何年か前の話。
見た目と中身ならどちらが大事なんだろう?
お酒の場とかだとよく聞かれるこの会話。飲み会も後半とかになってくると妙に異性の話題になりますよね。どんなタイプが好きかとかそっち系。まぁ、今日はこの選択についてのお話をば。
いきなり結論から申しますと、僕はもちろん『見た目』だ。『中身』とか言う人でもある程度外見が整ってることが条件で言ってるはず。あくまで僕の意見ですが、素で『中身』だけ重視してる人は言い訳にしか過ぎないと思う。世の中にはB専という凄い種族が居るとも聞きますがね。ちなみに今の僕のタイプは徳澤さんと北川さんを足して2乗したような人ですが、何か?
「じゃあお前は人のこと言えるのかよ。」
こんなこと言われた日には反論出来ません。実際僕は外見も中身も基準値に達しないような人ですから、こんな大きいこと言える立場じゃありません。しかし僕だって一応男の子です。女の子にモテたい気持ちは人三倍あります。
何度も出てきますけど、僕は男子校出身でしてね、周りにはチャラいだの何だの言われるような遊び人高校出身なわけですよ。共学で付き合った人と靴箱で待ち合わせとか夢見てた時期もそりゃありましたけど、現実には180センチはあろうかというホモに待ち伏せされて以来、靴箱が怖い。まぁ、出会いは共学よりは遥かにあった。
郷に入りてはナントカとか言いますけど、皆さんの僕に対するイメージを裏切ることになりますが、ちょびっと遊んでたわけですよ。ポッキーを片手に女の子について熱く語ってくれた岡村くんに色々メル友を紹介されましたよ。半分以上は男だったけど。ありえなす。
メル友なんか見た目も中身も全く分からないような地球外生命体ですから、僕はメールの文体と名前で判断してました。当時の僕の好きな名前はユイとかミホとかそんなありふれた感じ。ケンタとかは速攻でパスしてましたね。
まぁ、僕は色々あってから彼女なんて作る気なんてこれっぽっちもなく、ただの暇つぶしでメールしてた。高校2年の時でしょうか、今は筆が止まってる捻転になるちょびっと前に『ユイ』という女性を岡村くんから紹介された話をしてみます。
いつものように当たり障りのない話題から入ってメールをしていると、今までにない感覚に襲われたわけです。言っちゃえば、メールがめちゃめちゃ可愛い。今年の6月の後半ぐらいに病的に冷めてる人とメールしてたことがありますけど、ユイは本当に可愛かった。
本来はメール嫌いな僕があれだけ返すんだから余程の可愛さなんですけど、知り合ってから3日ぐらいで写メというものを貰ったんですよ。結果はまずまずな感じでしたが、背伸びをしてない感が何とも好印象。で、次の休みの日に遊びに行こうという話になったわけです。嬉しいことに向こうから。
今でも覚えてます。待ち合わせは博多駅の金のウンコみたいなのが置いてある場所でした。何度もユイからのメールを読み返し、何度もユイの写メを見てから向かいましたから。やっぱりね、多少自分のタイプから外れても大事なのは『中身』だよ。
この世には絶対だの完壁だのはないというのが僕の持論です。寧ろ存在しないで欲しいというのが僕の願いであったりします。完壁で100点満点の人など存在しません。同時に100点満点のカップルも在り得ません。それは自分の思い込み。傍から見たらかなりウザいと思われる。
なぜ僕らは絶対的な幸せなんかないと分かっていながら愛を求めるのだろうか。『幸せはそれを手に入れる過程の中だけに在る』とかどっかの誰かが言ってたけど、まさにそうだと思う。点数で表すのは失礼だけど、もし相手が自分にとって100点じゃなくて80点ぐらいだとしよう。さらにその人と付き合ったとしたら、いずれケンカとかの衝突があるだろう。これは避けられない。現にケンカばっかりで疲れて終わりにしようと僕は思ったこともある。しかーし、相手を思うが故に衝突して互いに理解したり、努力していったら80点だった人が85点、90点と理想に近づいていくものなんじゃなかろうか。そして100点を2人で目指せばそれこそ理想の恋愛じゃないか。
例えユイの見た目がまずまずでも、これから自分のために少しでも背伸びをしてくれるならそれでいいじゃないか。見た目なんて努力次第で何とでもなるんだ!
・・・とまぁ、一人で勝手に金のウンコの前で熱くなってました。痛いですよね。しかし、どんだけ待ってもユイが見当たらないわけですよ。写メは液晶がぶっ壊れるまで見たから見落とすわけがないんです。約束の時間はもう過ぎてるのに一向に現れない。どうしたんだ。
「あの・・・こう君ですか?私、あの、ユイです。」
誰、お前?
