「だめでしょー、そこはもっと険しい顔付きじゃなくちゃー」

妙に間延びした声で監督が言う。
「命取られるかどうかの緊迫した場面なんだからー、真顔でいられるわけが無いでしょー、それに・・・」
更に監督が続ける。しかしそれを聞いている者は誰ひとりとしていなかった。
「だから・・・って、聞いてるの!?」
「へいへい」
役者達の見事なユニゾンがスタジオに響く。
自分は何か考え事をしている監督を尻目に煙草をふかし始める。

俺は役者の仕事に就いて数年が経つ。これまでに出演した映画やドラマも数知れない。
そんな自分にいきなり、この映画の仕事が舞い込んできた。十分なキャリアがある、そんな理由でマネージャーが勝手に契約してしまったのだ。
まあ、普通の役者なら泣いて喜ぶだろう。



しかし俺は世間でいう「脇役」と呼ばれる存在で十分なのだ。そう、小日向さんや大杉さんと同じ部類。
今までの最大の見せ場といえば、ドラマで主人公の落としたみかんをいっしょに拾ってあげたシーンしかない。
それが何故かこのオカマで「気違い」と呼ばれる監督に目をつけられ、主役になってしまった。
そもそも俺は目立つことが嫌いだ。
小学生の頃に行った「一分間スピーチ」というもので、あまりのプレッシャーに耐え切れず先生に殴りかかったこともあるくらい、緊張にはもっぱら弱い。
今のシーンを後でよく見たら、緊張で自分の持つ銃が小刻みに震えていた。
緊張というものは、ミスを生み出し自分を追い詰める。なんとも忌まわしい。

ただ、先ほどの俺の演じた無表情はミスではない。原作で、“主人公はいつでも無表情”と表記されている。
では、何故監督はこの部分を指摘したのか?

・・・この監督が「気違い」と呼ばれる由縁はここにある。
この監督が今までに作成した映画は数十本に及ぶが、原作に忠実な作品は一本たりとも無い。
男と女の純愛ラブロマンスを、ドロドロの六角関係血みどろ愛憎劇にした伝説は業界で後世に語り継がれている
2つ名が「気違い」で済んでいるのはもはや奇跡だと思える。

その監督が考え事をしている間に、出演者やスタッフ達は死んだようにだらけている。

そんな中で一人、場違いなくらいぴしっと立ち監督の指示を待っている男がいた。サムライ役の男だ。
サムライ役の男は、まさに「サムライ」を演じるために生まれてきたような、無愛想で、不器用な人間である。
プライベートで誰かと喋っている場面を見たものは、誰もいない。
スタッフや出演者の間で、のっぽさんとあだ名がついたぐらいだ。
こんな人材を見つけてこれるとは、監督も流石だな。と、最初で最後の監督への敬意の念を心の中で呟く。

「じゃあ集まってー」

やはり間延びした声で監督が言う。
自分は半分くらいになった煙草を消し、監督の近くに重い足取りを一歩、また一歩進ませていく。

この次のシーン15はサムライが超重力を駆使して周りの木々から石を押し潰すっていうシーンなんだけど」
今までに監督が だけど という接続詞を使った際に、まともなシーンが撮れたためしは無い。
今回に限ってもそれは例外ではなかった。


「このシーンはねえ、」














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