小学生かもしかしたら幼稚園くらいからか、
定かではないけど、私は自分がちょっと人とは違う事に気がついていた。
人とは違うなんて言うと、非凡な個性があったとかみんなと違う感性があったとか、良い事の様に聞こえてしまうかもしれないけど、そんなんじゃない。
簡単に言うと、出来損ない感?
あれ?なんか私、キラキラしてるあの子達と違う。
まず、幼稚園児にして私は自分が可愛くない、という事に気がついた。
別に自分を卑下してる訳じゃなく、幼稚園児ながらに冷静に感じた。
あの子は確実に私より可愛いと。
そしてその子は可愛いだけではなく、よく先生にも褒められていた様な気がする。
みんなでカレーを作った時のこと。
その子は、素晴らしい猫の手をして、(その手の画像は流石に覚えてないけど)
人参か何かを切っていた。それを見た先生の1人が言ったのだ。
「あれなら絶対に手を切らないね」と。
しかも、わざとらしくその子を褒めるのではなく、その子には聞こえない所でポツリと発した一言だった。私はその隣に居た。
こんな大人に、本音で褒められるあの子はすごい。
大袈裟ではなく私は33歳なった今でも、
猫の手で野菜を切る時、その光景を思い出す。
そんな事を覚えてる時点で、その頃の私にどれ程の影響を与えた事か。
恐ろしい。
そこで感じた劣等感。
初めて家族以外の人が居る場所に出て、感じた感情だと思う。
それからというもの、
私は好きな人に、好きになってもらえない子供時代を過ごした。
そう感じていた。
すごく覚えているのは、言った言葉があんまり人に理解されなかった事。
私の言葉に共感してくれる人なんてあまりいなかった。
小学生の時は特にそうだった気がする。
その時好きだった男の子は、私と隣の席になるのを嫌がった。
たぶん、私がブスだったからではなく、
卑屈でねじ曲がった、嫌な性格をしていたからだと思う。
なんか違う。ズレてる感じ。
自己評価かと、周りの私への評価が全然合っていない感じ。
劣等感や自信のなさはどんどん大きくなった。
だけど何故か、私はその事で悩む事はなかった。
いや、実際悩んでは居たのもしれないけど、自分を変えようとはしなかった。
嫌われてるのは知ってるよ、でも私は悪くない。笑笑
たぶん、そう思っていた。
可愛くないのも、今は子供だから可愛くないけど、大人になって本気出せばキレイになるはずだと信じていた。なぜか。
確か、おばあちゃんか誰かが言ったのだ。
「子供の時に可愛い子は、大人になったらくずれる」
このなんの根拠もない、偏見に満ちた言葉が私の支えだった。
そして、私は自分の頭の中でこう変換した。
「子供の時に可愛くない子は、大人になったらキレイになる」
笑笑
すごい。思い込み。
そう、ズレてる上に思い込みが激しい。
それは今でも変わらない。
今もズレたまま、思い込みは止まる事を知らない。
私は子供の頃となにも変わっていない。
もちろん、何か自信があったから変わらなかった訳ではなく、
なんか違和感を感じるけど、無視して生きてきただけ。
自分に対して違和感を感じて自分を変えるのではなく、周りに違和感を感じ、その人達からは離れた。
だけど不思議。そんな私にも小学生の頃から、仲良くしてくれる友達は居た。
高校生の頃には、私を好きになってくれる人も現れた!
だんだんと、私の言葉を分かってくれる人がまわりに増えたのだ。
今33歳だけど、共感してくれる人は、歳を重ねる度に増えていると思う。
さすが大器晩成型なだけの事はある。笑
私は何も持っていない。
頑固で、ズレてて、思い込みが激しい。
だけど、それでもいいんだ。
自分に嘘をつかなければ、
敵は去り、味方だけが残る。
ズレてるほうがいいって、エレカシの歌。
だから好きなんだー。