5月21日に、年中行事化しつつある大学の同じ学科の同じクラスの同窓会に顔を出してきた。当時のクラスの人数は35人位だったと思うが、卒業後、56年も経つので、皆ばらばらとなり、同窓会に集まる人数も8~10名程度で、今回は 9名(男性7女性2)であった。在学中に学園紛争が勃発し、一緒に入学しても卒業がばらばらとなる事態となり、卒業式も行われなかった。自分の場合も、3月に卒業できず5月となったため、会社への入社も3か月遅れて7月1日となってしまった。

 

美味しい中国料理に舌鼓を打ちながら、当時の授業内容、先生の話題やエピソード、欠席仲間の近況報告などから昨今の政治課題まで幅広い話題で話が弾んだ。同級生は、学校の先生の道に進んだ者と企業に勤めた者に大枠別れるが、いずれにせよ、自分も含め、現役を退き、自由人となっている人が大半である。すでに亡くなった仲間もいれば、病気で出てこれない仲間もいるので、出席イコール生存確認という感じにもなってきている。場所は、ここ数年、お茶の水にある「漢陽楼」という周恩来ゆかりの有名な中国レストランで、23日にはテレビ(BSフジ「プライムどようび」)でも紹介されるとのことである。遠く沖縄から上京してきた人もいたので、2次会として駅近くのカフェに移動し交友を深めた。

 

個人的な同窓会としては、この大学のクラス会の他に、大学の卓球クラブ同期の集まり、入社して最初の勤務地である千歳時代の仲間の会、フランクフルト駐在当時の仲間の会、当時ヨーロッパに駐在していた販売業務関係の仲間の会及び会社の卓球クラブのOB会などが適時行われている。あと何回出席できるかわからないが、生存確認のため、可能な限り、出席するようにしている。

 

 

ネット検索していたら、「未だ解明できない世界遺産の謎5選」という興味をそそるサイトを見つけた。謎の世界遺産5選として、チャビン・デ・ワンタル(ペルー)、王家の谷(エジプト)、エローラ石窟群(インド)、エル・タヒン(メキシコ)とともに、キプロスのヒロキティア遺跡が取り上げられていたが、この世界遺産はこの中で唯一行ったことがあるところであったので、特に興味深く解説を聴いた。

 

ヒロキティア遺跡を訪れたのは、2012年5月のことだが、バスを利用して行くにはとても不便な場所にあり、ほぼ諦めていたが、ラルナカからパフォスに向かう路線バスが途中、ヒロキティアで20分位途中ストップすることをわかり、その短時間の間に駆け足で遺跡を見学したものである。そんなわけで、どんな遺跡かあまりよく理解していないまま見学していたので、このサイトの解説で、その謎を初めて知った。そんなわけで、どの遺跡についてもそれぞれの謎に好奇心をくすぐられるが、ここでは、ヒロキティア遺跡に絞って、解説を要約してみたい。

 

ヒロキティア遺跡は、キプロス島の丘の上に約9000年前の集落がほぼ完全な形で残り、その集落で 1998 年に世界遺産に登録されている。 新石器時代ってまだ文字もない時代。最初の謎がこの集落の建物の全てが円形となっている。同じ時代の他の地域では四角い建物も存在していたが、なぜかヒロキティアの人々は徹底的に円形にこだわっている。宗教的な意味があったのか、それとも何か象徴的な理由があったのか。 しかも驚くべきことに約3000 年間この形式を変えなかったという。単なる建築様式以上に。円という形に彼らは特別な意味を見いだしていたのかもしれない。

 

さらに床下埋葬という奇妙な風習が発見されている。ヒロキティアの人々は死者を住居の床下に埋葬していたという。さらに奇妙なのは遺体の胸や頭部に重い石を置いて埋葬していたという。考古学者の間では死者が蘇るのを防ぐためという説が有力というが、当時の人々が死者の復活を恐れていたのか、それとも別の宗教的な意味があったのかは分からない。そしてヒロキティアにはさらに不可解な謎がある。紀元前 6000年頃の集落は突然放棄されたが理由が不明。しかも約 1500年という長い空白期間の後また人が住み始めている。 なぜ放棄したのか、なぜ 1500 年も空白があったのか、そしてなぜまた住み始めたのか全てが謎という。放棄の原因はいくつか考えられていて、気候変動という説や液病が流行したという説もあるし、他の集団との衝突があったという説もある。

