・・・はい、皆様、明けましておめでとうございますっ(断固) 本年初記事でございます。見たら、去年の一発目は4月の末でしたからね。今年はずいぶん年明け早々からのスタートといえましょう(笑)。
 
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東京都美術館(上野公園)          ~4/3(日)
 
というわけで、もう残り2週間なんですよね、都美の「ボッティチェリ展」。江戸東京博では「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」もやっていて、フィレンツェ・ルネサンスを代表する二人の展覧会が同時進行中。六本木では「フェルメールとレンブラント」展もやってるし、西美の超絶「カラヴァッジョ展」も始まったし、オールドマスターものがこれだけ集中するのは久々な感じ。
中でも・・・やっぱボッティチェリ展とカラヴァッジョ展の規模感は凄いですね。特にボッティチェリ展は会期末も近くて、これから俄然混んでくるでしょうから、極力早めのお運びが宜しいかと。
 
で。看板になってる「書物の聖母」のほかにも「東方三博士の礼拝」やらオニサンティ聖堂の「聖アウグスティヌス」やら、素晴らしい作品が来てるんですが、個人的にはやっぱコレ。
 
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「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」
 
いきなりで済みません、「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」。会期直前に出展が決まった作品ですよね。ボッティチェッリ後期の作風を代表する傑作。
いや、ぱっと見、なんだか感じの良くない絵なのは確かで、子供の頃に画集で見た時には「ヴィーナス」や「プリマヴェーラ」とかと比べて「嫌ーな感じの絵だなあ」と思ったもんですが・・・いつの間にかボッティチェッリ作品の中でも特に好きな一点に。
タイトルになっている「誹謗(la calunnia)」の寓意。冷ややかな、でも全然醜い顔ではないんですよね。
だからこそ逆に怖い。この「誹謗」が平然と髪を持って引きずるのは「無実」。「誹謗」に取り入るように髪を直してやるのは「欺瞞」と「嫉妬」。まるで踊ってるみたいに。こちらも見た目は美しい。先導する男は「憎悪」。
 
“王様の耳はロバの耳”のミダス王の姿をした審判官「不正」に耳打ちする「無知」と「猜疑」。
嘘を吹き込んでいるんでしょうが、なんだか歌でも歌っているみたい。
 
「誹謗」に髪を掴まれて引きずられる「無実」。
この悲壮な表情。
そして絶望の表情で天を仰ぐ「真実」。もちろんおなじみの「ヴィーナス」を思わせるんですが、
あの輝きは失われていて。それを忌々しそうに振り返る「悔悟」。
 
いやー、なんだかすげー絵だ。優美さと醜さと、建築的な壮麗と、絶望と、見れば見るほど惹きこまれる。
 
 
で、明らかに「ヴィーナス」や「プリマヴェーラ」の頃とは違うとげとげしい印象といい、この作品にも影を落とす、画家がはまり込んだ(と伝わる)サヴォナローラ絡みの成り行きといい、すでにルネサンスも暮れかかった感じの印象が強いんですが・・・この「ラ・カルンニア」、古代ギリシャの画家アペレスの絵画作品――当然、今は失われた――「誹謗」について、同じく古代ギリシアの作家ルキアノスによる記述に基づいて構成した作品との事で、暮れかかっているどころか、むしろ「古代復興」そのもの、実は非常にルネサンス的な作品なんですよね。
 
画家はルネサンスの人文学者L.B.アルベルティ「絵画論」経由でこの「誹謗」のネタを仕入れたんだそうですが、読んでみると
 
「・・・人々は、ルキアノスの物語る、アペレスによって描かれたあの「懺悔」の記述を読んで感心する。私は、画家が着想に関して油断なく注意しなければならないということを忠告するため、ここでそのことを物語るのであるから、われわれの本筋からはずれたことではあるまい。
 
この絵にはとてつもなく大きな耳をもった一人の男がいる。その左右には「無知」「猜疑」と呼ばれる二人の女が立っている。他の側の向うの方に「讒謗」が表われ、これはみるから素敵で美しい女だが、その顔には余りにも狡猾なところがうかがわれる。彼女は、右手に炬火をもち、左手に少年の髪の毛を掴んで曳きずっている。その少年は両手を高く天の方へ差し伸ばしている。そこにはまた、蒼白く、醜く、すっかり憔悴して、邪陰な様子をした男が一人いる。彼は幾度かの戦陣で、長い間の苦労のため痩せさらばえて、しかも熱狂的な人にたとえることが出来るだろう。この男は、「讒謗」の案内人で、「憎悪」という名である。そして他に「讒謗」のお供で、彼女の装身具や衣装を直す女が二人いる。彼女たちは「ねたみ」「欺瞞」とよばれる。これらの背後には、喪服を着た夫人「悔悟」がいるが、この女は身も心も千々にくだけ果ててしまったかのように立っている。彼女の後には、恥ずかしげで内気な「真理」とよばれる若い娘が付いている。
 
