たまには経済学のお勉強でもどうぞ | ハンパ者の日本のためのちょっといいブログ

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「さて、現在の日本の大学の経済学者は、ほとんどが新古典派経済学者になってしまっています(特に東大)。結果的に、新聞に載る経済関係の論文も、基本的には新古典派がベースであり、「グローバリズム推進」やら「緊縮財政」やらばかりが幅をきかせている有様です。
 グローバリズム推進者は「自由貿易は常に正しい」からこそ、グローバリズムを推進している…」


たまには経済学のお勉強でもしましょうか?

この文章はいつも通り新世紀のビッグブラザーからの引用です

実は、経済の勉強がしたいなら何も大学の経済学部に通わなくても「新世紀のビッグブラザーへ」のブログを読めば「ホント」の経済知識が手に入りますし、大学の眠い授業を聞くよりも、千倍ぐらい「ためになる」記事がたくさんあります

ビッグブラザーが繰り返し批判している「新古典派経済学」という経済学の主流な学派があるのですが、この連中が主に1970年代以降、現在に至るまで世界中を引っ掻き回している張本人たちです

80年代以降、新自由主義が世界中で広まったわけですが、このように「世界中で広まった」現象というものは、明らかに偶然起きたわけでなく、「誰か」が「意図して」やった結果でしょう

「新」古典派経済学というのは、アダムスミスとかの時代から数えてもうかれこれ200年以上、「自由貿易は素晴らしい」と言い続けていますが、新世紀のビッグブラザーで何度も指摘されているように、「自由貿易」が経済的に「素晴らしい」のは、①「完全雇用」や②「資本移動の自由」がない(←アンチグローバリズム金融)などの条件が与えられているとき「だけ」であり、それらの条件が揃っていないときには、自由貿易は経済的に「すばらしくない」のです

ですから「自由貿易による繁栄」には「発動条件」が存在するのです

にも関わらず、「新古典派経済学派」は「自由貿易による繁栄」を勝手に「無制限解釈」し始めて、「どんなときでも」自由貿易は繁栄をもたらすというように、「発動条件」を無視した議論をし始めます

要するに、彼ら「新古典派」にとっては、「議論」だとか「学問」だとか「真理の探求」などと言うものは「二の次」なのであって、「国際貿易は、いついかなるときも自由貿易でなければならない」「国際経済システムは、絶対絶対自由でオープンでなければならない」という「教条主義」があるだけです