園長通信~こころ~ №381
立つ鳥あとを濁す
2026.1.29
教員3年目も、研究論文を書くために教頭先生によるマンツーマン指導が続いた。一度は書いているため、見通しをもつことはできた。問題は中身である。1年目は、とりあえず終わらせることに全精力を注いだ。2年間は、どういう内容を入れて、どういった構成にするかなど、少しは考えるようになった。学級通信が柱ではあるのだが、学級経営では他のことにもたくさん取り組んでいた。それらを入れることにした。研究論文という体裁をとってはいるが、自分の学級経営のアルバム作りのイメージだった。自分の学級づくりの足跡を記録として残したかった。
四苦八苦している状況は、変わらないのだが、1年目よりは少しは楽しくなってきた。期日までに仕上げて提出した。地区の審査会があった。入選だった。自分でもたいしたことはないというのはわかっているのだが、とりあえず賞をいただけた。何よりもお世話になった教頭先生に感謝の気持ちを伝え、報告できたことがよかった。 学年主任なのだから、自分のクラスをしっかりさせなければという思いがあった。そうしないと、隣の初任の先生の学級を心配することもできなくなる。隣のクラスの子どもたちは、学年で集まり、私が話すときはよかった。ところが、学級に戻ると違った。
あの頃、自分に何ができるか、どうすればいいのかと考えた。結局は、力不足だったのだろう。教員3年目にして初の学年主任だったが、うまくはいかなかった。その後、年を重ね、あの頃の校長先生や教頭先生の年齢となり、ふと考えたことがあった。校長先生は、どうして自分を学年主任にしたのだろうか。それも、なぜ初任の先生と組ませたのだろうか。そもそも、あと1年しかいないような人間に、5年生を担任させたのはなぜなのか。
あれほどまでに未熟だった自分に、もし、期待をしていただいていたとしたら、大変申し訳ないことをしてしまったという思いが先にくる。期待に応えることはできなかった。今思うと、何もわかってはいなかった。視野が狭く、考えが浅かった。勢いや情熱だけではうまくいかないこともある。自分のことだけでなく、まわりを見て考える。そういったことに欠けていた。
6年生に持ち上がることはなく、異動となった。地元に戻ることになった。隣の初任の先生も6年生に持ち上がることはなかった。6年生は、お二人のベテランの先生が担当することとなった。立つ鳥あとを濁すとはこのことである。迷惑をかけたまま村を出ることになってしまった。一番は、子どもたちである。あの頃、どう思っていたのだろう。すまないことをした。
3年間にわたる小学校教員生活では、多くの方々に迷惑をかけてしまった。とりわけ、あのときの初任の先生と子どもたちに対する思いは、ずっと消えない。消えることはない。
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