 

さらに興味深いのはヒロキティアの孤立性である。この集落は島という地理的条件もあって他地域との交流の痕跡が非常に少ない。同時代の他の地域では貿易や文化交流の証拠が見つかることが多いが、ヒロキティアからは外来の品物がほとんど見つかっていない。つまり彼らは独自の文化をほぼ閉鎖的に発展させていたことになるが、それがどんな文化だったのか、どんな言語を話していたのか、どんな神を信じていたのかは全て失われてしまっている。

 

また、遺跡から発掘された骨を調べたところ住民たちの平均寿命は30~40代と短く、重労働の痕跡、食生活の跡、怪我や病気の治療の形跡などが残っている。住民たちは主に小麦や大麦を栽培し、羊やヤギを飼育していたことが分かっている。石を使って収穫し、石臼で穀物を挽いていたようである。原始的ながら骨折の治療をしていた痕跡も見つかっている。折れた骨が治している証拠があるから何らかの方法で固定して治療していたと考えられるという。

 

未だ解明できない世界遺産の謎5選: https://www.youtube.com/watch?v=hMdFy3tpqF8 (ヒロキティアは7分14~13分30)

 

キプロス旅行アルバム(2012年): https://www.youtube.com/watch?v=_hd2IECFQfo

(妙国寺絵図)

 

5月19日、久しぶりに、品川歴史舘に足を運んだ。2024年4月にリニューアルされてから二度目の訪問だが、本日は、全員入館料無料(普段は70歳以上のみ無料)で庭にある「松滴庵」という書院・茶室も内部が公開されるという特別な日であった。

 

常設展示では、妙国寺絵図に焦点を当てて、絵図を一部動画化し、3分半位でお寺の施設を詳しく日本語と英語で解説する映像設備があって、興味深く見た。前回にはなかったような気がする。妙国寺は、1285年に日蓮の弟子・天目が創建した顕本法華宗のお寺で、今は天妙国寺と呼ばれている。絵図の中には、一ノ門、二ノ門、三ノ門をくぐると本堂、多宝塔、五重塔、祖師堂(日蓮を祀る)が配置されており、徳川家の庇護も受けた往時の反映ぶりが伺える。五重塔は、1459年に建立され、台風で倒壊後、1634年に家光の命で再建されたが、1702年の江戸大火で焼失し、その後再建されることはなかった。1830年の記録では、五重塔は23.4mの高さがあったという。現在、境内の一部に、五重塔の礎石が展示されている。

 

そんな妙国寺になぜ強い関心があるかというと、我が家が妙国寺の目の前にあることとそこの永代供養納骨堂を購入しているからである。要するに、我が家から納骨堂まで歩いて1分という至近距離にあるので、境内にもよく出かける。お会式、盆踊り、除夜の鐘、お墓参りなど催事で出かける機会も多い。区の歴史館の常設展示物として紹介されるほどの名刹であることを嬉しく思う。

 

また、今回初めて回遊式日本庭園にある「松滴庵」という書院・茶室の中に入ることが出来た。安田財閥・安田善助の邸宅をルーツとした書院・茶室で、忠実に復元し内部は綺麗に整備されていた。月に1回程度しか公開されていないのは残念である。歴史館では、常設展示も、他にお台場や蒸気鉄道や貝塚など見どころ満載で、「品川歴史絵巻」という大型スクリーンを使った上映も20分ごとに行われている。また、大森貝塚を発見したモースの紹介コーナーやライブラリーも整備されている。常設展の他に適時企画展も開催されるので、一度は足を運びたいところである。

 

 

(妙国寺絵図 解説トレース図)

 

日本テレビ系の演芸番組『笑点』は、日曜夜の定番としてほぼ毎週欠かさず見ているが、番組を見ていて、1966年5月15日の放送開始から今年で60周年を迎えたことがわかった。『笑点』は、落語や大喜利をテレビ番組として定着させたいという想いから、立川談志さんが企画・発案して作った番組で、当時流行っていたドラマ『氷点』をもじって命名したとも言われる。彼は、初代司会者として1969年まで務め、その後は、前田武彦、三波伸介、三遊亭円楽、桂歌丸さん(皆,故人)で、今は春風亭昇太さんが務めている。座布団運びも6人いたが、記憶に残るのは、毒蝮三太夫(2代目)、松崎真(5代目)さんで、今は、山田たかおさんが務めている。60年も経つので、メンバーもいろいろ変わってきているが、5月17日には、懐かしい毒蝮さんが90歳というが出てきたのでビックリした。

