さっきな、古本をみがいていたら、なつかしい本を見つけたよ。そうさ、仕事中。そういう雑念はいけねえ。本好きの人間は、本当は本を扱う仕事なんかしちゃいけねえ。雑念だらけになって、手が止まってしまうからな。だからいつもは、本なんて興味ないふりをして、ひたすら本をみがいている。だけどいけねえ、今日はついに見つけちまったんだ。なつかしい、なつかしい本をな。少しだけ雑念を許してもらおう。ああ、一瞬さ。ほんの一瞬。さっきからほんほんって、別に洒落じゃあねえ。
 自分が子供だった頃、文庫本は1冊300円くらいだった。薄い文庫本は280円、厚い文庫本は320円。普通の文庫本が300円。小学校の高学年くらいになると、大人びた本が読みたくて、おこづかいをもらったら学校帰りに自転車を走らせて浦和のS書店へ行った。S書店は大きくて、夢のような場所だったよ。太宰に漱石、サガンなんかも読んだかな。完全に意味がわかっていたわけじゃあなかったけど、難しい本を読むのは楽しかった。明日も読みてえから、今日中にしまいまで読んじまうのはやめようと思うんだけど、結局読んじまう。宵越しの本は持たねえ、江戸っ子だねえ。え? 何か違うか。
 決して裕福だったわけじゃねえけど、おふくろさんは苦労して自分を大学に入れてくれた。そん時に、本だけは読みなさいと、まとまった金額を口座に入れてくれた。だから自分は、高い専門書も、趣味の読書も好きなだけすることができた。ハリー・ポッターなんかはまだない時代。ああでも、ホビットとか、エイラとか、心躍る冒険譚はどの時代にもある。エイラはな、あの人の訳の本は続きが出ねえんだよな。もう何十年と続きの巻を待ってるけど。原書で読め? 自分は、残念なことに語学の才能はねえ。
 ああ、もう仕事に戻るよ。古本を扱うと手が荒れる。同業の古い友人が言っていたよ。今は体を壊して本屋には勤めていないけど、この間近況を知らせたら、古本に囲まれて生活できるなんて夢のようだね、と返してくれた。ああ、そう思うよ。夢のような、悪夢のような仕事だ。
 え? なつかしい本ってのは何だったのかって? そうだな。今度ゆっくり酒でも飲みながら話すよ。じゃあ、またな。

(本日の担当は、朗真堂メンバーの花房めぐみでした。)

 

 

 

 

 

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