生は必要なときに必要な人と巡り合うようになっていて、最終的には自分の求めている方向に道が開けていくものらしい。
それはまるで数学の方程式を解いているような感じがする。
1から2、2から3が導き出されるようになっていて、一つ一つのステップを全て通過していかないと、最後の答えが出てこないのだから。」
『幻の旅路』 第4章 1981年、第四回目の旅 『モンブラン』 P230-231より
「こんにちはー」
明るい声がして、いづみさんとタックさんが12月28日(火曜日)、私のアパートの戸口に現れました。
人見知りなど全く知らない、笑顔一杯の二人に、我が小さなリビングルームがぱーっと明るくなりました。
今回初めて自費出版した『幻の旅路』のPRに悪戦苦闘していると言ったら、
「これからはインターネットの時代ですよ。
ブログを作るのを教えて上げるから、その中で自分の本を宣伝しなさい」
と、若い二人に教えられました。
私がコンピューターを使えるようになったのは5年前。
いまでも、デジタルカメラは持っていないし、石器時代にいまだ住んでいる私たち夫婦。
ブログなんて、まったく縁がないと思っていたのに、いづみさん、私をコンピューターの前に座らせて、ほらそこを押して、そうそうと言っている間に、あっという間にブログが出来上がってしまいました。
まったく考えてもいなかったこの若い二人に出会ったのは先週のこと。
話せば長いです。
今年の1月16日、パサデナセミナーの講演会で、芥川受賞など様々な賞を受賞した米谷ふみ子さんの講演を聴きにいきました。
演題は、
『長年日本社会、出版界、メディアと付き合った物書きの驚き』
初めての自費出版で、色々と戸惑う経験をしていた私は、これこそ私が求めていた講演会だと飛んでいきました。
「なるほど、こういうことだったのか」
と、米谷さんのお話に頷くことが多く、講演の後で、色々と質問をしました。
米谷さんはご自分の経験をもとにして、とても親切に教えて下さいました。
講演会の帰り際に、
「元気のいい人だ」
と言って、私に名刺を渡してくれた一人の男性がいました。
それから10ヶ月たって、日本からやっと『幻の旅路』が着いたので、12月5日、自宅で出版記念パーティーを開くことにしました。
どうかなと思いましたが、一応佐藤さんという名刺をくれた男性にもメールを送くりました。
そしたら意外にも、
「行きます」
とメールがきました。
その日はあいにくマリンバの演奏会がありましたが、佐藤さんは途中で抜けて、私のパーティーに顔を出してくれました。
最初は興味半分、それで友だちと二人で一冊本を買おうと約束していたらしいですが、私がそのパーティーで必死になってPRをしている姿を見て、同情をしたのでしょう。
最初の約束とは違って、それぞれ一冊ずつ買って下さいました。
数日後、低い声で電話がありました。
「佐藤ですが...」
まったく期待していなかったのに、『幻の旅路』がなかなか面白いと、わざわざ電話をかけてきてくれたのです。
そして早速、親友の水野さんの会社に行って、彼にこの本の宣伝をしてきてくれました。
雨の日、水野さんから受け取ったお金を持って、車でやって来ましたが、道に迷って、私の家を見つけられなかったらしいです。
「大湾さん、お金は郵便で送るから、水野さんのところに本を届けて下さいよ」
と、言う訳で、雨の日、水野さんのところに本を届けに行きました。
そしたら、そこで、私を待っていた若い二人を紹介されました。
「こちらがいづみさん、こちらがタックさん」
私が旅の話をしたら、二人とも目がキラキラ輝いて、頷(うなず)いています。
何だかこの若者たちも私と同じ波長を持っているようだと思ったので、早速、
「良かったら、来週家に来ませんか」
と誘いました。
それが、12月28日のことです。
そして、この二人がやって来て、全く予想も期待もしなかったのに、私のブログを作ってくれました。
私の強い願いが、この日の出会いにつながったようです。
私が30代、『幻の旅路』で書いていたことが、ここでも実証されました。
ありがとう。
パサデナセミナーを開いて下さった半田さん。