いやね、明らかに別人なんですよ。「うわー、写真と実物は似てないじゃん。別人だよねー。」とか冗談で言えるレベルを超越してました。言葉では伝えにくいんだけど、リアルに別人。写真の面影すらないという事実。もう一回言うぞ。別人なんだ。本人はナウシカに出てくる巨大ダンゴムシみたいな顔してました。
話を聞けば、あの僕に送った写メは友達なんだとさ。あんまり可愛い人だと疑われるからある一定のレベルの人を探して送ってみたんだって。可愛いよねー。アハハー。。。
って、バカ。
お前それは背伸びじゃない。巨大化だ。
泥棒栗。
「ちょっとポケットの中を見せてもらえますか?」
いやいや、こんなことを店員さんに言われたもんだから、さすがの僕も焦った。確実にちょびっと漏らした。足がガクガクだったもんな。やっぱり出来心でこんなことするんじゃなかった。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
「もー、これで何度目の盗みよ。」
だからごめんなさいってば。ちゃんと約束は守るべきでした。盗んでしまってごめんなさい。
「一人一個っていつも言ってるでしょーが。」
「タルタルソース。」
だってさ、海苔弁のおかず全部にかけてたら一個じゃ足りないんだもん。
メロンパン。
僕が中学生の頃、よく河原を1人で歩いたものだ。
僕のことをある程度知っている人なら分かると思いますが、僕はそこら辺の誰よりも『人と仲良しグループを作る』っていう行為が嫌いだった。浅はかだとしか思わない。やっとちんちんに毛が生え出したぐらいから僕は出来るだけグループを作らなかった。下校なんて1人で音楽を聴きながら帰るのがすごく落ち着いた。
僕の通学路は人通りが多い道路だったんだけど、皆普通にもう1本の道を通ってた。那珂川ってのが流れているそのすぐ傍にあるほとんど整備されてないような道だった。実はその下に細い道があったんだが、僕は気分によってその道を通ったりしていた。
中学といえばもう多感な時期で、僕の周りなんかではお付合いとかいうやつもちらほら見えた。学校帰りなんか異性の話しかしてなかったかもな。「○○はもうHしたらしいよー。」とか。今考えると僕の飼ってるウーパールーパーが便秘って話題の方が大事な気がする。
僕は地元の中学ではそんなに異性の友達が居なかったもんだから、そんな話題ふられても全く対応できませんでしたね。皆がチューとかそういう話をしている時に1人野良犬に追いかけられたこともあります。あれは本当に怖かった。
中学2年生の頃だったかな。いつものように1人で帰ってると橋の下にダンボール箱があった。近づいてみると雨だか湿気だかなんだか分からないけど、ダンボールは大浴場で見たおじいさんぐらい皺くちゃでした。サイズ的にはそんなに大きくなかったんだけどね。
中を見るとやっぱりと言うべきか、大量のエロ本が生乾きみたいな状態で入っていた。今となっては見向きもしないまでに贅沢に成長してしまったのだが、当時の僕にとってはかなりインパクトがあった。中学生の男子にとってエロ本は教科書とかバイブル(聖書)とかそんなもんですよ。
当時の僕はコッソリと1冊だけカバンに入れて、居もしない敵に怯えながら家に帰ってドライヤーで乾かしてカサカサ状態のエロ本を大事に読んでいました。読み終えたら家の前の酒屋の自動販売機の前に置いていた青春時代。やっぱりこの時から狂っていたのかも。
話は現代に移りますが、今はエロ本なんて拾わなくてもパソコンを使えばいくらでも可愛い女の子がアンアン言ってるやつを入手できる時代です。いつもお世話になってます。
「このアダルト革命は青春時代の貪欲さを奪ってしまうのではないでしょうか?」
そんなことをサークルの先輩と30分近く議論したこともあります。野球では同じセカンドを守っている先輩なので、それなりに仲も良いですし、家にだって遊びに行ったこともありますよ。僕よりAV女優を知っている数少ない変態です。
そんな先輩の家に僕が『Devil May Cry3』を持っていって色々と教えていた時の話をしましょう。僕の日記ではよく登場するゲームですが、本当にかっこいいし、時間を忘れてやり込んでしまうようなゲームです。そうプレイ時間は200時間を越えたんじゃないかな。
まぁ、そのエンディングの台詞がもう失禁もので、
『I'm Absolutoly Crazy About it!!!(楽しすぎて狂っちまいそうだ!)』
って主人公ダンテが言うシーンがあるんですが、僕はもうそれはそれはそのシーンが大好きでね、この先輩と2人でしばらく狂ってたんですよ。ひゃっほー!とか言いながらフライパンでチャンバラとかしてましたから。バカでしょ?