読むだけでさえ愉しくなるこの物語が、アペレスの手で描かれているのを見たら、どんなに愉しみと喜びが感じられるであろうか、考えてみたまえ。」
 
・・・ん、“愉しくなる”?なんか、ボッティチェッリの絵とは印象違いますね。この絵の方はどう見ても「愉しみと喜び」って感じじゃないですもんね。やっぱりあのパセティックな感じはボッティチェッリ個人の経験とか思いを反映してるんでしょうかね?
それはやっぱり・・・サヴォナローラなんですかね?この作品がサヴォナローラ時代を擁護しているのか、それとも逆に非難するものなのかは諸説あるんだそうで、また解説によると、画家の親友の銀行家セーニに贈られた作品ということで、この銀行家が誹謗の被害者になったのを慰めるために描かれた、という説もあるんだと。
 
個人的な妄想ストーリーとしては・・・サヴォナローラが断罪された後、一時的にせよ心酔していた自分を守るために、心ならずもサヴォナローラを批判する絵を描いた、なんて感じですかね。衰えているにせよ、真実=裸のヴィーナス、なんですよね。黒衣の「憎悪」がなんとなくサヴォナローラっぽい気もするし。
 
 
ともかくこの作品、かなり凄いです。全体のギクシャクした印象からも晩年の筆力の衰えたスタイルと一括りにしたくなっちゃうんですが、よく見ると悪徳連中はみんな美しく立派で、最盛期と何ら遜色ないんですよね。背景の建築も実に壮麗。シロウトの印象ですけど、これは傾向としては後期の方向性が出つつも、むしろ最盛期の作品に数えたい感じ。
 
 
そんなわけで「ラ・カルンニア」は後期といってもちょっとあれとして、ボッティチェッリの後期作品て、何か硬直したような不気味さがありつつ、けっこうジワジワくるというか、クセになる魅力があります。個人的には後期作品、けっこう好きなんですよねー。
 
今回の展示だとコレとか
 「オリーヴ園の祈り」
若桑みどりさんの「マニエリスム芸術論」の中で、このS字を描く道をマニエリスムの蛇状曲線と結び付けてましたね。さらに一番奥のイエスと手前の使徒たちの大きさが全く同じで、遠近法、崩壊しちゃってます。もはや客観的な空間表現は放棄して、作者個人のヴィジョンの世界に行っちまってるってことですね。
 
あとコレとか。
イメージ 1 「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」
去年のBunkamuraの「ボッティチェリとフィレンツェ」展に続く再来日。これはもう、いちばん後期の頃の作品との事ですが、なんかちょっともう変ですよね。かなり異様ですけど、こういう貴重な作品をたびたび目にすることが出来るのは有り難い。
マリアと幼いイエスが全く同じ顔、かつ全く同じ角度・・・。ほかにも今回来てるところで「トレッビオ祭壇画(聖母子と聖コスマス、聖ダミアヌス・・・)」も聖母子以外の6人が全員左に傾いでるっていうのがあって、なんか・・・メンタルのバランスの悪さみたいなのを感じるんですよね。
 
 「ホロフェルネスの頭部を持つユディット」
コレもかなり後年の作品みたい。けど、これはわりと実体感ありますね。
 
 
ちなみにボッティチェッリの後期作品のうち、今回来てないところで一度見てみたい!のは、
ロンドン・ナショナル・ギャラリーの「神秘の降誕」
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「神秘の降誕」
 
と、アメリカはマサチューセッツのフォッグ美術館所蔵の「神秘の磔刑」
「神秘の磔刑」
 
美術館各位、ぜひここらへんを召喚していただきたいいいい
 
 
いやしかし、いまボッティチェッリ目当てでフィレンツェに行った人は「・・・・・。」てなっちゃうでしょうね。ウフィツィに「東方三博士…」も「薔薇園…」も「ラ・カルンニア」もなく、オニサンティ聖堂に「聖アウグスティヌス」がないなんて、自分だったらキレる(笑)。
 
ま、そのくらい凄い展覧会ということで。すでに3回見に行ったんですが、最後にもう一回くらい行っておきたいので、あまり混むとイヤなんですけど、でもやっぱりオススメせざるを得ない。4/3(日)まで。