朗真堂メンバーのにっし~です。

2011.3.11

あの日からすでに6年以上もの月日が流れました。
本当に時の経つのは早いものです。

わたしは大地震の1ヶ月後、昼間は宮城県の石巻で災害ボランティアをしながら、夜は仙台市内の駐車場で車中泊をして過ごしていました。
ある日の朝、いつもは仙台駅近くから出発するシャトルバスに乗って石巻へ行くのですが、その日は定員に達してしまい、やむなく有料の高速バスで現地へ向かうことになりました。 
ふつうの乗合バスなので、ボランティア以外のひとも乗ります。 
隣の席に、ひとりの女性が座りました。 
わたしはてっきりボランティアに来たひとだと思い、そのつもりで話しかけました。 
するとそのかたはそうではなく、仙台から石巻の実家に帰る地元のひとでした。 

やがて話は被災に関する具体的な内容になりました。 
彼女はそのとき仙台在住でしたが、震災のときはまだ実家にいたそうです。 
実家は津波の直撃を受け、彼女と数名の家族は2階の屋根の上にかろうじて避難しました。 
とりあえず最悪の事態は免れましたが、寒空のなか一晩を明かさなければなりませんでした。
低体温症で意識を失うぎりぎりのなか、彼女たちはなんとか耐え抜いたそうです。 

翌日、水が引いて彼女とその両親は助かりました。 
しかし行方知らずだった曾祖母と祖母、そして幼い弟の姿は、家のなかで見つかったそうです。 

でも、彼女自身はもうこの現実を受け入れるしかないと、強い決意を抱いていました。 
彼女はその年の春高校を卒業し、旅館に勤めることが決まっていました。 
でも震災のあと、母親から「どんなことが起こるかわからない世の中だから、自分の好きなことをやりなさい」と言われ、本当はやりたかった音楽関係の仕事を居酒屋でバイトしながらやっているということでした。

彼女がいまも音楽関係の仕事をしているかはわかりません。
でも、強い意志を持った彼女のことです。
きっと何かの目標を持って、充実した日々をおくっていることでしょう。

 

 

 

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