だいぶ前に菅田将暉が好きだから観た映画、
『セトウツミ』


正直、あの時はそんなに良いとは思わなかった。

クスッと笑えるけど、それだけ。

 

突然ですが、
私は最近良性の腫瘍が見つかり、手術で入院していました。

 

退院してからもしばらくら仕事を休んで、家で休養していました。

 

本は読むとすぐに疲れてしまって、
だからずっと映画を観ていた。


アマゾンプライムでもう観るものがなくなってしまうくらい。

 

観る映画を選ぶ中で気がついたのは、
心身共に弱っている時って、観られるものが結構限られてくるってこと。

ポジティブ過ぎてもなんか虚しくなるし、
ネガティヴ過ぎると、気分はどんどん落ちていく。
好きなのに、普通の恋愛モノとか一つも観なかった。笑
よく観たのは、50代〜70代が主人公の淡々とその日常を描いた物語。

老人からパワーを沢山もらった。
特にモーガンフリーマンが出てるのはほとんど良くて、ほとんどが病気の役なんだけど、カッコ良かったな。

 

 

そして本題のセトウツミ。

 

私は菅田将暉(瀬戸)が好きだけど、
久しぶりに観たら何故だか、池松壮亮(内海)の声にとても愛を感じた。

内海から瀬戸への愛。

愛とゆうか、お互いに、好きで好きで仕方ない!って声に出てる。

でも瀬戸は、元々大きな愛を持っていて、
物事の全てを、その愛のフィルター越しに見ている感じがする。

それに対して内海は、心の奥底にしまった愛を瀬戸にだけ見せてる感じ。

では、その事がなぜこんなにも伝わってきてしまうのか。考えた。

 

伝える演技が上手い、とかでなく、
もともと愛がある人達だからだと思う。

もし、2人が血も涙もない冷酷な人間だとしたら、「演技が上手い」とゆう事になるんだと思うけど。

セトウツミって何作かあって、
もっと若い俳優が出てるバージョンもある。

監督も違うけど、でもなんか全然違う。

違いはなにかって言ったら、
やっぱり声だと思う。

声の重み。

内海が瀬戸を見下したり、アホやこいつ、
と吐き捨てる時。
でも声には愛がこもっている。

セトウツミは、瀬戸と内海がいつも同じ場所で、たわいもない話しをする会話劇。
本当にただ話しているだけ。
だから声が全てで、
表情って何故かそんなに見ない。
いえ見るんだけど、何故かあんまり重要視しない。
表情からはそんなに感情を読み取らない。
人は、結構声から感情を読み取ってる。

だから、いくら愛を込めて名前を呼んでも、
それが演技なら、きっと伝わらない。

理由もなく、愛を感じた言葉は、
それがどんな言葉でも、なんだか分からなくても、信じた方がきっといい。

セトウツミは、なんの根拠もないけど、
ただ感覚だけで信じた愛は大正解って事を教えてくれる映画です。

 

 

私も内海みたいに、
好きな人にしか声に愛を込めなかった。


変な髪型!とか言いながら愛を告白していた。若かったあの頃。
恋人は、変な髪型!と言われて笑っていた。
愛の告白は成功していたのだ。
それがすごく、嬉しかった。


言葉なんてなんでもいいんだ。
愛が、心のどこかに1ミリあればいい。


大切な事は言葉には出来ないんだから。