講演をして下さった米谷さん。
名刺を下さった佐藤さん。
若い二人を紹介して下さった水野さん。
そして、エネルギー溢れた若いお二人、いづみさんとタックさん。
お蔭さまで、また世界が広がりました。
少し長くなりますが、似たような話がまだあります。
Wildegg Castle, Switzerland 1993/09/04
『幻の旅路』のグラビアの頁 (P20)の写真を見て下さい。
キャプションに、
『スイス・ヴィルデック城の窓辺のプラント 2000年 私の写真展でこの城の子孫と偶然巡り合い友だちになる』
と書いてありますね。
これだけではお分かりにならないでしょう。
ちょっと説明させて下さい。
2000年、パロスバルデスの古い格式のある図書館に付属しているギャラリーで写真展を開きました。
そのとき、何千枚もある写真の中から、夫のデイビットが選んでくれた、上の写真を招待状の写真に使いました。
実は、これは1992年、デイビットが見つけたスイスの古城の内部です。
彼は私と違って、どこか旅に出る時は下調べを徹底的にしてから出かけます。
1992年、彼は一人でスイスに出かけましたが、本で見つけたこのヴィルデック城を訪れました。
そして私にぜひ気に入るから、行くように勧めました。
1993年、私はスイスを訪れ、早速この城を訪ねてみました。
ルツェルンからローカル線に乗って、バスに乗り継いで、城に向かいました。
その日は雨が降っていましたが、城の周りは畑で、こんな所にお城が本当にあるのかしらと思いながら、足を進めました。
着いたところは、小さな三、四階建ての石の建物で、その隣は農家。
農家の壁にあさがおが巻き付いていました。
城の入口に草ぼうきが立てかけてあり、乳母車が置かれていました。
小さな庭にはオレンジが植えてありました。
中に入ると、鎧兜(よろいかぶと)の類はなく、たった今まで誰か人が住んでいたような質素な木製の家具が置かれていました。
デイビットが言っていたように、私もこのお城が大好きになりました。
その一つの窓辺に置かれていたプラントを写した写真が上の写真です。
さて、2000年8月の写真展のときに時を移します。
この写真を入れた写真展のお知らせを色々な日系の新聞に送りました。一ヶ所、サウスベイ近郊に配布されている「Daily Breeze」という新聞社にも送りました。
写真展が開催中、私は毎日ギャラリーに行って、写真を観にきて下さった方とお話をしていました。
ある日のこと、背の高い老婦人が、
「Seko, Seko (セコ、セコ)はどこ?」
と、白髪の老人と一緒に、大股でギャラリーを横切ってやって来ました。
ただで配られる「Daily Breeze」の日曜版に載っていた、私の写真展の広告を見てやって来たというのです。
そしてなんと言ったと思います。
私が紹介の写真に使ったスイス・ヴィルデック城は、昔、自分の家族が持っていたというのです。
世界中、何千何万といる人の中で、この写真が自分の家族のお城の窓辺だと気がつく人は、何人いるでしょう。彼女一人しかいません。
彼女はモルドさんと言って、オランダに住み、パロスバルデスに移ってきたのは、ずっとずっと昔のことです。
それでも、彼女の英語はヨーロッパの強いアクセントが残っています。
そのとき、彼女は80歳、私が55歳。いまから10年前のことです。
二人が出会うのに、私は55年かかり、モルドさんは80年かかったということです。
正しくこの世は "It's a small world" です。
それから、すっかり友達になって、いまではとても親しくしています。
もちろん、12月の出版パーティーには、もう一人の親友のバーバラさんと一緒に来てくれて、日本語を読めないのに、本を一冊買ってくれました。
バーバラさんは私が30代ヨーロッパに毎年でかけていた頃、成人学校のフランス語教室で出会い、これまた姉妹以上に親しくしているお友だちです。
私が二人を招いたときの写真が下の写真です。
モルドさん(左)、私(中央)、バーバラさん(右)
どうぞ、私が元気なうちに私の小さなアパートに遊びにいらっしゃってください。
