
ネット検索していたら、「未だ解明できない世界遺産の謎5選」という興味をそそるサイトを見つけた。謎の世界遺産5選として、チャビン・デ・ワンタル(ペルー)、王家の谷(エジプト)、エローラ石窟群(インド)、エル・タヒン(メキシコ)とともに、キプロスのヒロキティア遺跡が取り上げられていたが、この世界遺産はこの中で唯一行ったことがあるところであったので、特に興味深く解説を聴いた。
ヒロキティア遺跡を訪れたのは、2012年5月のことだが、バスを利用して行くにはとても不便な場所にあり、ほぼ諦めていたが、ラルナカからパフォスに向かう路線バスが途中、ヒロキティアで20分位途中ストップすることをわかり、その短時間の間に駆け足で遺跡を見学したものである。そんなわけで、どんな遺跡かあまりよく理解していないまま見学していたので、このサイトの解説で、その謎を初めて知った。そんなわけで、どの遺跡についてもそれぞれの謎に好奇心をくすぐられるが、ここでは、ヒロキティア遺跡に絞って、解説を要約してみたい。
ヒロキティア遺跡は、キプロス島の丘の上に約9000年前の集落がほぼ完全な形で残り、その集落で 1998 年に世界遺産に登録されている。 新石器時代ってまだ文字もない時代。最初の謎がこの集落の建物の全てが円形となっている。同じ時代の他の地域では四角い建物も存在していたが、なぜかヒロキティアの人々は徹底的に円形にこだわっている。宗教的な意味があったのか、それとも何か象徴的な理由があったのか。 しかも驚くべきことに約3000 年間この形式を変えなかったという。単なる建築様式以上に。円という形に彼らは特別な意味を見いだしていたのかもしれない。
さらに床下埋葬という奇妙な風習が発見されている。ヒロキティアの人々は死者を住居の床下に埋葬していたという。さらに奇妙なのは遺体の胸や頭部に重い石を置いて埋葬していたという。考古学者の間では死者が蘇るのを防ぐためという説が有力というが、当時の人々が死者の復活を恐れていたのか、それとも別の宗教的な意味があったのかは分からない。そしてヒロキティアにはさらに不可解な謎がある。紀元前 6000年頃の集落は突然放棄されたが理由が不明。しかも約 1500年という長い空白期間の後また人が住み始めている。 なぜ放棄したのか、なぜ 1500 年も空白があったのか、そしてなぜまた住み始めたのか全てが謎という。放棄の原因はいくつか考えられていて、気候変動という説や液病が流行したという説もあるし、他の集団との衝突があったという説もある。
さらに興味深いのはヒロキティアの孤立性である。この集落は島という地理的条件もあって他地域との交流の痕跡が非常に少ない。同時代の他の地域では貿易や文化交流の証拠が見つかることが多いが、ヒロキティアからは外来の品物がほとんど見つかっていない。つまり彼らは独自の文化をほぼ閉鎖的に発展させていたことになるが、それがどんな文化だったのか、どんな言語を話していたのか、どんな神を信じていたのかは全て失われてしまっている。
また、遺跡から発掘された骨を調べたところ住民たちの平均寿命は30~40代と短く、重労働の痕跡、食生活の跡、怪我や病気の治療の形跡などが残っている。住民たちは主に小麦や大麦を栽培し、羊やヤギを飼育していたことが分かっている。石を使って収穫し、石臼で穀物を挽いていたようである。原始的ながら骨折の治療をしていた痕跡も見つかっている。折れた骨が治している証拠があるから何らかの方法で固定して治療していたと考えられるという。
未だ解明できない世界遺産の謎5選: https://www.youtube.com/watch?v=hMdFy3tpqF8 (ヒロキティアは7分14~13分30)
キプロス旅行アルバム(2012年): https://www.youtube.com/watch?v=_hd2IECFQfo