 

『笑点』といえば、個人的には、立川談志さんと桂歌丸さんとは、40年前のフランクフルト勤務時代、落語の名人会でご一緒させてもらったことがあり、大変親しみがあるし、今となっては、懐かしい思い出となっている。談志さん一行とは、街を案内したり、一緒に会食したり、歌丸さんとは、名人会に出演してもらった後、一緒に会食したり、夜の街を案内したりする機会もあった。当時、歌丸さんは売れっ子だったので、『笑点』の収録を撮りためて、海外公演に来たと本人が話をしていたことを思い出した。談志さんは、ナイロビでの名人会に参加する途中にフランクフルトに立ち寄り、数時間お世話しただけだが、後で、丁寧なお礼状までいただき、外面イメージとは全く違って、さすが気配りに長けた心優しい名師匠という印象を受けたものである。

 

60周年というのは、とても長い年月であるが、たまたま、自分自身、今年は大学に入って卓球を始めて60周年を迎えるということで、個人的に「卓球とともに60年」というユーチューブを作成中であったので、同じ60周年ということを知ってビックリした。笑点と卓球が同じ歩みを遂げてきたことを考えると感慨深いものがある。まさに『笑点』は長寿番組の筆頭で、60年というのは、時代の流れを感じるが、自分自身、60年も卓球を続けられてきていることに深く感謝する次第である。毎日曜夜は『笑点』を見ないと1週間の生活サイクルが狂ってしまうので、今後とも長く続けてほしいものである。

 

テレビから流れてくると、思わず口ずさんでしまったあのメロディ、あのフレーズ。

昭和から平成にかけてお茶の間を賑わせた「伝説のCMソング」をたっぷり【全33曲】見せてくれたサイトを見つけた。ほとんど知っているCMばかりであるが、見ているだけで、一気に当時にタイムスリップするから不思議だ。アットランダムなので、いつ頃のCMかよくわからないが、CMソングのパワーというか不思議なエネルギ-を感じる。昭和時代のテレビCMを紹介しているサイトはかなり見かける。各年ごとに細かく流行っていたCMをまとめて紹介したり、CMの背景を解説してくれたり、CMソングに特化してまとめてくれたり、いろいろ種類のCMサイトがあるので、見ていて飽きないし、若さを保つパワーがもらえ、ヒーリング効果もあるから嬉しい。

 

 

【全33曲】懐かしのCMソング:https://www.youtube.com/watch?v=kVDz4cTWtKo

 

(聖蹟公園にあるラジオ塔)

 

「ラジオ塔」とは、まだまだ一般家庭にラジオが普及していなかった昭和初期(1930年代)にラジオ放送普及を目的として、日本放送協会(NHK)が公園や広場に設置したスピーカー内蔵の公衆向けラジオ聴取施設である。コンクリートや石造りの塔の上部にスピーカー、内部に受信機が格納されていた。当時は、ラジオが高価であったため、人々が集まる公園、温泉地、境内などに「音の贈り物」として、全国各地に設置されたという。塔の形式は、「実地の環境に適合するものを建設する」という方針が出され、多種多様なスタイルの塔が建設されたが、日本の伝統的な石灯篭を模した「灯籠型」が6割以上占めていたようである。他には、神社の神籠型、軍艦マスト型、洋型などもあったという。

 

時は流れ、個人用ラジオが普及し、戦時中は、金属部品は回収されたり、さらに1953年からテレビ放送が開始され、全国各地に設置された「ラジオ塔」はその役目は完全に終了し、大半は廃棄され、戦前には全国に450か所以上あったが、現存するのは約40か所程度であるという。そんな数少ない都内で唯一現存する「ラジオ塔」が我が家の近くにある聖蹟公園にあることを最近初めて知った。聖蹟公園は、昔の品川宿の本陣跡で、この「ラジオ塔」は、公園の開園と同じ年の昭和13年(1938年)に建てられ、現在は他の記念碑とともに並んでいる。公園内の看板には「灯籠」としか記載されておらず、これが歴史的な意義のある「ラジオ塔」であることが明記されていないのは残念である。「ラジオ塔」のこと知ってましたか?