体にいい、美味しいカリフォルニア料理を御馳走しますよ。
それはまるで数学の方程式を解いているような感じがする。
1から2、2から3が導き出されるようになっていて、一つ一つのステップを全て通過していかないと、最後の答えが出てこないのだから。」
『幻の旅路』 第4章 1981年、第四回目の旅 『モンブラン』 P230-231より
「こんにちはー」
明るい声がして、いづみさんとタックさんが12月28日(火曜日)、私のアパートの戸口に現れました。
人見知りなど全く知らない、笑顔一杯の二人に、我が小さなリビングルームがぱーっと明るくなりました。
今回初めて自費出版した『幻の旅路』のPRに悪戦苦闘していると言ったら、
「これからはインターネットの時代ですよ。
ブログを作るのを教えて上げるから、その中で自分の本を宣伝しなさい」
と、若い二人に教えられました。
私がコンピューターを使えるようになったのは5年前。
いまでも、デジタルカメラは持っていないし、石器時代にいまだ住んでいる私たち夫婦。
ブログなんて、まったく縁がないと思っていたのに、いづみさん、私をコンピューターの前に座らせて、ほらそこを押して、そうそうと言っている間に、あっという間にブログが出来上がってしまいました。
まったく考えてもいなかったこの若い二人に出会ったのは先週のこと。
話せば長いです。
今年の1月16日、パサデナセミナーの講演会で、芥川受賞など様々な賞を受賞した米谷ふみ子さんの講演を聴きにいきました。
演題は、
『長年日本社会、出版界、メディアと付き合った物書きの驚き』
初めての自費出版で、色々と戸惑う経験をしていた私は、これこそ私が求めていた講演会だと飛んでいきました。
「なるほど、こういうことだったのか」
と、米谷さんのお話に頷くことが多く、講演の後で、色々と質問をしました。
米谷さんはご自分の経験をもとにして、とても親切に教えて下さいました。
講演会の帰り際に、
「元気のいい人だ」
と言って、私に名刺を渡してくれた一人の男性がいました。
それから10ヶ月たって、日本からやっと『幻の旅路』が着いたので、12月5日、自宅で出版記念パーティーを開くことにしました。
どうかなと思いましたが、一応佐藤さんという名刺をくれた男性にもメールを送くりました。
そしたら意外にも、
「行きます」
とメールがきました。
その日はあいにくマリンバの演奏会がありましたが、佐藤さんは途中で抜けて、私のパーティーに顔を出してくれました。
最初は興味半分、それで友だちと二人で一冊本を買おうと約束していたらしいですが、私がそのパーティーで必死になってPRをしている姿を見て、同情をしたのでしょう。
最初の約束とは違って、それぞれ一冊ずつ買って下さいました。
数日後、低い声で電話がありました。
「佐藤ですが...」
まったく期待していなかったのに、『幻の旅路』がなかなか面白いと、わざわざ電話をかけてきてくれたのです。
そして早速、親友の水野さんの会社に行って、彼にこの本の宣伝をしてきてくれました。
雨の日、水野さんから受け取ったお金を持って、車でやって来ましたが、道に迷って、私の家を見つけられなかったらしいです。
「大湾さん、お金は郵便で送るから、水野さんのところに本を届けて下さいよ」
と、言う訳で、雨の日、水野さんのところに本を届けに行きました。
そしたら、そこで、私を待っていた若い二人を紹介されました。
「こちらがいづみさん、こちらがタックさん」
私が旅の話をしたら、二人とも目がキラキラ輝いて、頷(うなず)いています。
何だかこの若者たちも私と同じ波長を持っているようだと思ったので、早速、
「良かったら、来週家に来ませんか」
と誘いました。
それが、12月28日のことです。
そして、この二人がやって来て、全く予想も期待もしなかったのに、私のブログを作ってくれました。
私の強い願いが、この日の出会いにつながったようです。
私が30代、『幻の旅路』で書いていたことが、ここでも実証されました。
ありがとう。
パサデナセミナーを開いて下さった半田さん。
講演をして下さった米谷さん。
名刺を下さった佐藤さん。
