年明けから自宅療養を続けていましたが、

先週の土曜から体調悪化💦 今週 月曜から ま た 🏥入院となっておりますσ(^^;)

つっても、今回の入院は抗生剤などを連続で投与が目的なので、

その後の様子をみて問題無いようなら今週中にも退院となります。


ってことで、

映画関連じゃない記事でも書きましょうかね^^




盛岡三大麺の一つ “ 盛岡冷麺 ”

冷麺を提供している店は盛岡市内だけでも数々あるが、最も有名な店は “ ぴょんぴょん舎 ”


だが ぴょんぴょん舎 は 盛岡の冷麺発祥の店 でもなく、

ましてや 特に美味しい店でもない ( お好きな方々、すみません(^人^;) )

なのに、

 盛岡冷麺おすすめランキングの上位には必ず入っているし、

 「 盛岡冷麺 といえば ぴょんぴょん舎 」 と言われているほど。


昨年12月に書いた →  『 盛岡 食い倒れ ( 盛岡冷麺 編 ) 』 

この記事内でも ぴょんぴょん舎の冷麺は………💧 ってなこと書きましたσ(^^;)


昨年10月 に初めて食べて…… 不味い💧とまでは言わぬが、

なんで この程度 の味でそんな評判になるのだろう?

なんで この程度 の店が 東北から関東 まで多くに店を展開できるのだろう?

イメージ戦略などの商売がよっぽど上手な方がされているのだろうなぁ。

とおもっていました。

 ( ぴょんぴょん舎をお好きな方々、再びすみません(^人^;) )




で、最近、その理由がわかったっ! ……ような気がする。


冷麺 はもともと 韓国 ( 正確には朝鮮半島なのかな?) から伝わってきた料理。

それを独自にアレンジ創作したのが、盛岡 で創業 1954年 の “ 食道園 ”

 ← 食道園

 ← 平壌冷麺

盛岡の冷麺発祥と言われている店。

創業当時 盛岡冷麺 という名称は無く、食道園 では現在も “ 平壌冷麺 ” の名で提供している。


この 食道園 から盛岡で冷麺を提供する店が増えていき、

ぴょんぴょん舎 の前身である ぴょんぴょん亭 もその中の一つであったのだろう。


1986年に盛岡で開催された 日本めんサミット にて 盛岡の冷麺 も出て、

そこで初めて “ 盛岡冷麺 ” の名で紹介された。

翌年の1987年、ぴょんぴょん亭 は ぴょんぴょん舎 に店名を改め、

初めて  “ 盛岡冷麺 ” という名称で提供した店なのだそうです。

 めんサミット と ぴょんぴょん舎 がその名を使い拡まっていった流れがあるらしい。


なるほどねぇ、

だから 「 盛岡冷麺 といえば ぴょんぴょん舎 」 ってのが定着したのかぁ。

これは商売として お見事っ❗️👏 ですよ。





盛岡冷麺の始まりを知り……… あれ?

料理自体は古くからあっても、後に名称が定着した…………といえば ある料理 が浮かぶ。

それは “ 金沢カレー ” です。


 創業1961年 ↑ 石川県 野々市市 にある カレーのチャンピオン 本店
 金沢カレー といえばここの “ Lカツカレー ” が代表的メニュー 

 創業1971年 ↑ 石川県 小松市 にある カレーの市民 アルバ 本店
 ここの “ 満塁ホームランカレー ” も古くからある名物メニュー 

私的には ↑この二店 が 石川県のカレー として最も馴染み。
他にも 美味しい金沢カレーの店 という括りならばありますし、
 ( 例: てきさす、キッチン ユキ、大黒屋、インデアンカレー )
石川県 にあるカレー店は 金沢カレーだけじゃない ので他にも 美味しいカレーの店 は幾つもあります。
 ( 例: アイリーカレーハウス、aisaica、mogu、ヤムヤム、JO-HOUSE、Siesta、……等々 )

なんせ 石川県 は、人口10万人あたりに対するカレー店の数が最も多い県ですから^^



いまでこそ 金沢カレー という名は全国的に知れ渡っているが、

そもそも そんな名 は2000年以前には存在していなかったんです。


では、いつから 金沢カレー という名が出たのか?

