横笛は、建礼門院徳子の雑仕女となった女性で、平重盛(平清盛の嫡男)の武士で「滝口の武士」でもあった斎藤時頼(後の滝口入道)が愛した人でした。


史料では、『平家物語』10『源平盛衰記』39に登場します。


前回、横笛について書いた記事はこちら。


しかし、あるとき時頼は、横笛からも平家からも背を向けて、出家してしまいます(17才〜19才の時)。その理由は、


①時頼の父で左衛門尉である以頼(もちより。『平家物語』ではこの名で、『源平盛衰記』では茂頼(しげより))に、二人の仲を諫められたからとか、


「依道心云々」 「当時滝口遁世、定無其例歟」(藤原経房の日記『吉記』より)とか、


③同時期に、時頼の兄で内舎人(うどねり)である頼久が、越前で戦死したことも関係しているのではないか(『尊卑分脈』より)、などと言われています。


(ある時、急に出家するのは、かつて北面の武士だった西行に似ている。西行の場合も、待賢門院璋子が好きだったが、叶わなかったとの説がある。妻と娘を捨てての出家。すがりつく娘を蹴り落としたとも。大河ドラマ『平清盛』で、西行役を演じた藤木直人さんのイメージが強い。ちなみに、西行と清盛は同い年。)



時頼が出家したあとを、横笛も追って嵯峨野の法輪寺(往生院とも。往生院の方は、現在、滝口寺となっている。)に行きましたが、「ここにそういう者はいない」と追い返され、引き返していきました。実は、すぐそこに時頼はいたのですが……。



   時頼が襖の隙間から見ている絵。



時頼は、再び横笛が法輪寺に訪ねてくることを恐れ、奥深い高野山へと登って行ってしまいます。そして、高野山でしばらく過ごしていた頃、横笛が奈良の法華寺で出家したことを知りました。


そこで時頼は歌を送りました。


そるまではうらみしかどもあづさ弓

    まことの道にいるぞうれしき

(髪を剃り出家するまでは、この世を恨みもしましたが、あなたも仏道に入ったと聞き、うれしく思っています。)


阿浄(あじょう。時頼の出家名。)斎藤時頼


横笛も歌を返しました。


そるとてもなにかうらみむあづさ弓

    ひきとどむべき心ならねば

(髪を剃りあなたが出家されたからといって、どうしてお恨みしましょうか。とても引きとどめることなど出来ない、あなたのお心を。だから、私もあなたに倣い出家したのです。) 横笛


(両首とも『平家物語』10  横笛より)



その後、間もなく、横笛は法華寺で亡くなったといいます。


法華寺には、「横笛堂」と、横笛が時頼にあてて書いた文の書き損じの紙で作ったと言われる「横笛像」が安置されています。 



      法華寺の横笛像
  (冨倉徳次郎『平家物語全注釈 下巻(一)』角川書店、1967年より)


史実では明らかにされていませんが、二人は何通も文を送り合っていたのかもしれませんね。



✨✨リアルとロマンは交錯する✨✨✨


『平家物語』横笛の段を題材に、横笛と斎藤時頼(滝口入道)の小説『梓弓引く頃に』を書いています。ぜひ、読んでみてくださいね(◠‿・)—☆🍁


〈『梓弓引く頃に』内容紹介より〉


これから平家は、どうなってしまうのですか?」――横笛は不安そうに時頼につぶやいた。富士川の戦いでの敗北、福原遷都の頓挫、棟梁清盛の死。「平家にあらずんば人にあらず」と言われた、その平家の栄華に翳(かげ)りがさし始めた時代――。のちに「高野(こうや)の聖(ひじり)」と呼ばれることになった、平重盛の武士斎藤時頼(滝口入道)と、建礼門院徳子の雑仕女横笛との恋を描く。

『平家物語』巻第十「横笛」を題材に、平家の棟梁・平清盛の嫡男平重盛の武士・斎藤時頼(滝口入道)と、建礼門院徳子の雑仕女・横笛との恋を描く。源平争乱は、若き二人の運命をも翻弄する。長編歴史小説。


【目次】
追憶
青海波(せいがいは)
鹿ケ谷(ししがたに)
神崎
梓弓
熊野
幻の福原京
法輪寺
高野山
六代




 他にも、平安時代の歌人、藤原定家と式子内親王を描いた『われのみ知りて』、鎌倉三代将軍源実朝とその妻坊門信子を描いた『雪は降りつつ』も出版しています。