3月28日の読売新聞の戦争特集で「命のビザ」発給でユダヤ人の命を救った外交官、杉原千畝氏に関する記事が3面トップ記事として大きく掲載されているのが目に留まった。今年、ナチス・ドイツが設置し、ユダヤ人大虐殺の象徴となったアウシュビッツ強制収容所が解放されて80年となるが、リトアニア日本領事館で多くのユダヤ人に日本の通過ビザを発給し、命を救った杉原千畝氏の四男の伸生さんが読売新聞の取材に応じ、戦火が絶えない今こそ、人が人を大切にする千畝の信念を思い起こしてほしいと訴えている。

杉原千畝氏は1900年、岐阜県で生まれ、外交官の道を歩み、1939年、リトアニアの日本領事館に領事代理として着任したが、直後、ナチス・ドイツがリトアニアの南にあるポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発し、1940年5月にはポーランドにアウシュビッツ強制収容所を開設した。ナチスはユダヤ人を劣った民族とみなし、次々に捕らえて強制収容所に送り、毒ガスで殺害し、虐殺されたユダヤ人は600万人に上るとされる。多くのユダヤ人がリトアニアに逃げ込み、1940年7月には、日本へのビザを求めて領事館に殺到した。当時の日本は、ドイツと軍事同盟を締結しようとしており、外務省はむやみにビザを発給することを禁じたが、彼は「人道上拒否できない」と応ぜず、離任するまでの約1か月間で2139枚を発給したとの記録が残り、それは今、「命のビザ」と呼ばれる。戦後、彼はソ連に捕らえられ、帰国したのは1947年、外務省に呼び出され、間もなく退職辞令が送られてきて、深く理由を尋ねることなく、外務省を去ったという。 晩年、伸生さんに「ビザを出したことに後悔はない。クビを覚悟した行動だったから、憎む相手もいない」と淡々と話したという。

杉原千畝氏の話は、以前にテレビで紹介されていたこともあり、2010年9月14日リトアニア旅行の際、カウナスまで足を延ばし、杉原記念館(旧領事館事務所)を訪れた。当時ビザを発給したデスクや家具や身の回り品等も保存されていて、感動的であった。その後、映画化もされたので、映画もしっかり見て映画のシーンで当時の様子がフラッシュバックした。リトアニアの後は、ロシアの同盟国ベラルーシまで足を運んだが、ロシアによるウクライナ侵攻というもう一つの悪夢もよみがえってくる。杉原千畝氏の命のビザは、まさに、ユダヤ人の命を救った美談であるが、今のイスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘を目の当たりにするとユダヤ人対する思いもちょっと複雑である。

写真は、杉原千畝氏の執務室(2010年)

読売新聞オンライン(3/28): https://www.yomiuri.co.jp/sengo/20250328-OYT1T50109/

リトアニア・ベラルーシ旅行: https://www.youtube.com/watch?v=Bsqv2j0UBNk