名のルーツは諸説あり、どれが正しいかはハッキリしていない。

ハッキリはせずとも 2000年代半ば頃 に その名 が登場。

石川県民の多くは 金沢カレー なんて名に馴染みは無く、はじめは ? ? ? でしたよ(笑)

県内ではなく県外から始まった 俗称 という認識でよいでしょう。



名は無くても 1950年代 から現在も続く 金沢カレー のルーツとも言えるレシピはあり、

どの店から始まったか?は、これもハッキリしておらず。 ( ↓ ( ) 内は本店の地 )


 ■ カレーのチャンピオン ( 石川県 野々市市 ( 旧 野々市町 ) ) : 創業時は 金沢市 で 洋食屋 。

 ■ インデアンカレー ( 石川県 金沢市 ) : カレー専門店としては金沢カレー最初の店。

 ■ うどん亭 大黒屋 ( 石川県 金沢市 ) : 金沢カレーで うどん ってのが変化球的ですね。

 ■ キッチン ユキ ( 石川県 白山市 ( 旧 松任市 ) ) : 創業時は 金沢駅近くの地下街 。

 ■ カレーの市民 アルバ ( 石川県 小松市 ) : 創業から本店の場所は変わっていない。


↑これらが 金沢カレー黎明期 と言える店で 1961~1971年 に創業。



各店の創業者は独立前から繋がりあり、レシピの一部を共有したりもしていた。

最初にレシピを作ったとされるのが カレーのチャンピオン創業者 。

なので主に カレーのチャンピオン が 元祖 を名乗っていますが、他の4店も誤りとまでは言えぬ。

この5店以外で 元祖 や 本家 などと名乗っている店は……… (-_- )( -_-)(-_- )( -_-) ヾ(-_- )ちゃう



では 金沢カレー という名が拡まるキッカケはなんだったのか?

もちろんメディアの影響もあるが、

 “ 火付け役 ” を自らも公言している “ ゴーゴーカレー ” の影響もあるでしょう。


 ← 1号店 ( 東京 )


2003年に 東京 で創業の ゴーゴーカレー ( 石川県発祥の店ではないんです ) が、

 どんどん各地へ店を展開、レトルトで全国的に販売、アニメ作品とコラボ、………

等で名を拡めていった流れが大きいのかな?


ゴーゴーカレー は、

石川県 金沢市 にて創業 ターバンカレー ( カレーハウス・ターバン の名もある ) の姉妹店。

といっても、料理人でもなかったゴーゴーカレー創業者が ターバン で三ヶ月ほど学んだくらい。

 ( 2019年 に、ターバンカレー は ゴーゴーカレーグループ に合併 )


その ターバンカレー の創業者は、

ゴーゴーカレー創業者と同じく料理人ではなく、1960年代は銀行に勤務していた。

それが、洋食 タナカ ( 後の カレーのチャンピオン ) の創業者 と、

1970年代に カレーショップ ターバン ( 後の ターバンカレー ) を共同経営で始めた経緯があります。

しかし共同経営は僅か約二年で解消。結果的にですが、

 ターバン が 洋食タナカの創業者 からカレーのノウハウをパクった

という見解でいいと思います。表現は悪いけど^^;


つまり、

 洋食 タナカ ( カレーのチャンピオン ) → ターバンカレー → ゴーゴーカレー

の順ですね。

そして ターバンカレー も ゴーゴーカレー も、

創業者は料理人ではなく、自ら考案したカレーでもない単なるパクり。




 だ か らっ❗️

わざわざ遠方から 石川県 へ来られた方が、金沢にて ゴーゴーカレー で食べて、

 「 本場で食べた 」 なんてのを聞くと ちゃうわっ!!💦 って気になりますσ(-_-;)

だって ゴーゴーカレー は、ルーツを辿っていけば同じかもしれぬが、

石川県発祥の店でもなければ、元祖からは遠い店だもんっ!!

 ( 私的には 金沢カレーのバッタもん と認識してます。 似て非なるもの ですから )


それと似たことを、盛岡市民から聞いたことあります。

 「 盛岡に来た人が ぴょんぴょん舎 で食べて 「 盛岡冷麺の本場で食べた」 って聞くと、

 違うからっ💦 それが本場じゃないからっ💦 っていつもおもう💧 」

ってのを。

そのお気持ち、とってもよくわかります。 ゴーゴーカレー もそうなので💧




………… ハッ❗️ そうかっ❗️


 ぴょんぴょん舎 と ゴーゴーカレー は同じだったんだっ❗️💦


どちらも 後発の店 だが名を拡めたという共通点がある。それは 功績 と言えるでしょう。

だけど、どちらも 本場 という表現とは違う気がするもんなぁ………( ´~`;)