その時に「ピンポーン」となんかマヌケなチャイムが鳴りまして、これは僕らがはしゃぎすぎたから苦情が出たんではないか、と心配になり、さっきまでの熱が嘘のように下がるのを感じるわけですよ。先輩が恐る恐るドアを開けるとそこには青年が立っていて
「僕と一緒に幸せになりましょーう!!」
とかダンテも首を傾げるぐらいに狂ったことを言い出すわけですよ。そうです、1人暮らしの天敵であるNHKともう一つ。宗教勧誘でありますよ。意味の分からない宗教に入れられて納金だか何だで何百万とか毟り取られるアレですよ。
僕はビクッとしてたんですが、先輩はいつもと変わらない様子で青年を見つめているわけですよ。まぁ、ぶっちゃけさっきまで2人で狂ってたんだから近いものを感じずには居られないんですがね。僕はてっきり最近のAVのモザイク事情について話し出すとか思ってたんですが。
するとそのキチガイが色々とその先輩に説明してるわけです。僕は近くの冷蔵庫の前で体操座りして事の成り行きを見ていたわけですが、どうもこのキチガイは聖書を買えば幸せになれるとか言ってるみたいなんですよね。
この時に僕の頭の中は例の中2の時代の河原にタイムスリップしてて、様々な思いと折り重なりながら僕の頭を巡るのです。いつから僕はエロ本を拾うのを辞めたんだろう。拾ったときの感動はあの頃の僕にとっては最高の幸せだったはず。きっと590円のエロ本を買えるだけのお金を持ちだした頃からきっと変わった。
人に与えられた幸せではなく自分から幸せを手にするために自ら動く。これを成長と言わずして何を成長と呼ぶのか。幸せというものには決まった形がない。言わば水のようなものだと考えればいい。そう、水を入れる容器によって初めて水は形を持つのである。
では幸せ=水ならば容器と同義のものは何だろうか。それはもちろん僕ら一人一人であり、その各々に違った形がある。日常にありふれた些細な幸せでもその人の気持ちの持ち方一つでどうにだってなる。
僕らが年を取るにつれてきっと僕らの中にある容器だって大きくなってるはず。まぁ、簡単に言えば欲張りになるわけだな。ちょっとやそっとじゃ満足できない。静止画よりも動画、動画の中でもモザイク無しのやつ、みたいな。
そしていつかその容器を満たしてくれる人だったりと出会うことに生きる意味がある。ただ上辺だけで知り合いの数が多いよりも、どれだけ1人の人間と深く向き合うかで達成度は違う。これはあくまでも持論。
もしかしたら満たしてくれるだけではなくて、溢れ出させる様な人と出会うかもしれない。自分の幸せの容器のキャパよりも遥かに大きな幸せをくれる人と出会えたら最高じゃないか。その容器をあふれ出した水がきっと嬉し涙ではないだろうか。
はっきり言って支離滅裂すぎるけど、僕が密かに考えていた想いである。ちなみに幸せを悲しみに変えると悲し涙だし、性欲に変えると例のオタマジャクシになる。はい、もうブチ壊し。
えーっと、話を戻してもいいですかね?そうそう、その先輩はMさんって人なんだけど、たった一言でその青年を追い返してしまったのです。あれには僕も脱帽でした。あんなに破壊力を持つ言葉だとは思いもしなかったから。Mさんは、
「メロンパーン!」
といきなりぶっ壊れたような動きで叫びだしました。嘘だと思うだろうけど、これホント。世界のナントカって芸人の比じゃないぐらいぶっ壊れてました。僕も若干引いた。あの野良犬よりも怖かった。もう青年涙目。
青年が帰った後に「何で狂ったんですか?」と聞いたら、「いや、キチガイにはキチガイで対応すれば何とかなると思ってね。」とすごく頭がいいんだけども何だかもどかしい回答をしてくれました。さすがウチのサークル。
Mさんは続けて、「しかも聖書ならオレ持ってるし、それで幸せになったからもう買わなくていいんだよ。」と言いながら所々青春時代に河原で拾ったエロ本みたいに何らかの液体でカピカピになったエロ本をコタツの上に置きました。
おいアンタ、そりゃ聖書じゃなくて性書だろ。