 

「忘れられた日本のラジオ塔」: https://www.youtube.com/watch?v=Pd_7SvQxYtg

 

全国のラジオ塔リスト(ウィキペディア):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%A1%94

 

 

5月12日に読売新聞が企画する「読売はあとふるサロン」という心とからだのためのヒーリングセミナーを聴講しに文京シビックホールに行ってきました。抽選による無料招待で、観客席数から1500人位だと思われるが、平日なのでやはり年配者が多かった。先着順ということだったので、少し早めに開場の40分ほど前に行ったが、すでに長蛇の列で、670番目であった。それでも、運よく前から5列目の席に座ることができたので、かなリ間近でトークや演奏を聴くことができた。

 

第1部は、ピアニストの仲道郁代さんによるトークショーで、「音楽が与えてくれるもの~ベートーヴェンと歩む人生~」というタイトルで、約40分、自分の体験に基づいて音楽の力についていろいろ語ってくれた。彼女は、各種音楽コンクールで優勝したこともある日本でも有名なピアニストの一人である。グランドピアノを横に置いて、トークに関係する楽曲を生で弾いての進行だったので、新鮮で音楽の授業を聴いているような不思議な時間であった。後半では、昨今ベートーヴェンの楽曲を深く研究されているようで、特に、ピアノソナタ第21番の「ワルトシュタイン」のいう曲は、苦難を乗り越えて行こうというポジティブな意志を感じるという。ベーテーヴェンは、32曲のピアノソナタを作っているが、その内、三大ソナタといわれる『悲愴』(第8番)『月光』(第14番)『熱情』(第23番)や最後の「アリエッタ」(第32番)などや死後発見された「不滅の恋人へ」という手紙についてもエピソードとともに紹介してくれた。一流ピアニストの生の演奏を聴きながらという贅沢なト-クショーであった。トークの後は、スポンサーである救心製薬の「自然からの贈り物」という10分の映画を見てから、休憩をはさみ、第2部に移行した。

 

第2部は、読売日本交響楽団メンバーによる「心を癒すやさしき調べ」をテーマとしたミニコンサートが行われた。バイオリン2 ビオラ1 チェロ1 コントラバス1 クラリネット1 ピアノ1という7人の一流演奏家によるミニコンサートで、ロッシーニの「セビリアの理髪師」、ベート-ヴェンの「悲愴」、モリコーネの「海の上のピアニスト」、ラフマニノフの「交響曲第2番」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形から『花のワルツ』」などを演奏してくれた。このミニコンサートでも楽器の紹介や楽曲の解説などを交えてのコンサートで、まるで音楽学校の授業を受けている感じで勉強になったし、大変面白く音楽を楽しむことができた。やはりクラシックの美しい音色を生で聴いていると、心が洗われる至福のひと時であった。

(合宿施設)

 

5月9日から1泊で地元の卓球クラブのメンバー11人(男8 女3)で卓球の合宿に行ってきました。平均年齢は、約75歳(80代2、70代6、60代3)なので、そんな年寄りが合宿なんてと思うかも知れないが、我が年寄りクラブでは、設立以来、毎年(コロナ時期を除く)のように合宿をやってきている。昔は2泊3日であったが、最近は年齢もかさんできているので、1泊2日になっている。

 

場所は、いつも利用している千葉県の白子温泉のホテルが土日ということもあって、うまく取れず、大網白里にある初めての合宿施設を利用した。外房線の大網駅から車の送迎サービスを利用し、15分ほどで合宿施設に着いたが、マップで調べてみたら、今までのホテルからそんなに遠くではなかった。しかし、ホテルというより合宿所といった印象で、残念ながら温泉やカラオケ施設はなかった。それでも、食事は、温泉旅館に負けないほどで夕食は10種類を超えるほど品数も多かった。夕食後、従来はカラオケタイムとなっていたが、今回はカラオケがないので、一つの部屋に集まり、たまたまやっていた世界卓球団体戦女子の準決勝(日本対ドイツ)のテレビ生中継を皆で見た後、楽しくビンゴゲームなどで交流を深めた。

 