若い二人を紹介して下さった水野さん。
そして、エネルギー溢れた若いお二人、いづみさんとタックさん。
お蔭さまで、また世界が広がりました。
少し長くなりますが、似たような話がまだあります。
Wildegg Castle, Switzerland 1993/09/04
『幻の旅路』のグラビアの頁 (P20)の写真を見て下さい。
キャプションに、
『スイス・ヴィルデック城の窓辺のプラント 2000年 私の写真展でこの城の子孫と偶然巡り合い友だちになる』
と書いてありますね。
これだけではお分かりにならないでしょう。
ちょっと説明させて下さい。
2000年、パロスバルデスの古い格式のある図書館に付属しているギャラリーで写真展を開きました。
そのとき、何千枚もある写真の中から、夫のデイビットが選んでくれた、上の写真を招待状の写真に使いました。
実は、これは1992年、デイビットが見つけたスイスの古城の内部です。
彼は私と違って、どこか旅に出る時は下調べを徹底的にしてから出かけます。
1992年、彼は一人でスイスに出かけましたが、本で見つけたこのヴィルデック城を訪れました。
そして私にぜひ気に入るから、行くように勧めました。
1993年、私はスイスを訪れ、早速この城を訪ねてみました。
ルツェルンからローカル線に乗って、バスに乗り継いで、城に向かいました。
その日は雨が降っていましたが、城の周りは畑で、こんな所にお城が本当にあるのかしらと思いながら、足を進めました。
着いたところは、小さな三、四階建ての石の建物で、その隣は農家。
農家の壁にあさがおが巻き付いていました。
城の入口に草ぼうきが立てかけてあり、乳母車が置かれていました。
小さな庭にはオレンジが植えてありました。
中に入ると、鎧兜(よろいかぶと)の類はなく、たった今まで誰か人が住んでいたような質素な木製の家具が置かれていました。
デイビットが言っていたように、私もこのお城が大好きになりました。
その一つの窓辺に置かれていたプラントを写した写真が上の写真です。
さて、2000年8月の写真展のときに時を移します。
この写真を入れた写真展のお知らせを色々な日系の新聞に送りました。一ヶ所、サウスベイ近郊に配布されている「Daily Breeze」という新聞社にも送りました。
写真展が開催中、私は毎日ギャラリーに行って、写真を観にきて下さった方とお話をしていました。
ある日のこと、背の高い老婦人が、
「Seko, Seko (セコ、セコ)はどこ?」
と、白髪の老人と一緒に、大股でギャラリーを横切ってやって来ました。
ただで配られる「Daily Breeze」の日曜版に載っていた、私の写真展の広告を見てやって来たというのです。
そしてなんと言ったと思います。
私が紹介の写真に使ったスイス・ヴィルデック城は、昔、自分の家族が持っていたというのです。
世界中、何千何万といる人の中で、この写真が自分の家族のお城の窓辺だと気がつく人は、何人いるでしょう。彼女一人しかいません。
彼女はモルドさんと言って、オランダに住み、パロスバルデスに移ってきたのは、ずっとずっと昔のことです。
それでも、彼女の英語はヨーロッパの強いアクセントが残っています。
そのとき、彼女は80歳、私が55歳。いまから10年前のことです。
二人が出会うのに、私は55年かかり、モルドさんは80年かかったということです。
正しくこの世は "It's a small world" です。
それから、すっかり友達になって、いまではとても親しくしています。
もちろん、12月の出版パーティーには、もう一人の親友のバーバラさんと一緒に来てくれて、日本語を読めないのに、本を一冊買ってくれました。
バーバラさんは私が30代ヨーロッパに毎年でかけていた頃、成人学校のフランス語教室で出会い、これまた姉妹以上に親しくしているお友だちです。
私が二人を招いたときの写真が下の写真です。
モルドさん(左)、私(中央)、バーバラさん(右)
どうぞ、私が元気なうちに私の小さなアパートに遊びにいらっしゃってください。
体にいい、美味しいカリフォルニア料理を御馳走しますよ。