この施設には、体育館が3つあって、案内板によると卓球台だと50台、テニスは13面あるとなっており、スポーツだけでなく、いろいろなクラブ、団体の合宿に使われているようである。あまり混んでおらず、新体育館という体育館を独占的に利用することができた。我々の他には、50人以上の「よさこいソーラン」チームの若者が合宿練習に来ていた。バーベキューの設備もあり、利用しているグループもいた。1泊2日という短い期間なので、練習というより、実践の練習試合や紅白戦など試合中心で卓球を楽しんだ。この年なっても、卓球を楽しみ、合宿まで参加できることに感謝する次第である。

 

 

5月10日のTBS「世界遺産」は、「名作映画で巡る世界遺産」というタイトルで、名作映画の舞台となった世界遺産を巡る特別編で興味深く見た。『インディ・ジョーンズ』のペトラ遺跡、『アラビアのロレンス』のワディ・ラム、『旅情』のヴェネツィア、『ローマの休日』のローマなど、映画の名シーンとともに世界遺産の魅力が紹介された。『スター・ウォーズ』の舞台となったアイルランドの孤島スケリグ・ヴィヒールも紹介された。断崖に築かれた修道院がジェダイの修行の地として登場し、実際にも、かつて修道士たちが祈りと修行に生きた場所だったという。

 

また、『男はつらいよ』の唯一の海外ロケがウイーン(1989年)で、ウイーン市長が機内映画で寅さんを見て、ロケを誘致したというエピソードも紹介された。映画のロケ地を訪ねる旅は、映画の物語と現実が重なり合う不思議な魅力がある。映画で目にしたシーンが目の前に現れるのは感動的でさえある。

 

世界遺産に限らず、個人的にも「映画のロケ地を訪ねる旅」を実践してきたので、引き込まれるように見た。今回取り上げられた世界遺産では、ローマ、ヴェネツィア、ウイーンしか行ったことがなかったが、個人的に好きな名作映画の舞台は、『サウンド・オブ・ミュージック』のザルツブルク、世界遺産ではないが、『慕情』の香港、『赤毛のアン』のプリンスエドワード島(カナダ)などである。「映画の海外ロケ訪ねる旅」については、自分のHP上にリストを作成している。このような視点での世界遺産探訪は大歓迎である。

 

 

「映画の海外ロケ訪ねる旅」: http://romanflight.web.fc2.com/Movie-Travel.html

 

「サウンド・ブ・ミュージックのロケ地を訪ねる旅」(2017年): https://www.youtube.com/watch?v=BtbDhockb_Y

(舞台上の徹子の部屋)

 

「東京ドリームパーク」の1階に誕生した「SGCホール有明」で開催された「徹子の部屋」放送開始50周年スペシャルコンサートをライブで見た。チケットは抽選制で、約3500人収容できる最新サウンドシステムを誇る新ホールは超満員という印象であった。チケット代金は一律であるが、座席は選べず、運次第で、ピンからキリまでいろいろ。4階まであるが、3階の一番前の席だったのでそこそこいい席であった。

 

司会は、黒柳徹子で進行はテレ朝の坪井アナウンサーが務めていた。ゲスト歌手は、ゴダイゴ、坂本冬美、南こうせつ、野口五郎の4組で、それぞれ数曲を歌った後、テレビ番組でもおなじみの「徹子の部屋」のセットに移動し、テレビと同じようなトークショーが始まるという形式であった。話が長くなりがちであることから、進行役としててテレビでもお馴染みの坪井アナがバイオリンを演奏して進行を整理していた。彼は、歌番組の司会もやっているが、バイオリンの演奏も上手であることを初めて知った。

 

さすが最新鋭のサウンドシステムを備えているだけあって、音響効果は抜群であった。ゴダイゴは、「銀河鉄道999」「ガンダーラ」「ビューティフルネーム」など、坂本冬美は、「また君に恋してる」や「夜桜お七」など、南こうせつは、「青春の傷み」や「神田川」など、野口五郎は、「私鉄沿線」などを歌ったが、南こうせつが島倉千代子のために作った最後の楽曲「からたちの小径」を坂本冬美とデュエットしてくれたのが感動的であった。徹子の部屋のトークは、テレビ番組と同じで楽しいひと時であった。最後に、出演メンバー全員で、「上を向いて歩こう」を歌い、2時間のコンサートの幕を閉じた。